第20話 血と罠


「ようこそおいでくださいました」

「お招きにあずかりまして」

 呼び出された場所は、王宮のごく近く、カザレナ王朝時代のシャダの大使館だった。カザック朝が興って断交した後は、カザック王国に押収され、催し物などの際に使われていると聞く。

 通された中庭では、四季咲きのバラの花が咲き乱れ、その間を色とりどりの蝶が飛び交っていた。

 その中央に設えられた茶席は、シャダの様式だ。

 出迎えたジェイゥリットの後ろには、彼女が自国から率いてきた侍女たちと、アレクサンダー、金色の髪の騎士がいる。

「ああ、こちら、私の護衛をしているジュリアン・セント・ミレイヌです。ミレイヌ侯爵の弟なのですって。先日は紹介し損ねてしまいましたが」

 性懲りもなく、再び蔑みの視線でバードナーとジーラットを見る彼女の性根に嫌気が差す。が、紹介された方の騎士が、一瞬だけ不快そうにジェイゥリットを見たことで、内心を押し殺して、微笑むことができた。彼もカザックの騎士ということなのだろう。


 周囲にはシャダからの従者と、旧王朝に縁のあるカザレナの貴族たち――いずれも現王朝で不遇を囲っている者たちだ。やはりというべきか、ロンデール、ホーセルン、フォルデリークに連なる者はいない。三大公爵家は情勢を見極めるまで軽々しく動かないのだろう。

(考えの浅い人間の集まり……ならば、仕掛けてくるのは今日)

 親しくもないソフィーナに直接、しかも当日朝に招待を出してきたのも、警護を固める時間を与えないためなのだろう。ソフィーナが断ったらどうするつもりだったのか、実にずさんだ。

 おそらく周囲に何か仕込んでいるはず、と思ってバードナーを見ると、既に彼は鋭い目つきで四方へと視線を走らせていた。そして、ソフィーナの視線に気づき、頷く。

 いつもニコニコしている彼の意外な面をまた見つけた気がする。



 ソフィーナはジーラットのエスコートで、定められた席に向かった。

 彼はソフィーナの手を取り、いつも以上に甘やかに微笑んで、椅子を引く。いつもながら、こういう時の彼の所作は、思わず見惚れてしまうほどに優雅だ。

「どうぞ――麗しの我が妃殿下」

 そうして、着席を促すと、ソフィーナの横に膝を落とし、心配そうに顔を覗き込んできた。風で頬にかかった横髪を肌に触れないよう、丁寧に耳にかけてくれる。

「暑くはありませんか? 凛冽たる極夜に舞い降りる六花を、カザレナの炎陽も焦がれましょう」

(創世紀の一節だわ、私が北国の出なことに掛けた……カザックの騎士ってそんなことまでするのね)

「わたくしの司雲のグレミアはいずこ?」

 感心と呆れを抑え、余裕を見せて微笑んでみれば、ジーラットは目の端で笑った。

「片時も離れずお側に。我が身、霧消しようとも、妃殿下の盾となりましょう」

 そして、ソフィーナの手の甲に優しく口づけを落とした。


(こういうとこ、茶目っ気があるのよね)

 おそらくジーラットは、先日のジェイゥリットとフェルドリックのやり取りを聞いて、ジェイゥリットには高位貴族の子女に求められる教養がないとみなした。で、仕返しに利用したわけだ。

