第29話 公と私

 渋る鉱物商ガルゼ・メケルス夫妻を説き伏せて助力を得、ソフィーナは、鉱山道を2日がかりで登り切り、なんとか国境を越えた。

「……」

 以前ハイドランドからカザックに入った時の峠からは、ハイドランドが見えた。けれど、今は森に覆われて、どちらの国もまったく見えない。

 ようやく故国に帰ってこられたというのに、それが行く先の分からない自分のようで、ひどく気が滅入った。


 ルデナ鉱山に反乱側の者がいる可能性を考え、そこからは森に入って、山を下り、何度か魔物に遭遇しつつ、翌日の夕方、ようやく麓の村に辿り着いた。


「宿、宿はどこだ……いい加減ベッドで寝たい……!」

「都会っ子だなあ」

「山奥育ちのフィルと比べれば、人間はみんな都会っ子だ」

「人間て」

 緊張した様子もなく、ソフィーナを間に挟んだ彼らは、村の通りを進んでいく。夏の日はまだ高くて、そこかしこに人の往来があった。

 慣れない山歩きのせいで、ソフィーナの足は、一歩踏み出す度に痛みが走るようなありさまで、全身情けないくらいにクタクタだった。食事も何もいらないから、とにかくベッドに倒れ込んで寝てしまいたいと思いながら、重い足を引きずって、村の宿を目指す。


(……え?)

 すぐ横にいたフィルがふっと消えた。すれ違おうとしていた男性を路地に引き込み、民家の壁へと押し付けるのと同時に、その喉元に短剣を突きつける。

「――目的は?」

 ぎりぎりと襟首を捩じ上げながら、そう詰問する声は、先ほどまでののんびりした声と違っていて、恐ろしい。

「ア、レクさ、から、のご伝言を……」

 真っ青になって額に汗を浮かべた彼に、フィルはぱっと手を離すと、気まずそうな顔で「ごめんなさい。本当にごめんなさい」と丁寧に頭を下げて謝る。

「アレックスからです。ちょっと話してきますので、先に宿に行っていてください」

 そう言って、ソフィーナが呆然とする間に、伝令?と思しき男性と、夕闇の中に消えていった。


「……大丈夫、なのかしら?」

(フィルの反応からして、あの人は私たちの跡をつけていたわけではない。ここに来るのを予想して、待ち伏せていたのでは……?)

 色々な意味で不安になって、ヘンリックを見れば、「そういう国で、そういう人たちですから」と何でもないことのように肩を竦めた。


『君が僕にいつも手を読まれて負ける理由を知っている?』


「……っ」

 ここまで来ても、まだフェルドリックの手の内なのか、とソフィーナは唇を引き結ぶ。

(一体何を考えているの)

 ソフィーナが逃げたことを表向き隠していながら、連れ戻そうとはしていると騎士たちが言っていた。なのに、ここでソフィーナはまだ自由にできている。彼の従弟のアレクサンダーは、ソフィーナたちの居所を正確に予想しているようなのに。


 そのソフィーナをじっと見ていたヘンリックが、

「逃げ切れそうですか?」

とぼそりと呟いた。

「…………フィルに聞いたの?」

「あいつが言うわけがないでしょう」

「そうね……ヘンリックのそういうところ、嫌い」

 ソフィーナが抱えているフェルドリックへの想いについて、彼には話していない。なのに、ばれていることを悟って、子供のように口を尖らせれば、彼は苦笑を漏らした。

「俺もフィルもソフィーナさまに幸せでいて欲しいと思ってます」

「…………ごめんなさい、八つ当たりなの。むしろ逆で、好きだわ。心配してくれてありがとう」

「俺もソフィーナさま、好きですよ」

 その顔に兄を思い出し、しょぼくれたソフィーナの頭を、ヘンリックは2回、なだめるように叩いた。




 宿に入って、戻ってきたフィルを交えて、3人で額を付き合わせる。

 片田舎の宿のランプは、煤で少し汚れていて、室内は薄暗い。外からは、ここ数日馴染んだ夜鳴鳥の声が響いてくる。


「アレクサンダーから……確かなの? ガセや罠という可能性は?」

「確かです。彼の実家が良く使う連絡方法です。暗号も確認しました」

 そう言うフィルの顔は、少し嬉しそうだ。

「愛してるとでも入ってたわけだ。アレックス、相変わらず包容力あるよねえ、怒っててなおそれだもん」

「……それはいいから」

 頬を染めたフィルは、さっき伝令を捕まえた時とは完全に別人だった。5つも年上のはずなのに、ものすごく可愛いと思ってしまう。


 同時に、羨ましくなった。

 フィルがここに居るとアレクサンダーが知っているのであれば、ソフィーナが同じ場所にいることを彼の従兄であるフェルドリックも知っているだろう。でも、フェルドリックは、何も言ってこない。

