第25話 追っ手と正体
「そこの3人連れ、止まれっ」
「っ」
黒い森に入ろうとしたところで、背後からかかった声に、ソフィーナは青ざめた。横のジーラットとバードナーが、外套のフードの下で舌打ちを零す。
「しかも第1小隊……」
「よりによって……戦うのは論外として、どうする? 逃げる?」
「いや、ミルトさんとオッズがいる。逃げても捕まる」
「あー、牧場主と駅馬車屋の息子だっけ」
「夜ならこのまま森に入って、1人1人闇討ちって手もあるんだけど」
「物騒すぎ」
バードナーとそんなことを言いながら、ジーラットはこちらへと押し寄せて来る蹄の音へと、ゆっくりと馬首を返した。
「……」
先頭にいる赤毛の、顔に傷のある人に、ソフィーナも見覚えがあった。
カザック王国騎士団第1小隊長ウェズ・シェイアス。赤獅子と言われる彼と、その彼が率いる軍のすさまじい強さは、国境を越えて聞こえてきていたし、元々はカザック人ではないというのに、国王陛下やフェルドリックからも、全面的に信頼されているはずだ。
「任務につき、協力を要請する――顔を拝見したい」
砂埃が舞い、馬の荒い息遣いが響く中、周囲を取り囲んだ10名ほどの黒衣の騎士の厳しい迫力に、ソフィーナは息を呑んだ。
乗っている馬が落ち着きを失くし、盛んに地を蹄でひっかく。
「……」
なんとか宥めようとするが、ソフィーナの動揺が伝わったのか、一向に収まらない。
背後には森が広がっている。いっそこのまま逃げ込もうか、とも思ったが、ジーラットが無駄だと判断する状況だ。
(どう、しよう、どうすべき……)
緊張にソフィーナが震え出した瞬間、目の前のジーラットは、あっさりと外套のフードを取り払った。
「っっ、やっぱてめえかっっ、こんのっ、馬鹿フィル……っっ」
(…………え?)
「お前、どんなことになってると思ってんだっ」
髪と同じくらい顔を紅潮させたウェズ・シェイアスが、そう“ジーラット”に怒鳴りつける。
「さすがフィルと言うべきだな、始末書ぶっちぎりだ」
「このままだと賭けの勝者、いなくなりそうですよねえ。俺、14に賭けてたのになあ」
「フィルさん、心配したんですよっ」
「わはははは、相変わらずだな、フィル。アレックス、静かにきれてたぞ」
「……」
一気に入ってきた情報にソフィーナは混乱する。
助けを求めようと、バードナーに目をやれば、気まずそうに視線を外された。
「忠実に命令を遂行しているのに」
「……その台詞、副団長には言うなよ? 今度こそ殺されるぞ」
「あー、やっぱり?」
怒られているというのに、まったく怯える様子のない彼の横顔をソフィーナは呆然と見つめる。
(ジーラット、よね? 名前はマット……でも、今、みんななんと言った? フィル……? そういえば、カザレナで彼らと再会した時、確かバードナーも……)
「お前なあ……」
カクリと肩を落としたシェイアスは、疲れたようなため息を吐きながら、ソフィーナを手招きした。
「妃殿下、そんな非常識なやつと一緒にいたら、世間に復帰できなくなります」
「小隊長もたまには正しいこと言いますね。さ、妃殿下、こちらへいらしてください。非常識が移りますよ」
「人としてまっとうに生きていきたいなら、こっち側に。ヘンリックももう諦めたほうがいい」
「その言いようは、さすがにひどくないですか……?」
引きつった顔で返したジーラットと騎士たちを交互に見比べつつ、ソフィーナは訳が分からないなりに、バードナーの陰に隠れた。
「あーあ、隠れちゃったじゃないですか、小隊長の顔が怖いから」
「ミルトに言われる筋合いだけはねえよ」
「俺、それでも妻子持ちですからねー」
「たまたま理解のある嫁に出会えただけだろうが!」
大柄でいかめしい顔をした騎士とシェイアスの言い合いも、ソフィーナ以外誰も気にしないようだ。
「妃殿下、美味しい物をあげますから、こっちに」
「そいつと一緒だと、変な物食わされますよ、魔物とか、毒キノコとか」
「してませんってば。逆に食べたがっていらしたソフィーナさまをちゃんとお止めしま」
「――食べたがってません」
バードナーの背の後ろから、そこは咄嗟に訂正できた。
そのせいだろう。目立つ茶金の髪の背の高い人が、こちらを睨んできて、またソフィーナは息を止めた。
「ヘンリック、てめえもフィルの相方なら、そいつ、きっちり止めろよ」
「あー、俺にはちょっと荷が重いかなあなんて…」
「ちょっと待て、ティム、なんで私が首謀者だと決めてるんだ?」
(やっぱりフィル……と、いうか、待って。フィル、って、まさか……)
「フィ、ル、ディラン……?」
何度も何度も聞いた名前だった。
街の人々が、フィリシア・ザルアナック・フォルデリークについて話す時に好む名だ。騎士になった当初、出身から性別から全て内緒にしていたという彼女が名乗っていたと言う……。
「……」
唖然として、ジーラットを見つめるソフィーナに、彼は緑の目を緩めると、馬から身軽に飛び降り、馬上のソフィーナへと腕を伸ばした。
彼に抱え下ろされたが、地に足がついている気がしない。
「改めまして、」
そのソフィーナの目の前に、彼はおもむろに跪き、手を握る。そして、
「フィル・ディランこと、フィリシア・ザルアナック・フォルデリークと申します、ソフィーナ・ハイドランド・カザック妃殿下」
そう名乗り、この上ないほど優雅に甲へと唇を落とした。
「……」
真っ白になったソフィーナを、母もこの時ばかりは咎めないと思う。
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