第26話 保留と現状
「えーと、ソフィーナさま……?」
「……」
ただただジーラットを見つめ続けるソフィーナを前に、彼の顔が引きつっていく。
(それでも整ったものは整っているのね……)
と考えているのは現実逃避だろう。
「……言ってなかったのかよ?」
ソフィーナに合わせて、馬を降りたシェイアスは、訝るようにソフィーナを眺めた後、ジーラットへとジト目を向けた。
「悪魔が言うなと。なんでか執拗だったし、何か訳があるのかなって」
「単にひねくれてるだけだろ」
(やっぱりフェルドリックの差し金……というか、今、悪魔って言い切ったわ……で、通じるのね、そして咎めもしない……)
などと思うのも、多分現実逃避だ。
「嫌われたな、フィル」
「だな、騎士にあるまじき背徳だ」
「げ……」
次々に馬を降り、ジーラットをからかう騎士たちに、ソフィーナは「きらうこと、はないわ……」と呟き返した。
訳が分からないなりに、そこは確かだという確信があっただけなのだが、それを聞いた彼はほっとしたように微笑み、立ち上がった。
その拍子に午後の陽ざしがあたり、瞳の色が煌めく。
(ああ、この目、あの夜会で見た色だわ……本当にフィリシア、なのね、夜会で会ったあの美人……美人? い、え、きれいではあるけど、そういうきれいじゃないというか……)
目を瞬かせるソフィーナの前で、彼、ではなく、彼女はシェイアスに向き直った。
「というわけで、お説教はとりあえず忘れていただいて、と」
そして、普段からやっているように、しれっと小言から逃げ、「今、どうなっているんですか?」と問いかけた。
「ソフィーナ妃殿下は、さほど変わりなくお過ごしになっている。茶会や夜会に出る頻度は減らされたが、お前んちの実家とか“懇意”の貴族の家なんかには、遊びに行っていらっしゃるよ――表向きにはな」
「……」
それを耳にした瞬間、少し思考が戻ってきた。
つまり、ソフィーナがいなくなったと公にし、表立ってハイドランドに責任を追及してくるという選択を、カザックは取らなかった――外聞を気にしてか、交渉材料するためか、どちらだろう。
(なんにせよ、そのために私の代役をさせられているのは、おそらくアンナだわ……)
そう悟って、唇を噛みしめる。
「裏の表向き、つまり俺たちに向けては、お前らは祖国を憂えるあまり飛び出した妃殿下の跡を追っていることになっている」
「よし」
「とりあえず首はない」
手を叩き合わせたバードナーと、ジーラット改めディランに、騎士たちの半分が呆れ顔を見せ、半分が笑った。
「よし、じゃねえよ。フェルドリック殿下がそう言い通してるだけで、騎士団じゃ、裏の裏、お前らが手を貸してるってことぐらい、みんな気付いてる」
シェイアスは「でなきゃ、妃殿下が捕まらない訳がないからな」と2人を睨みつけた。
「妃殿下の追跡を命じられた17小隊が、延々と呪詛を並べてたぞ」
「ちなみに、カーラン第3小隊長は、「あいつ、部下というより疫病神だ。ついにヘンリックまで感化された……」って愚痴を零しながら、胃薬をもらいに毎日医者通いだ」
「そろそろ第1小隊への出戻りが決まりそうだなあ、フィル」
「あと、お前、今度こそ覚悟しておいたほうがいいぞ、副団長だけじゃなく、アレックスも恐ろしい顔をしていたからな」
「今度という今度は容赦しない、だと」
次々に向けられる非難に首をすくめていたディランは、最後の言葉を聞いた瞬間、顔をひきつらせた。
「ええと、なんで私、首謀者扱い?」
「よし」
「っ、裏切る気かっ、ヘンリックっ」
「いや、みんな真実を知っているんだ。実際行くって言い出したのはフィルじゃん」
「あ、あの、彼らに罪は……」
複雑な気持ちは残っているものの、咄嗟に2人をかばう言葉が口をついて出た。
そのソフィーナに、ひどく整った、茶金の髪の騎士が、スッと近づいてきた。
「噂通り素敵な方ですね、妃殿下。いいんですよ、あいつは生まれてこの方、ずっとそんななんですから」
「え、あ、あの、」
「どうか気になさらないでください。貴女が顔を曇らせる必要はありません」
