第19話 裏切りと算段

「ジェイゥリット殿下、ご連絡いただければ、手はずを整えて、相応しくお迎えいたしますのに」

 綻びのない笑みを浮かべて、フェルドリックはかの国の姫を迎えた。

 その隙に息を吐き出して、気を落ち着けると、ソフィーナも視線を彼女に向ける。

「まあ、お優しいご配慮」

 シャダの姫は、ざっと室内を見回し、ソフィーナにむけて、優越感をにじませた。

 状況を見、ソフィーナと自分の扱いの差がわかったからだろう。急に呼ばれて、慌ただしく訪れ、茶もないまま、ハイドランド国王暗殺に伴う話をしていたソフィーナと、丁寧で優しい言葉をかけられるジェイゥリット。


「私が殿下のお顔を拝見したかったんですの。朝お別れした時、殿下も名残を惜しんでくださったでしょう?」

 フェルドリックへと艶っぽく微笑んで見せたあと、彼女は意味深にソフィーナの反応を窺う。

 彼女がカザックに来てから、フェルドリックがソフィーナの寝室を訪う回数は減っている。ジェイゥリットの言葉は、それを踏まえてのソフィーナへの挑発と思って間違いないだろう。

 無駄なことを、と思う。ソフィーナの部屋にいくら訪れようと、フェルドリックは指一本触れてこないのに。


「朝の庭園はお気に召しましたか? バラの香りは早朝が特に素晴らしい」

 フェルドリックの返事を聞くともなしに耳に入れながら、彼女の背後を見れば、彼女の護衛についたというアレクサンダーが、無表情に立っていた。

 その横には「うわぁ」とでも言いたげな顔をしたバードナーと、嫌そうに顔をしかめているジーラット。もう1人、見慣れない金髪の騎士もいる。


 ソフィーナの目線を追ったのか、ジェイゥリットは、にぃっと音が立つように唇を歪ませた。

「お気づきになりまして、ソフィーナさま? 先ほどはすぐに立ち去ってしまわれたので、ご紹介もままなりませんでしたが」

 そう言いながら、自分の背後にいるアレクサンダーを扇で指す。まるで物にするかのようなその仕草のせいだろう、彼の眉間が微妙に狭まった。

「フォルデリーク公爵家のアレクサンダー、わたくしの護衛です。わざわざ殿下自ら従弟のアレクサンダーをご推薦くださいましたの。あら、ごめんなさい。ソフィーナさまの護衛は、その卑しい者たちでし」

「――訂正なさい」

 この場の誰より早く、考えるより先に言葉が口を突いて出た。

「私の騎士に無礼な物言いは許しません」

(バードナーもジーラットも少し変わってはいるけれど、騎士らしく精神の高潔な、優しい人たちだ。その彼らを貶めることは許さない)

 言葉が遮られるなど、考えたこともなかったのだろう、唖然とした後、徐々に顔を紅潮させていくジェイゥリットの正面へと、ソフィーナは向き直った。

「あ、あんな下民のお味方をなさるのっ? 身分の卑しき者をそう申したまでのこ」

「先ほどのフォースン・ゼ・ルバルゼへの発言と言い、真に卑しきはあなたです」

 他者を征するときは、静かに、ただし断固として――母の言葉が守れているか、怒りと軽蔑が強すぎて心もとない。

「な、なんですって」

「大切なのは、生まれではなく、何を成すか、成そうと努力しているかです。生まれや身分を除いた時、貴女自身に何が残ると言うの」

「……っ、フェルドリック殿下、お聞きになりまして? 今ソフィーナさまがわたくしを侮辱なさ」

「大丈夫。残るものをただお話しになればいいだけです。無いわけがない――そうでしょう? 古語による神讃歌の暗誦などいかがですか? そうでなくても、創世紀などをその美しい声で謳っていただければ、皆納得するでしょう」

 屈辱のために顔色を失ったシャダの姫が、すがるように見た先のフェルドリックは、優しく、安心させるように彼女に微笑みかけた。が、生憎と彼はフォローに失敗したらしい。

「……こ、このような下賤どもに聞かせるなど、もったいなくて」

 頬を戦慄かせたジェイゥリットは、不機嫌を露にソフィーナから顔を背けた。

 

(下賤だのなんだのと、性懲りもなく……)

 思わずジェイゥリットを睨めば、その向こうに目が行った。

 ソフィーナと目が合ったジーラットはにっこり笑い、そのまま嬉しそうに横のアレクサンダーを見上げた。フォースンはなぜか眼鏡を外して、目元を拭っているし、バードナーにいたっては、腕を曲げて「よくやった」的な合図を送って来て……。

「……」

(今謂われなく侮辱されたのは、あなたたちでしょうに……)