(逃げられると思うなとか、逃がさないとか、言っていたくせに……)

 逃げようとしていることを棚に上げて、ついそう思ってしまって、ソフィーナは視線を伏せた。我ながら、矛盾だらけで、嫌になる。


「ソフィーナさま?」

「え、あ、ごめんなさい。なんだったかしら?」

「ハイドランド現国王陛下、つまりソフィーナさまの兄君の所在がわかりました。首都ハイナの東方、ドーバンという町の塔。体調を崩されてそこで療養なさっている、という触れ込みのようです」

「……場所は分かるわ。200年ほど前に建てられた古い塔よ」

 物思いから一気に現実に引き戻された。古さゆえ、あそこにはその時代の拷問道具があるはずだ。

「お兄さま……」

 予想していたとはいえ、露骨に兄の現状を突き付けられて、ソフィーナは思わず心痛を漏らした。

 察してくれたのだろう、ヘンリックとフィルが顔を痛ましげに歪めた。


「2人には話をしておかなくてはいけないの」

 ソフィーナは息を吸い込み、その2人を交互に見つめた。それはとても危険なことだった。

(でも、私のためにここまでしてくれる彼らを信頼しない訳には行かないから。信頼できると思うから――)

「万が一兄が死亡した場合、ハイドランドの王位は私に移ります」

 ヘンリックはパックリ口を開け、フィルは目を見開く。


「……カザックが、それゆえにハイドランド国王を見捨てうる、とお考えになって、あんなふうに城をお出になった、ということですか」

 呻くようなヘンリックの声に、申し訳なさのあまり、ソフィーナは視線を床に落とした。

「つまり、ハイドランド国王が殺されていないのも、ソフィーナさまが今なお狙われているのもそれが理由……」

「そういうことまで考えなきゃいけない立場にいらっしゃるんだ、ヘンリック」

 決断に何百万の人生がかかってくるんだ、と神妙に口にしたのはフィルだった。


「あの、一応申し上げておきますと、カザック国王陛下もフェルドリック殿下も、ハイドランド欲しさに、とかで動く方ではないですよ。殿下はあんな性格ですけど」

「確かに。どうしようもない面倒くさがりだから、他国に野心を持ったりはしないかと。ドムスクス東部の併合だって、ものすごく嫌がっていましたし。あんな性格だからかもしれませんが」

「自国じゃないんだから、適当に搾取して終わりという風には考えないんだよねえ、あんな性格なのに」

「実際にドムスクスの支配よりずっといいと、市民は喜んでるようだからね。あんな性格だけど」

「……でも、腹黒いもの」

「「それは否定しません」」

 きれいにそろった声に、思わず「そもそもあんな性格って言いすぎよ」とソフィーナが笑えば、2人も「だって事実ですから」と笑い返してくれて、そうしてその話題を流してくれた。


 改めてフィルが真面目な顔に戻る。

「あとはハイドランド国内の動きです。メケルスさんの言っていた通り、叛乱の首謀者はルードヴィ侯爵、金銭面を含め、シャダの支援を受けています。対するのが、ギャザレン公爵兼騎士団長を中心とする勢力です。ルードヴィの思惑は、オーレリア第1王女を王位に据えることにあるとのこと。貴女の暗殺について、動向を知ろうと、シャダやカザックの大使を呼び付けまくっているそうです」

 自分の死を願う人間がいる――権力に携わる立場に生まれた以上、仕方のないことだと知っている。だが、暗澹とした倦怠感に襲われて、ソフィーナはそれに耐えようと、ぎゅっと目を瞑った。


「ルードヴィの支持にまわっている者は?」

「名前までは分かりませんが、当初は多くはなかったと。ただシャダが攻めてくるという噂が流れていて、オーレリア第1王女の元に、団結すべきだという説得に折れて、やむなくという者がこのところ急速に増えているそうです」

「ルードヴィはシャダと戦になったところで降伏する気ね」

 自分の身の安全と利権を既にシャダに保証されているのだろう。自分さえ安泰なら、農作物にとって大事なこの時期に戦をし、ハイドランドをあんな国に売り渡してもかまわないということだ。

 ソフィーナはギリリと音を立てて、奥歯を噛み締める。

 内戦になるのを避けつつ、ルードヴィを排除する。そしてシャダの侵入を阻止する。その全てを迅速にしなくてはいけない。


(お兄さま、ごめんなさい……)

