第24話 決別と未来
「やっぱり様子がおかしいですね。ちょっと聞いてきます」
食堂を出、街道に戻ると、バードナーがすぐに足を止め、ソフィーナとジーラットを振り返った。
森がジーラットの領域なら、街の中はバードナーの本領だった。
幼い頃、家族で行商し、様々な国を周っていたという彼は、ハイドランドへのルートにも詳しく、騎士団や警護隊の目の届きにくい、裏道も知っていた。
かなり目立つ見た目をしているというのに、気さくな人柄を生かして、自然に街に溶け込み、人とうまく会話しながら、器用に物や情報を得てくれる。
これまで、そうしてカザックと、暗殺しようと仕掛けてくるだろうシャダの目を掻い潜って来たのだが、彼曰く、ここに来て少し雰囲気が変わったらしい。
「ねえ、おじさん、妙に混んでるんだけど、なんかあんの?」
街道の行く手の人込みを指さし、バードナーが逆方向から来た行商人に、人懐っこい笑顔で声をかけた。
「ああ、なんか検問やってるぞ。そっち側だけだけど、警護隊だけじゃなく、騎士もいた。犯罪者でも追ってるのかね」
「うへえ、なんか怖いな」
「珍しいよな、カザックでそんな凶悪犯が出るの。兄さん、気を付けなよ」
「ありがとう。おじさんも気をつけてね。パメシャナさまのご加護がありますように」
数ある商売の神のうち、もっとも古く、今となっては信仰する人が少ない神の名を口にしたバードナーに、商人は目を瞬かせた。
「なんで俺がパメシャナさまを祀ってるとわかったんだい? あんたみたいな若いのがパメシャナさまを知ってるってだけでも驚きなのに」
「昔行商で顔出してた店のご隠居さんに可愛がってもらったんだ。そのばあちゃんが、そのお守りのことを教えてくれた。商人は足を大事にするんだよって」
そう言って、バードナーは商人の靴についた、色あせた房飾りを指さした。
なるほどなあ、と嬉しそうに笑った商人は、それから声を潜める。
「あんた、この先ハイドランドとの峠を越える予定はあるかい? なら、王都には近づかないほうがいい」
「とりあえずアチルドに行く予定だけど……ハイド、なんかあんの? 親戚いるんだけど」
「国王陛下が亡くなって、同時に太子殿下がご病気――どうもきな臭いんだ。どっかの私兵、つーか、ありゃルートヴィ侯爵んとこの連中だな、そんなんが我が物顔で街中をうろついてる」
「それって……」
「ああ。賢后陛下も身罷られて、お優しいほうの王女殿下も、カザックに行っちまって、もういらっしゃらない。ようやく上向いてきたとこだったのに、あの国、どうなんのかね」
商人は「あんたの親戚にも声かけてやったほうがいいかもしれないよ」と言い、最後にパメシャナの加護を祈って、去っていった。
(他国の旅人にもわかるぐらい、不穏な状況なのだわ……)
祖国の状況を耳にして、蒼褪めるソフィーナの頭を、ジーラットは気遣うように優しく撫でた。
「1つ1つ、できることをやっていきましょう」
「……ええ。ありがとう」
言い聞かせるように言われ、気が鎮まった。その通りだ、焦っても仕損じるだけ。
「検問が私を対象にしている可能性はあるかしら?」
気を取り直して、戻ってきたバードナーに問いかける。
「はっきりとはわかりませんが、騎士がいる以上、ばれて問題にされるでしょうね」
「……ねえ、ここで別れない? これまで付き合ってもらって、本当に感謝しているの。でももう十分だわ。私と一緒に居たのがばれたら、処罰を受けることになる」
「いやです」
「何を今更」
本気で案じているのに、本人たちにあっさり却下されて、ソフィーナは口の両端を下げた。
(じゃあ、嫌な言い方になってしまうけれど……)
「私だけなら検問を越えられるもの。自分で言うのもなんだけど、地味だし、騎士団に行ったこともないし、出会ったことのある騎士も数えるほどだし、絶対にばれない」
精いっぱいあなたたちが足手まといだとほのめかしてみたのに、バードナーだけでなく、ジーラットも「無理ですって」と首を横に振った。
「む、無理じゃないわ、少しは旅に慣れたし、すぐハイドランドだし」
「そっちも無理だと思いますが、ソフィーナさまの正体もばれるってことです」
「騎士団じゃ既に人気者ですからね。街に降りた時、騎士団の連中が入れ代わり立ち代わり見に来てたの、気付きませんでした? 護衛も第3小隊を中心に、すごい数の志願者がいたんですよ」
「……」
おかしな話に眉根を寄せれば、「変な物を見る目で見ないでください」と2人は苦笑を零した。
「やっぱり森に入りましょう」
「でも、この先の森から山にかけて、血吸いという魔物が出ると言っていたじゃない」
「大丈夫です。数がいるだけで強くないので」
「人だろうと魔物だろうと、ソフィーナさまに手出しさせる気はないけど……グリフィスを大した事ないって言う奴を信じろってか?」
