第27話 使命と事情

「さて、それはそれとして……聡明な妃殿下、カザレナへお戻りいただけませんか?」

 ソフィーナへと顔を向け直したシェイアスが、真剣にそう質してくる。

「御身の安全は、カザック王国騎士団が、名をかけて保証いたします。ハイドランドについても善処するとのこと、それらをご考慮願いたい」


(善処すると誰が言ったの……)

と思ってしまって、ソフィーナは泣きそうになった。今どんな答えが帰ってきたって苦しむだけなのに。


 声が震えないよう、長く息を吐きだし、気を落ち着ける。

「私、この国が、カザックが好きなのです。皆、元気で、親切で幸せそう」

 まっすぐにシェイアスの赤みがかった目を見上げれば、彼は眉を少し上げた。

「でも私……私を育ててくれた国の皆も好きなのです。可能性にかけて、見捨てることになる危険を冒せないくらいに。私のすべきことは、私自身より国より何より、彼らを守ることなのです。そのために、行って、兄を助けなくては」

「……理解しました」

 目をみはったシェイアスは、次ににっと笑った。この国の騎士が良くする笑い方だった。


(それと、内緒なのだけれど、あともう1つ――私は幸せになりたいのよ、誰かのただ1人になりたいの。自分に向けられない恋に泣いて、自分を呪うのはもう嫌なの)

「……」

 ソフィーナが横に目を向けると、それを知っているフィル・ディランは目を合わせて、小さく笑った。

(知っていてなお付き合ってくれるのはありがたいけれど、やっぱり少し腹立たしいかも……)

 思わず睨めば、彼女は懲りた様子もなく、くすっと音を漏らした。


(なるほど、始末書記録更新中ね、納得したわ。まったく情けないくらいにやられたわ。よりによって本人に、フェルドリックの好きな相手とか言っちゃってたし……)

 ソフィーナは口をへの字に曲げると、ディランに向き合う。

「今決めました。騙した罰として、貴女には最後まで付き合ってもらいます」

「騙していたかいがありました。ようやくご納得いただけた」

「……」

 しれっと言い放った彼女をできるだけ怖い顔で睨んでみたのに、なぜか嬉しそうに笑われてしまう。……気に入らない。

「俺は……?」

「い、一緒に来なさい。黙っていたのだから同罪です」

「よし、俺も必要とされた」

「よかったなー、ヘンリック」

「……」

 にこにこと笑い合う2人に、「やっぱりとことん変わってる……」と脱力を覚えたのはソフィーナだけではないようで、騎士たちも「ヘンリックも結局同類だよな」と白い目を向けた。



 別れ際、第1小隊員たちは、ためらっていたソフィーナに、

「アンナ嬢は元気ですよ」

「フェルドリック殿下にも食って掛かかれるぐらいには」

「私が1番姫様と一緒に過ごしてきた、私が1番姫様の幸せを願ってる、絶対にうまく演じ切りますってね」

「カッコよかったです。さすが妃殿下の侍女殿」

と口々に話してくれた。

 乳姉として聞きたくて、でも彼女をおとりにした“王女”にはその資格がない気がして、聞きあぐねていたことに気づいてくれたのだろう。

 彼らが派兵される場所は、死ぬ可能性もある場所だ。

 そんな中、勝手をしているソフィーナの心中を慮ってくれたばかりか、気遣いまでくれる騎士たちの姿に、胸が詰まった。


 最後尾にいたシェイアスは、バードナーやディランに向けて、「お前らのことなんざ知らん。俺に下った命令は“国境の監視”だ」と舌を出した。

「だから、これは命令じゃないんだが……その方を死なせるな。うちの殿下同様、絶対に生きていてもらわなければならないタイプの御人だ」

 そして、そう言い残して、走り去っていった。


「なあ、賭けようぜ――逃げられるかどうか」

「マジで難しいな。だって、あの様子じゃ、絶対伝わってないぞ」

「どこをどうとっても抜かりのない人だと思ってたけど、弱みはあったかあ」

「となると、個人的には逃げられるところが見たい……!」

「わかる。指さして笑ってみたい」

「俺は願望を込めて逃げられないに賭けるかあ。逃げられたらかなりの損失だぜ?」



 賑やかに遠ざかっていく黒衣の一団を見送った後、ソフィーナはくるりと踵を返した。

 そして、「さて――」と言いながら、睨みつける。

「色々説明してもらいましょうか、フィリシア・ザルアナック・フォルデリーク? それともフィル・ディランがいいかしら……?」


「いつものことながら、怒りと共に呼ばれるフルネームほど、嫌な響きのものってない。てか、声、低すぎません?」

 そう顔を引きつらせる彼女を、ソフィーナは思わずまじまじ見つめた。

(結婚披露の晩に出会った、あの彼女、よね……? アレクサンダーの妻で、フェルドリックと特別親しそうな、ただ1人の女性……女性?)