 それからぎゅっと目を瞑った。これで彼の身の安全は、完全に運任せになる――

「ハイドに入って、国軍を取り戻す。それを使って、ルードヴィたちを抑え、無血で開城、外の国軍と連携する」

 震えそうになるのを、ソフィーナは拳を握って抑え込んだ。


「では、考えるべきは、3点――王都への侵入、王都の国軍の説得、外の国軍との接触です」

「王都へは、ガルゼ・メケルスが教えてくれたやり方で入る予定です。説得方法については、そこで情報を収集して、ということになるけれど、外の国軍については、ギャザレン騎士団長であれば、問題ありません」

 不安がないわけではないけれど、軍は自分についてくると、ソフィーナはほぼ確信している。

 ルードヴィ侯爵には、姉、オーレリア第1王女を押さえているという以外、大義も名分もない。他の貴族にしても、それぞれ自分の安全や利権を確保するために動いているだけの、寄せ集めの集団のはずだ。

 シャダとルードヴィらの関係、兄セルシウスや父への彼らの所業をちらつかせることで、簡単に瓦解するだろう。

 そんな彼らとであれば、軍はソフィーナを選ぶはずだ。何せ父と兄が死んだ場合の王は、ソフィーナなのだから。


「王都の軍を抑える際に、妃殿下は存在を公にせざるを得なくなりますよね。なら、その前に、兄君をお助けする必要があるのでは? 彼は妃殿下の生存によって、命が保証されているわけでしょう?」

「あなたが王都にいるのは、ルードヴィらにとって、脅威であると同時にチャンスでもある。目障りなあなたが手の内にいる、簡単に殺せると考えるでしょう。死に物狂いで実行し、同時に兄君を弑すはずだ」

「……」

 フィルとヘンリックのその声に、ソフィーナは知らず伏せていた顔を跳ね上げた。


(私が生きている限り、カザックとしては兄が殺されてしまっても構わないはず。それなのに……)

 甘えていいのだろうか?と迷うソフィーナに、ヘンリックが、

「ルードヴィらを抑えた後、その行動が正しかったと知らしめて、皆の動揺を抑えなくてはなりません。そのためにもセルシウス国王陛下は必須です。シャダとルードヴィの内通、謀反を示す証人です」

と静かに告げた。

「現状、カザックにはハイドランドにまで、手を伸ばす余裕はないのです。そうかと言って、シャダにハイドランドを盗らせるわけにもいかない――セルシウスさまに頑張っていただくしかないでしょう」

 なおも返事ができないでいるソフィーナに、フィルが幼い子に言い聞かせるように、微笑みかけてくる。

「殿下個人としても、兄君にそのまま王位にいていただいた方がいいだろうしねえ」

「確かに」

 軽く笑った彼らの言葉の意味を、深く考えないよう意識しながら、ソフィーナは口を開いた。


「フィル、ヘンリック、では、お兄さまを塔から連れ出して、城へ連れて来てくれないかしら?」

「それは聞けません」

「私1人で行きます」

「え……」

 2人に即答されて、ソフィーナはうろたえた。

「だ、だめよ、危ないわ」

「妃殿下の方が危ないでしょうに」

「ご存知ですよね、もっとも狙われるのはあなただって」

 眉をひそめる彼らを前に、張っていた気が緩む。


「あなたたちには、大事な人が待っているじゃない……」

「ええ。でもそれは妃殿下も同じです」

「私には、その大事な人に怒られる際に、妃殿下に庇って頂こうという姑息な思惑もありますから」

「ただでさえ、引き摺りまわしているのに……」

「ちゃんと思惑があって引きずられてるんです」

「そうそう。これが終わったら、ちゃんと報酬を要求しますね」

「……」

 同時に涙腺も緩んでしまって、頼りないランプの明かりの中、ただでさえ見えにくかった2人の顔が、さらにぼやけていく。


『安心していい』

 彼らをソフィーナにつけてくれたのは、フェルドリックだ。


(知っていたのかしら? 何かの時には、危ない橋を渡ってでも、“私”を助けてくれるような人達だって……)

 ソフィーナは泣き笑いを零した。


 あの人は、太子としての立場でソフィーナを選び、契約で結婚した。都合がよかっただけ、着飾らせる価値などないと言い切り、実際一緒に寝ていながら、一度も触れてこなかった。

(でも、思いやりが全くなかったわけじゃない。それどころか……)

「……」

 そう悟って、ソフィーナは、今は遠くなった南の空の下にいるであろう、その人を脳裏に思い浮かべる。愛想のかけらもなく、小憎らしく笑うその顔は、ひどく彼らしい。

 個人としての彼は、わかりにくいけれど、多分ものすごく優しい人なのだろう。性悪っぽい、“あんな性格”に見えるだけで、と思ったところで、ソフィーナは小さく笑い、視線を伏せた。


(オテレットやメスケルだけじゃない。結局、私はどこまでもあの人に勝てないらしいわ……)

 告白と決別。それと共に、お礼も伝えなくてはならない――すごく悔しいけれど。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る