「血を吸われても気を失うほど痛くはないし、死ぬほど吸われることも滅多にない。だから、いざって時はソフィーナさまの代わりに、安心して吸われておけ」
「どんなフォローだ」
状況は結構切迫しているように思うのに、2人は相変わらずで、なぜか(話の内容の割に)ほのぼのしている。
いい加減彼らを解放するべきだと本気で思っているのに、一緒に行くと言ってもらえて、ほっとしてしまうのも事実だった。
『安心していい』
(違う。大丈夫だと思えるのは、あの人の言葉ゆえじゃない。2人はそうだと、経験で裏打ちされているから)
脳内にまたフェルドリックの声が響いて、またバカみたいに胸を痛めたところへ、バードナーが声をかけてきた。
「妃殿下、申し訳ないのですけれど、今日も野営に……」
「謝る必要なんてまったくないわ。また星が見られるもの」
本当は体中がぎしぎし言っている。だが、口にしない。言う資格がないのもだが、優しい2人に気遣いをさせるのはもっと嫌だった。
(アンナはどうしているかしら? ひどく咎められていないといいけど……我ながら本当に最低な主だわ)
もう1人、2人に負けず優しい彼女を思い浮かべ、ソフィーナは顔を顰めると、来し方の南へと目線を向けた。
人目を避けるように、森へと動き出したところで、人々の話し声が耳を掠めた。
「聞いたかい、フェルドリック殿下が、ご側室にシャダの姫を迎えるかもしれないって話。こないだ通ってったおかしな馬車があっただろ、あれに乗ってたんだってよ」
「ひょっとして、宿屋のケレジムが殴られたってやつか? どいつもこいつもめちゃくちゃ高圧的で、嫌な奴ばっかだったって……」
「うへえ、本当の話かい、それ。勘弁してくれよ、あんな国」
「殿下はご聡明だって話だったのに、ちょっとがっかりだねえ」
(やっぱり……。思っていた以上に反感がすごいわ)
カザック国民のシャダへの悪感情がこれほど強いとは、ソフィーナも知らなかった。
となれば、事前の想定と違い、カザックはシャダの姫を迎える訳にはいかないかもしれない。つまり、和平交渉も国交化正常化交渉も進展していない以上、カザックとシャダの同盟はない。
「……」
静かに馬を進めながら、ソフィーナは視線を地に落とした。
お互いカザックの援助がない場合、父を殺し、兄と姉を押さえたシャダは、ハイドランドに対し、どう動くだろう。
(私を狙うことには変わりがない。問題は私をこのまま殺せない場合――シャダは兵を出してくるかしら?)
出してきた場合、ハイドランドはシャダに勝てるだろうか?
(通常ならば勝てる。けど、シャダと通じて謀反を起こした人間が国内にいて、それにも同時に対処するとなると、かなり厳しい。それに、勝てたところで、今年の収穫は確実にダメージを受ける……)
「……」
そんなことを考える一方で、あの襲撃の日、ソフィーナの目の前で抱き合っていたフェルドリックとジェイゥリットの姿と、ソフィーナには絶対にしない仕草と笑顔で彼女に接する彼を思い出し、眉根を寄せた。
想っていても結ばれない、想っていなくても結ばれる――王族にある者の定めだ。
だから、あの2人がどれほど想い合っていようと、当人たちにはどうにもできないこともある。気持ちはわかるのだから同情すべきなのに、浅ましくも喜んでしまったことに気付いて、ソフィーナは自嘲を零した。
(本当にもうやめよう……)
ソフィーナは意識して息を吸い込みながら、顔を上げた。
すぐ目の前に、高い山々がそびえている。夏だというのに、頂は白い雪を冠していて、青空に映えて美しい。この向こうが、ソフィーナの故郷だ。
もう国に帰るのだ。帰って、兄を解放して、シャダからハイドランドを守り、縁の切れるカザックと向き合う方法を考える。そうして、ハイドランドの人たちと生きていく。寂しいけれど、ジーラットたちともお別れだ。
それができたら、いつか大事な誰かを見つける。結婚半年で真っ白なまま婚家から戻ってくるような娘だから、すぐには無理でも20年後ぐらいなら。
『ソフィーナ』
その頃には、名を呼ぶ声を思い出すたびに、痛みを感じることなんて、きっとなくなっている。
『おいで』
気まぐれに笑いかけてきた顔も、きっと忘れることができる。
その為に一度だけ、これが全て片付いたら一度だけ、あの性悪なカザックの王太子に言ってやろう。
『僕に惚れているんだろう?』
そうです、貴方をどうしようもなく好いているのです、と負けを認めて伝えよう。
『相手が僕だというのが気に入らない?』
気に入らないのではなく、逆だと、だからこそ大事な1人になれないことが耐えられない、そう告げよう。
『生憎だったね、それでも君はここに、僕に縛り付けられる』
そして、決別しよう――だからこそ、あなたに縛り付けられてなどやらない、と。
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