 言われて、そういうつもりで見れば、確かにそっくりだけれど、髪も違うし、胸もないし、何より雰囲気が違う。

(だって“ジーラット”は、完全に男性にしか思えなかった。中身だって、仕草だって、本当に男性らしいし)

 混乱のまま、ソフィーナは目を眇めると、じぃっと彼女の顔を覗き込む。


「ええと、まず素性を偽っていたのは、私自身も私によく似ていた祖父も、シャダに激しい恨みをかっているので、被害が妃殿下にまで及ばないように、と……」

「別にそうまでしなくても……。護衛は貴女でなくてもい……なかったのかしら? ひょっとして」

 地味で華やかさに欠ける、真面目で面白くない、と言われ続けていたことも思い出して、ソフィーナは眉を下げた。後ろ盾がないに等しい上に、太子であるフェルドリックのソフィーナに対する扱いを見ていたら、余計そう思うかも、と申し訳なさに襲われた。

「あー、そうではなくて、ですね……」

 バードナーがにやりと笑って、言い淀んだディランと返答を交代する。

「妃殿下の護衛ですから、女性か妻帯者が要件だったんだと思いますよ」

「そうか。そういえば、そういうものね」

「……」

 体面の問題だったのね、と胸を撫で下ろしたソフィーナに、バードナーが顔を背けて肩を震わせ、涙声で何かを呟いた。


 それにしても、とソフィーナは、もう一つの疑問をディランにぶつけた。

「結婚祝賀の夜会で会ったわよね?」

 ディランが真っ赤になった。そうなると本当に女性に見えて、ソフィーナは目を見張る。

「金色の長い髪で、体の線がそのまま出る真っ赤なドレス……女神だと言われても納得できるぐらいきれいだったわ」

「っ」

 指先まで赤くなった彼女は、奇妙な呻き声を上げ、頭をがしゃがしゃ搔き毟った。当然、髪がぼさぼさになる。


(それ、ジーラットとしては普通だけど……)

 まだ目の前で起きていることが信じられず、ソフィーナは目を瞬かせる。

(だって、料理長にも庭師のお爺さんにも下働きの洗濯係のお婆さんにも、怒られていたわよね? 刺客をあっさり退けて、暴漢の腕を(何本かは怖くて聞けなかったけれど)躊躇なく折っちゃった人でもあって、始末書記録更新中で、魔物を食べてお腹壊した人で……ああ、待って、信じられない、つまりはこの人、あの落ち着いたアレクサンダーの奥さんだわ。ああでも、どっちも優しいからそういう意味ではお似合いかも……ああでも、絶対違うでしょ、この人が伯爵令嬢だったとか、いずれ公爵夫人とか!)


「フィル、そんな格好してたの? あのアレックスがよく許したね?」

「誰も許してない……! あの、外道めっ、あいつ、いっつもいっつも人で遊んでっ。今回だって同一人物だと知られない必要があるからって……っ」


 滅多に社交の場に出ない(前話していた通り、面倒くさくて、嫌いなのですって)彼女が、久しぶりに出て、あの格好。印象が強すぎて、宮殿でディランことジーラットを見ても、貴族は誰もあれがフィリシア・ザルアナック・フォルデリークとは認識しないだろう、ということだったらしい。

 その後、“フィリシア”が一度も夜会に出ていないことも、“ジーラット”が夜会などの護衛に来ないことも納得した。

 つまり、ソフィーナも、ころっと騙されたわけだ。


「迷惑にも……もとい、ご丁寧にあんな防御力ゼロの布切れ、じゃない、ドレスまで押し付けてきやがって……失礼しました、贈ってくださって、太子からのプレゼントを着ないとでも言う気か、とこういう時だけ王子面して脅しやが……仰いました」

「……髪は?」

 言葉の端々にだだ洩れる憎悪も引っかかるが、こうなるとソフィーナとしては、あの本物の金よりよほどゴージャスな艶々の長い髪が気になって仕方がない。


「切って染めました」

「え!?」

 嘘っ、それはもったいない、と驚いて彼女を見つめると、彼女は「ああ」と呟いた。

「これ、西大陸の技術なんです。ミドガルド国に行った時に教わって」

「違うわよ、髪っ、切ったのっ?」

 あんなに奇麗だったのに、自分のせいで、とソフィーナは蒼褪める。

「それがなんと9150キムリに。アンリエッタは正しかった」

「……はい?」

 ソフィーナの動揺には欠片も気を払わず、彼女は「ああ、アンリエッタ、私はおかげで今日も元気だよ」と西を向いて呟いている。


「気になさらなくて大丈夫です。フィルは妃殿下がご懸念なさるようなことを気にしませんから。切った髪を売って、嬉々として投げナイフを買って、皆と飲みに行って、で、残金でケーキ三昧」

「……」

(髪、を切って、売って、ナイフ? 飲みに行った……お酒? で、ケーキ? が好きなのは知っていたけど……)

 ソフィーナの中で、フィリシア・ザルアナック・フォルデリークのイメージがガラガラと音を立てて崩壊していく。


 真っ白になったソフィーナに、バードナーはなおも親切だった。

「ちなみに、アンリエッタとは、西大陸のミドガルド王国の王太子妃で、お金にひどく厳しい方らしいです」

「そう、西大陸の……変わっていらっしゃるのね」

(ミドガルドは聞いたことがあるけれど、他にどう返せというの……)

 投げやりに答えたソフィーナに、「ええ。今更です」と本当に何でもないことのようにバードナーが頷く。

 その感覚もどうかと思ったところで、先ほど誰かが言っていた、「非常識が移ります」という言葉を思い出し、ソフィーナは微妙に顔をひきつらせた。


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