第22話 懇願と命令

 焦るソフィーナの目の前で、ジーラットはあっさりと、けれどひどく手荒に男達を片付けてしまった。

「やっと追いついた……って、うわ、また派手に……」

「ソフィーナさまに触れていた。殺しても飽き足りない。ああ、いいことを思いついた、歯も折ってやろう。二度と下品な言葉が吐けないように」

「……15枚目だよ、やめとけってば。俺までとばっちりを喰らうんだぞ?」

「14が15になったからなんだって言うんだ。付き合え、友よ。世のためだ」

「そんな友情はいやだ」

 バードナーまでやってきて、ジーラットをなだめ始めた。


「……」

 絶望が広がっていく。


「…………お願い、見逃して」

 静かになった路地に響いたソフィーナの掠れ声に、既に失神した男の襟首をつかみ上げていたジーラットが、眉をひそめながら振り返った。

 バードナーもこちらを見ている。

「このまま行かせて、お願い」

 唇を湿らせ、再度懇願を口にする。地についた手をぎゅっと握りしめれば、爪に土が食い込んだ。

「兄を助けたいの。ハイドランドの土地は、カザックよりはるかに貧しいの。兄でなければ、皆苦しむ。たくさんの人が死ぬことになるの」

「お願い……優しい人たちなの、私なんかを頼って、慕ってくれたのよ、見捨てられない」

 2人を見つめながら、ソフィーナは必死で言い募った。


「はい」

「っ、おい、フィ…………って、そういう奴だった」

(……え?)

 あっさり頷いたジーラットと、その横で肩を落としたバードナーに、ソフィーナは目を見開いた。

「……」

(今、彼は「はい」と言った……?)

 ソフィーナは、おそらくとんでもなく間抜けな顔をしていたと思う。


「ですが、条件があります」

 だが、そう続けたジーラットに、一瞬で我に返った。いざとなれば2人から逃げ出せるように身構える。

 ジーラットは頭を覆っているフードを取り払うと、ソフィーナに向き直った。傾いた陽光を受けて光る緑の瞳は、やはりひどく美しい。


「私も行きます」

「…………え?」

 ワタシモイキマス――咄嗟に理解できなかった。ソフィーナはただただジーラットの目を見つめる。

「ですから、私も妃殿下と一緒に行きます」

「…………な、に、を、言って……」

 喘ぐように呟いたソフィーナに、ジーラットはあくまで淡々と答えた。

「けっこう私は、ええと、そう、アンリエッタの言うところのお買い得ですよ? 強いし、旅慣れていますし、人の気配を察するのも得意。追っ手も簡単に撒けます」

「い、え、そういう、話、ではない、と思う、のだけれど……その、アンリエッタとはどなた、という話でもなくて……」

「森の中で食料を見つけるのも得意なら、歌や賞金稼ぎで路銀を稼ぐことも出来ますし、魔物退治もお手の物――だから連れて行ってください。損はさせません」

 再び頭が真っ白になり、しどろもどろになるソフィーナに、ジーラットは真面目に応じた後、「ちなみに、アンリエッタとは私のもう1人の親友です」と微笑んだ。


(いっしょ、に……、わたし、と……)

