第28話 国境と縁
予定していた正規の峠は、おそらく越えられない――ソフィーナたちが次に選んだのは、カザックからハイドランドの間で、鉱業取引に用いられる商業路だった。
「バードナー、この先に」
「ヘンリックで。フィルだけ名前呼びはずるい」
「……仕方がないじゃない。マット・ジーラットに、フィル・ディラン、フィリシア・ザルアナック・フォルデリーク――この人、名前がいっぱいあってややこしいのだもの」
「……」
「……ヘンリック、この先の道には騎士はいないの?」
ジト目で睨んでくる彼に、「変なところで子供っぽい」と呆れながら、ソフィーナは流されることにした。
「凄まじい悪路なんです。山登りに慣れた山師かロバしか行き来できない道ですし、発着点は鉱山と鉱物商の敷地で気の粗い山師たちの巣窟、脇の森には魔物が出る。騎士なんか置かなくても、普通の人間は通りません。正直、ソフィーナさまはもちろん、俺でもきついと思います」
「覚悟します」
来た道を少し引き返し、街道脇の森の中の道を進んでいけば、鉱石などを積んだ荷馬車とすれ違った。
(ここがルデナの裏側……)
行き着いた場所は、森が大きく開かれ、大き目の木小屋の他、小さな仮小屋がいくつも立ち並び、その向こうに鉱石の山がいくつも出来ていた。奥の方に、国境の山脈へと上がっていく細い道があり、積み荷を負ったロバが列をなしている。
山脈の向こう、ハイドランドの鉱山ルデナは、長らく銀の生産量で大陸1を誇っていた場所だ。
だが、これまでの銀鉱脈が掘り尽くされた時、利権を有していたハイドランドの貴族たちは、現状を認識せず、ただただそれまでの収入が続くことを願い、地中深くにある鉱脈を求めて、むちゃくちゃな採掘を労働者に課した。結果、死傷者が続出し、それを問題視したソフィーナの母が買い取って、国有化した場所だ。
市場価格すら調べず、漫然と続けていたこれまでの取引や、採掘方法を見直し、辛うじて赤字ではなくなった頃、母が亡くなり、その後はソフィーナが携わってきた。何度か、実際に足を運んだこともある。
採算ぎりぎりだった状況が変わったのは、2年前だ。硬鉱石という、この大陸では既に掘り尽くしたと見られていた貴重な鉱石が見つかったとたん、以前ここの利権を持っていた貴族たちが、あれは不当な契約だったと騒ぎ出した。
「……」
散々手こずらされたあの鉱山で採れたものは、こうして需要の高いカザックへと輸出されていた。
母と自分の仕事の結果と言っていい、賑やかな取引場の様子に、ソフィーナは小さく顔を綻ばせた。
「用がなければ、立ち去れ」
「ここの元締め、ガルゼに用があるんだよ。マイラでもいい。バードナー商会の関係者だ」
バードナーやジーラットより頭半分高く、横幅は2倍ありそうな傭兵に威圧されているというのに、ヘンリックはにこやかに、しれっと嘘とも本当とも言えないことを言い放つ。
「……商人が何で剣なんか持ってるんだ」
「あくまで関係者だからね、俺自身は、商人じゃない」
「――ヘンリック坊ちゃんかい?」
背後からの声に、「なんてタイミングのいい」と目を丸くした彼は、振り向くなり、
「久しぶり、マイラ。ところで……俺、もう22なんだけど?」
そう言って、苦笑を零した。
「まだまだひよっこには、変わりないだろ」
背筋のキリッと伸びた老夫人は、カラカラと笑いながら寄って来て、バンっと小気味のいい音を立てて、彼の肩を叩いた。
「いっ」
「おお、あんなひょろっこいのが、騎士になったって聞いたときゃ、カザックもダメかと思ったもんだけど、どうしてどうして、立派になったねえ。あんたあ、チビヘンリックが来てるよ!」
「チビって……」
「なんだあ、バードナーんとこの末っ子か?」
「ガルゼのおっちゃんも久しぶりだね」
(こんなに強そうな人だったなんて……)
どすどすと音を立ててやってきた男性は、傍らの傭兵よりなお大柄で、ソフィーナは目を丸くする。
主な取引先として、これまでソフィーナが人を介してやり取りしていたガルゼ・メケルスは、したたかな交渉上手だった。なんとなくフォースンのような人をイメージしていたのだが、似ても似つかない。
しげしげと見つめてしまっていたソフィーナに、先方も気づいたらしい。
「そちらさんがお前の嫁さんか? ゼドゥの旦那から結婚したって聞いたぞ」
「なんで兄貴は旦那なのさ……? 違うよ、仕事で護衛してるの。いいとこのお嬢さんなんだから、もうちょっと上品に接してあげて。で、そっちは俺の相棒」