 彼は自分のためには怒らない。自分たちが下賤と侮られたことで、ソフィーナが貶められることを怒ってくれているのだろう。


 周り全員が呆けたように、ジーラットとソフィーナのやり取りを見つめている。特に、年頃の女性たちからは、羨望を向けられるのを感じた。

 皆と同様、信じられないものを見るようだったジェイゥリットが、一番先に我を取り戻したらしい。歯噛みする音が聞こえてくる。

「……」

 その彼女にソフィーナは微笑みかけた。緊張で手に汗が滲んでいることを知られないで済むよう、内心で祈りながら。




 表面だけを取り繕った茶会が始まって30分ほど経った頃、それは起こった。

「っ」

 給仕していた者が、ソフィーナへといきなりナイフを走らせる。

 息を呑んだソフィーナをジーラットが抱き寄せ、直後に目の前に血飛沫の幕が下りた。白いテーブルクロスに、赤い染みが飛び散る。


「きゃあっ」

「ひ、いや、いやあっ」

 陶器の砕ける音に続いて悲鳴が響き渡った。

 貴族たちの間やそこかしこの樹木の陰から、手にナイフや剣をもった刺客が出てきた。

 たくさんの足音がソフィーナへと向かってくるのがわかった。そして、数名がジェイゥリットへと向かっていく。


 覚悟していたつもりだったのに、完全に硬直してしまったソフィーナを、ジーラットはバードナーに渡した。

「頼む」

「了解。妃殿下、俺から離れないでください」

 ジーラットの平坦な声に、そのバードナーがやはり冷静に答えた。

「……」

 庭園の左手にある屋敷の二階から、人影が出て来た。息を止めたソフィーナに何かが飛んでくる。

 矢だ、と認識した瞬間に、バードナーがそれを剣で打ち落とした。

 ほぼ同時に、射手に向かって、ジーラットが光る何かを投げつけた。ナイフの刺さった胸を押さえ、射手の体が入り口上のファサードへと落ちる。

「ひめさま……っ」

 背後に控え、いざとなったら隠れるよう言われていたアンナが、走り出て来てソフィーナに覆いかぶさった。

 アンナの腕とバードナーの背の向こうに見えるジーラットが、人に囲まれてしまった。

(ジーラット……っ)

 戦慄するソフィーナの視線の先で、彼は狭い空間の中、舞い踊るかのように動く。白刃の軌跡にわずかに遅れて、鮮血が噴き出した。

 同時に、3名が地へと崩れ落ち、彼が絶命させたのだ、と悟った。強いとは聞いていたけれど、と思わず呆然としてしまう。


 ジェイゥリットへの刺客を早々に片付けたアレクサンダーが、ジーラットに加勢する。剣を受け止めようとする努力を嘲笑うかのように、彼はその短刀ごと刺客を叩き伏せ、「侵入者だ」と平静そのものの声を上げた。

「ひ、姫さまには指一本触れさせませんっ」

 その2人を何とかかいくぐった刺客が、ソフィーナに向かってくる。さらにきつく抱きしめられたアンナの腕の間から、ソフィーナが見たのは、血走った目と狂気じみた殺意。

 全身が総毛だった瞬間、その男はバードナーによって、喉を貫かれ、あっさりと退けられた。


「第8小隊、出口を封鎖」

「しらみつぶしに探せ、1人も逃がすな」

 遠くに響く声とおびただしい足音。黒と銀の制服に、やはり騎士団がいた――と認識する頃には、すべて危険は去っていた。

 血まみれのジーラットの足元には10体をゆうに越える遺体と、そして呻き声をあげる2名が転がっている。ジェイゥリットたちの前には、アレクサンダーとミレイヌがいて、遺体を前に、剣についた血を拭っていた。


「出番があんまりないのも悲しい」

「不謹慎だなあ」

 ジーラットはバードナーとそんな緊張感のないやりとりをしながら、その2名に猿轡を噛ませ、手足をロープで縛り上げた。


「ますます強くなってないか……?」

「実戦でこそ圧倒的なんだ。急所を容赦なく攻撃できるからな」

「討ち合いより殺し合いってか……物騒な奴」

 やはりどこか冷めた空気で、アレクサンダーがミレイヌと話している。


 慣れた様子の彼らを横目に、ソフィーナは目の前で繰り広げられた、死のやりとりにひどく狼狽していた。

 ジーラットの前の遺体から、音もなく赤い海が広がっていく。生々しいその血溜まりから生存本能が忌避する臭いが漂ってくる。

 優しく、美しいジーラットたちの体は、赤く染まり、同じ臭いが漂っている。


 血の中に倒れ伏したうちの1人の、見開かれた目と視線が合って、ソフィーナは全身を震わせた。

(私も、一歩間違えば、あんな風に……)

 理解しているつもりで、まったくだった。青みがかった顔の、うつろな瞳がソフィーナを凝視する。

「……」

 怖気と共に、胃液がこみあげてきた。

「ソフィーナさま、だいじょうぶ、です」

 動揺で震える体を、自分自身震えるアンナが、抱きしめてくれた。すがるようにその体を抱き返す。


「ソフィーナ妃殿下」

 気遣う様なバードナーの声に、目を見開いたまま絶命した刺客の濁った瞳から、なんとか視線を引きはがせば、ジェイゥリットが周囲の者たちと身を寄せ合い、顔を覆って泣いているのが目に入った。