意味深に微笑みかけ、驚くソフィーナの頬に手を伸ばしてくる。野性的な印象のある、整ったその人に、免疫のない心臓が、音を立てて跳ね上がった。
「――ティム、妃殿下に何かしてみろ。この場で肉塊にして、魔物の餌としてばらまいてやる」
「……目が笑ってねえよ、フィル」
「本気だからな」
すぐに、ジーラット、じゃない、ディランの恐ろしい声と目に、固まってしまっていたけれど。
(……やっぱりジーラット、だわ)
ずっと味方でいてくれた人――
名前も素性も関係ない、この人はこの人だ、と思えた瞬間、ソフィーナはようやく息を吐き出すことができた。
「……」
(色々疑問はあるけれど、全て置いておこう。今、私のすべきことをしなくてはいけない。たくさんの命がかかっているのだから)
もう一度深呼吸すると、ソフィーナはシェイアスへと、姿勢を正した。
「シェイアス、貴方に差し支えのない範囲で構いません。シャダの動きで知っていることを教えてください」
「……」
“獅子”と呼ばれるその人は、赤みがかった瞳で、探るようにソフィーナを見つめた。圧力を感じさせるその目をひたすら見返せば、彼は静かに口を開いた。
「貴女は相変わらず命を狙われておいでです。移動の際の襲撃はもちろん、私室への細工、食事への毒の混入未遂などが起きています」
(ああ、アンナ、本当にごめんなさい……)
彼女に頼んだのは、「襲撃のショックを受けたソフィーナが誰とも会いたがっていないと周囲に伝える」ということだけだった。ソフィーナが城から出る時間を稼いでくれさえすればいい。それなのに結局そんな目に遭わせてしまっている……。
「……そんな顔しなくても、みすみす死なせたりしませんって。うちの騎士を選りすぐって、護衛に就けています」
「っ」
思わず顔を跳ね上げれば、シェイアスが苦笑を零した。その顔に泣きそうになるのを堪えて、ソフィーナは次の質問に移った。
「カザックとシャダの関係が改善される兆しはありますか? フェルドリック殿下とジェイゥリット殿下の婚姻の話は?」
「一部それらを押す勢力もありますが、いずれも強くはありません」
(やっぱり……)
ソフィーナは、安堵を覚えた理由を、ハイドランドのためとし、もう1つの理由は見ないふりをする。
旅をしていて実感したとおり、カザック国民のシャダへの嫌悪はすさまじい。
フェルドリック個人の思いはともかく、それゆえカザックは、シャダの姫を娶り、シャダと和解するという選択を取れない。だから、カザックからハイドランドへの支援が見込めないとしても、シャダへの支援もありえない。
それを知らない、いや、国民の意志を気に掛けるという考え自体一切ないシャダは、ジェイゥリットが帰ってこない理由を、カザックの王太子フェルドリックが彼女に魅了されたからだと思っているだろう。
だが、カザックの立場で考えた時、シャダの姫を帰さない理由は? 婚姻は不可能で、かの国に国交正常化などの意志がないのも明らか、国内の反乱因子をあぶりだす役目も終えた。
ならば残るのは――
「シャダは、既にハイドランドへと軍を動かす気配を見せているのね」
――人質、だ。ジェイゥリットは、ハイドランドとシャダの諍いを、カザックに飛び火させないためのカードだ。
つまり、目の前の騎士たちは、ソフィーナの追手ではなく、カザックへの飛び火を警戒して、国境に向かっている、ということになる。
「……」
そのソフィーナへと、シェイアスは満足そうに微笑んだ。
「ウェズ小隊長、国境へ派兵されるのは、第1小隊だけですか?」
バードナーの問いに、「いいや、第1中隊だ。兵はクホートの警護隊を中心に組む予定だ」とシェイアスが薄く笑う。そして、「俺たちは先発、残念ながらアレックスは後発組だけどな」とからかうようにフィルを見た。
一瞬顔を赤くしたディランが「中隊、しかも第3ではなく、第1……」と呟けば、バードナーが「で、クホート」と応じ、2人は鋭い目でシェイアスを見た。
「そゆこと」
彼は軽い声とは裏腹に、目を眇め、不敵に微笑んだ。
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