「……」

 彼らを裏切って、城を逃げ出したにもかかわらず、柔らかく笑いかけてくれるジーラットの顔を見ていたら、今度こそ泣けてきた。

「ほ、んきで言っているの……?」

「ええ」

 頷いた彼の姿が涙で滲んでいく。本当にどこまで人がいいのだろう。


「ダメ、逃亡扱いになるわ」

「なりません。だって私たちに下されている命令は、あなたをお守りすることですから」

 騎士は、上の許可なく持ち場を離れてはいけない。破れば当然罰則がある、と止めるソフィーナに、ジーラットは笑った。

「あー……つまり、妃殿下がどこで何をなさっていても、守っていさえすれば問題がないって言う気だ……」

「さすが親友」

「それ、嬉しくない……」

 ジーラットの無茶苦茶な案に、バードナーはため息をつきながら、いつも通り緊張感のない声で応じた。


「あ―あー、もーこんな無茶して。怪我しちゃってるじゃないですか」

「バードナー……」

 それからバードナーは屈みこみ、ソフィーナの腕を取ると、傷を見て顔を顰めた。

 外套のポケットから消毒液と薬を取り出すと、「すみません、お側を離れるべきじゃなかった」と言いながら、手当てしていく。

「それは私がアンナに頼んで人払いしたからで……」

「ほんと、ほっとけないですね。こんな大胆なこと、思いついて実行しちゃう方。普通、襲われてすぐにこんなことします?」

「……」

 ソフィーナは、優しい茶の目を緩ませて苦笑するバードナーを呆然と見上げた。頭に大きな手が落ち、なだめるかのように、その場所を穏やかに撫でられた。



「俺、メアリーに少しカザレナを離れるって話してくるから」

「じゃあ、マイソンの宿場町の食堂で落ち合おう」

「いや、その手前の脇道で北に入ってくれ。街道から逸れた生活路だよ。しばらく進むと小さな村があるから、そこの木賃宿で。バードナーの名を出せば、馬を世話してくれるから……って、路銀、ある?」

「あんまり。馬を買った後は、野宿して、その辺で狩りでもするさ」

「……妃殿下はそれじゃきついだろ。いいよ、俺が何とかする」

「何なら実家に声かけてくれてもいいけど?」

「それぐらいなら俺の実家に行く。親父さん、また激怒させる気か。そのうち倒れるぞ」

 バードナーはため息とともに、「ほんと、フィルといると、いつもとんでもない目に遭う」とジーラットを一睨みして、駆け出していった。

 小さく舌を出してその彼を見送ったジーラットは、座り込んだままのソフィーナに、手を貸してくれた。


「……本気、なの……?」

「さっきヘンリックが言った通りです。私は命令に忠実なんです」

 呆然とするソフィーナに、にやっと笑うと、彼はその手を引き上げた。そして、眉を跳ね上げ、ソフィーナの指先についた土を払う。

「何を言っているの、どこでもいいから守っていればいいなんて言い訳、きっと聞いてもらえない。もし、もしも罰が下ったら、ただでは済まないはずよ」

「その時はハイドランドで雇ってください」

「ねえ、冗談じゃないの。良くて失職、下手したら犯罪者よ?」

「騎士団にいるのは、大事なものを守りたいからです。目的と手段を取り違えはしません」

 静かに、けれど頑として言い切った彼を、ソフィーナは見上げる。


 夏の午後の蒸し暑い風が、汚れた路地を吹き抜けて来て、彼の前髪を巻き上げた。額と髪の生え際にかけて、美しい顔に不釣り合いな、大きな傷があることに気付く。その下にある目はひたすら優しい。


「大体……ジーラット、貴方だけは知っているでしょう、私がこんな無茶苦茶なやり方で帰ろうとしているのは、もうどうでもいいと思っているからだって……」

 何がどうでもいいのか、この期に及んで口に出せない自分が、情けなくて涙交じりになった。


 時間がかかったとしても、フェルドリックを説得し、カザックの同意を得て、それからハイドランドの救援に向かうというのが、本来のやり方だ。ソフィーナが今後カザックでやっていこうと思うならば。

 もうそこを気にかける必要がなくなったから、ソフィーナはハイドランドにとって、最短で最もリスクのない方法を選んだ。


 唇を噛みしめたソフィーナを、ただ微笑んで「行きましょう。あなたに幸せでいて欲しいと願う人は他にもいる――必ず守ります」と引いてくれるジーラットの手は、ひどく温かい。


『大丈夫、安心していい』


 咄嗟にいつかの夜に聞いた声が頭に響いて、ソフィーナはつい――

「……」

 その手をぎゅっと握り返してしまった。

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