「……っ」

 泣き崩れる彼女を見るうちに、激情としか形容できない感情がこみあげてきて、ソフィーナは頭に血を上らせた。

 ジェイゥリットが事情を知らなかったはずはない。

 自分たちの欲望のまま、父を、ソフィーナを、兄を殺し、ハイドランドを、フェルドリックを手に入れようとする。その為にこんな風に人を死なす。

 人を何だと思っているの、と詰ってやろうとして口を開いたが、すぐに噤んだ。


(シャダがこうである以上、もし、この先私が仕損じれば、失敗すれば、さらにたくさんの人が死ぬ――)

「っ」

 そう悟った瞬間、ソフィーナの全身の肌は粟立った。

 プレッシャーと混乱が、瞬時に湧き上がってきて、恐怖で取り乱しそうになるのを、ソフィーナは全身全霊をかけて抑えつける。


「さて、何か聞き出せるのか。楽しみですね、主催者殿」

 相変わらず泣くジェイゥリットに、ジーラットが冷たく吐き捨てた。

「戻りましょう、ソフィーナさま。アンナさんももう大丈夫ですから」

 バードナーが安心させるように、微笑みかけてくれて、やってきたジーラットも横に並んだ。

「……」

 2人を前に、涙腺が緩んだ。

 向こうにいるアレクサンダーが心配そうにこちらを見ていることにも気づいたら、視界が滲み出す。

「――無事か」

 だが、聞こえてきたその声に、ソフィーナの感情は停止した。


 アレクサンダーとミレイヌが脇に退いて、目に入ったのは、中庭を駆けて来る、フェルドリックだった。

(はし、ってる……)

 仮面をかぶって優雅にふるまう姿か、冷めた顔で皮肉に毒を吐く姿しか見たことがなかったソフィーナは、驚きのあまり零しかけていた涙を退かせた。


「フェルドリックさまっ、怖かったっ」

 駆け出していって、泣きながら抱きつくジェイゥリットの姿と、その彼女を丁寧に抱き留めたフェルドリックの姿に、チクリと胸が軋んだ。

 即座に感情の全てに蓋をする。泣くこともできなくなったけれど、むしろ好都合だと自分に言い聞かせる。

「……部屋に戻りましょう、妃殿下」

 同じ光景を見ながら、無表情に言ったジーラットは、ソフィーナと目が合って、また安心させるように笑ってくれた。

「……」

 止めたはずの涙が、彼のその顔にまた溢れそうになる。


「わっ」

「部屋までそれを被っていけ」

 アレクサンダーが上着を脱いで、血まみれのジーラットにばさりとかける。それからハンカチを取り出してその顔を拭った。そうして何事かを囁くと、その頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

(ああ、仲がいいのね。でもジーラットなら、あのアレクサンダーが優しい顔をしているのも不思議はないわ)

 近寄ってくる気配から意識を逸らしたくて、彼らを見ていたのに、結局目の前にやってこられてしまって、逃げられなくなった。

「ソフィーナ、怪我は」

「……ありません」

 ソフィーナにかけられた言葉は、ひどく優しく聞こえた。ぎゅっと身をすくませて、顔を見ないように応えを返す。

(そんな声をかけないで。喜んだところで、突き落とすだけのくせに)

「ひどい顔色だ」

(それ以上側に寄らないで。温かみを知らしめてから、冷たさを思い知らせるくせに)

「ええ、さすがに気分がすぐれないので、御前、失礼いたします」

 そう言って身を引く。

「ソフィーナ」

(顔を見ては駄目、いつだってそうやって間違いを犯してきたのだから)

「フェルドリック殿下。わたくし、怖くて……」

 ジェイゥリットの声に、ソフィーナは胸を撫で下ろした。胸に走る痛みは、いつものごとく気付かない振りをしてやり過ごす。

「私は大丈夫です。申し訳ないのですが、後をお願いいたします」

 そうして、顔を見ないままフェルドリックに礼をとると、ソフィーナはジーラットとバードナー、アンナと共に部屋へと戻った。



「少し疲れたから休むわ。2人とも今日は本当にありがとう」

 ――今日だけじゃなくて、本当はこれまでのこと全部にお礼を言いたいのだけれど。

 ソフィーナは心配そうな表情を向けてくる騎士の2人に礼を言いつつ、彼らを遠ざけ、部屋に籠る。

 悲愴な顔をしたアンナと服を取り換え、街歩きのためにカザレナの雑貨屋で購入した財布を持った。あらかじめ壊してばらしておいた装飾品の、目立たない部分だけをポケットに突っ込み、時計を見れば、ちょうど昼時前。

 城で働く者たちの目が行き届きにくくなるその時間に付け入り、ソフィーナは静かにカザック王城を抜け出した。



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