礼儀正しく挨拶するフィル・ディランの斜め後ろで、ソフィーナは慌てて、頭を下げる。フードを取ろうか迷ったが、失礼を承知でそのままにしておくことにした。ここはソフィーナにも縁がある場所だ。もし、顔を知っている人がいれば、まずい。
「へえ、あんた、本当に騎士になったんだねえ」
「で、この方の里帰りで、これからハイドに行くんだけど、」
「――やめときな。そっちのお嬢さんの都合かい? 色々事情があるんだろうけど、今は危ないよ」
「あー、やっぱり? きな臭い噂を聞いてさー、それで訪ねてきたんだよ」
「……とりあえず中に入んな」
鉱物商主と夫人がソフィーナを見る視線に、同情が含まれている気がした。
「ハイド郊外で、国軍と貴族たちの私兵団が睨みあってる……? つまりシャダが、北のハジードから侵入したというのは、ガセだった――国軍の主戦部隊をハイドから出すためか」
「みたいだな。国軍の主力が王都から離れた直後に、陛下が亡くなり、セルシウスさまが“ご病気で倒れられた”そうだ。うちの若いのが、そん時ハイドにいたんだけどな、その後のルートヴィらは、実にてきぱきしてたそうだ。今、ハイドは奴らの私兵で、封鎖されている」
「……ハイドの中にも国軍は残ってるんだろ? 外の国軍と挟み撃ちにすればよくね?」
「まともな指揮官がいれば、動けるのかもしれねえが、多分セルシウスさまと一緒にってところだろうな」
「……」
フードの下、顔色を失ったソフィーナは、膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめる。
その手をフィルが上から包むように握り、ヘンリックは一瞬痛ましいものを見る目を向けてきた。
「目的は何かな」
「なんとかっつー王女かなんかの名前で、鉱石取引の破棄が通告された。違約金も何もなく、マジで一方的なもんだぞ? 鉱業組合で聞いたら、賢后陛下が国有化したとこで、持ち直したところはほとんどそうらしい」
「散々食い物にして、うまみがなくなったら、国にやっちまって、持ち直したら返せって、いやらしい奴らだよ。動機はどうせそんな自分勝手なもんだろ。でなきゃ、大事な収穫期にこんな騒動起こすわけがねえもの」
「ソフィーナさまがいなくなったのもあるのかもなあ。あのチビ姫さん、賢后陛下にそっくりだってみんな口をそろえて言うからな」
自分の名前が出て、ソフィーナは息を止める。
「真面目で優しい方なんだと。鉱山に自ら行って、地質調査の結果を見て、砂だらけになって、身の危険を感じないか、どう工夫すればいいと思うか、山師たちに聞いて回ってたらしい」
「姫さんが気にするようなことじゃねえだろって言ったやつには、怒って説教してきたってさ。「みんなが健康で、ちゃんと働いて、幸せでいてこそ、国はやっていけるのです。だから自分を大事にしなさい。大事にできるように私も働くから」って。なんだこいつってドン引きしたって笑いながら、話してたよ」
「俺たちにゃ、厳しい取引条件を突き付けてくる、厄介な相手だったんだけどなあ」
「うちの太子さまが選んだのが、きれいなだけの姫さんじゃなくて、ソフィーナさまだって聞いたときゃ、さすが見る目があるって感心したんだけど、こうなってくると恨みたくなるね……私も元はハイドランドの人間だからさ」
「ハイドランドの奴らからしたら、特にそうかもな。彼女がいたらって、絶対に思ってるだろうさ」
「……」
(私がいれば……? こんなことになってなかった……?)
「――違いますよ。いらしたら、一緒に危ないことになっていた、それだけです」
震え出した手を、フィルがさらに強く握り、小声でなだめてくれた。
「だからさ、お嬢さん、里帰りは諦めたらどうだい? 家族も心配だろうけど、行ったらあんたも危ないよ? ハイドにゃ入れないし、すぐに戦場になるかもしれ」
「おいっ」
「あ、ごめんね……」
気まずそうな顔をした夫妻に、ソフィーナは首を横に振った。
そして、「だからこそ帰らなくては」と言いながら、フードを取り払った。
「現状を教えてくださって、ありがとう――私は、ソフィーナ・フォイル・セ・ハイドランドです。こんな形ではあるけれど、会えて嬉しいわ、ガルゼ・メケルスさん」
「……」
目を丸くして、自分を凝視してくる鉱物商ガルゼ・メケルスに、青い顔をしつつも、ソフィーナはなんとか微笑みかけた。
母に言われた通り、動揺を隠し、余裕を持っているように見せかけられているだろうか……?
「ところで――苦労してあなたと成立させた契約を反故にする気は、私にもないの。知恵を貸してくださらないかしら、メケルス」
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