 呆れたけれど、同時に温かい気持ちが広がっていく。それに勇気付けられた。


「では、殿下、ご機嫌よう」

 フェルドリックに礼を執って踵を返すと、目線でジェイゥリットを脇に退け、退出していく。

「ソフィーナ」

 名を呼ばれて、振り返ろうか迷って、結局。

「……失礼いたします」

 そういう未練がましさが、現況の全て原因なのだと思い至って、前へとただ足を動かした。



* * *



「アンナ、お願い」

 窓もドアも固く締め、人払いした私室で、ソフィーナはアンナに懇願する。

 風の動きがなくなった室内の空気はとても暑く、これまでの話の内容と相まって、ひどく重苦しい。

 緊張した面持ちで話を聞き始めたアンナは、ハイドランド王ウリム2世の暗殺を聞いて、倒れるのではないかというぐらい蒼褪めた。そして、最後にソフィーナの頼みごとを聞いて、震え出す。


「ですが、姫さま、それはあまりに……」

 悲愴な顔をして、アンナはドレスのスカートをぎゅっと握り締めた。

「アンナ、もうそれしかないの。アンナには、本当に悪いと思っているわ。ごめんなさいで済まされることではないけれど……」

「っ、違います。いいのです、私のことなどはっ。姫さまのことです……っ」

 たった1人、ここまではるばる付いてきてくれた、ソフィーナの乳妹。誰が何を言おうと、ひたすらソフィーナを信じてくれて、わが身を顧みず、全力で支えようとしてくれる優しい人だ。ソフィーナが大事に、大事に思う人の1人。

 ハイドランド王族としての義務、そして、ソフィーナ自身の望みを叶えるために、その彼女に今、ひどい犠牲を強いようとしている。最低だと知っていてなお、ソフィーナはどうしてもあそこに住んでいる人たちを、兄を助けたい。


「大丈夫、こんな時にこそ、この地味な顔が役に立つと思うの。それに護衛の2人のおかげで結構世間なれしたし、フォースンだって色々教えてくれたわ」

 自分をあれこれ連れまわし、カザック王宮と街、そしてそこで暮らす人々を見せたり、教えてくれたりした。この結婚も悪いことばかりではなかった、そう思わせてくれた3人。


 他にもたくさんいる。アイスクリーム屋の夫妻、衣料品店の女主人、孤児院の院長と子供たち、運河の浚渫に知恵を絞ってくれた港湾業や船会社の社長と社員たち、水利権を巡る争いで自分たちの利益と他者の生活で悩みながら妥協点を探ってくれた農家の人々、中等・高等学校に寄宿舎を作りたいという話に耳を傾けてアドバイスをくれた校長と教諭たち、知らない南の果物に目を丸くした自分に笑って、試食を分けてくれた八百屋のご老体、初めて入ったカフェでどうすればいいかわからずに戸惑っていたら、笑いながら案内してくれた給仕の若い女性、私を思ってハイドランドの食事を勉強してくれた料理長、かわいらしい花を毎日届けてくれる庭師、知らないことを訊ねに予告なく訪れる自分に、毎回嫌な顔一つせず教示してくれる老博士、ソフィーナが発したお礼を、顔をくしゃくしゃにして喜んでくれた誰かの従僕、洗濯のコツを語ってくれた洗濯係の老女……。

 祖国の人ではないけれど、皆温かい人たちだった。彼らを裏切ることになる――それが悲しいけれど。


「お願い、兄とハイドランドの皆を助けたいの。今、シャダに国を乗っ取られたら、この冬を越せない。たくさんの人が死ぬわ」

「姫さま……でも、もう姫さまはカザックの、フェルドリックさまのお妃さまにおなりで、せっかくここで幸せに暮らしておいでなのに……」

 頑として首を縦に振ろうとしないアンナに、ソフィーナはこぶしを握り締めると、首を横に振った。

「姫、さま……?」

(ごめんね、アンナ。優しいあなたが、私個人を大事に思ってくれるその気持ちにつけ込むことになるけれど……)

「アンナ、私と殿下は、言われているような仲じゃないわ。殿下は、私じゃなくて、ハイドランドの王太子の補佐に興味を持っただけ。寵姫なんて真っ赤な嘘なの」

「……何、を仰っているのですか」

「本当よ。夜殿下が部屋にいらしたって、国政の話をしながら、オテレットをしているだけ。そんな関係になったことだってないの」

「ひめ、さま……?」

 真っ白な顔で、自分を凝視するアンナの手を握り締め、ソフィーナはさらに言い募る。

「一生、そうだと約束したの。そうして欲しいと頼んだの。そうでなければ耐えられないと思ったから。そして、殿下は……それを受け入れた」

(自分がした提案を承諾されて、凹むって本当にバカだわ、私……)

 痛みを隠して、「お世継ぎは私ではない別の方が産む――そう決まっているわ」と告げれば、アンナの眉根が寄り、唇が震え出した。

「っ、姫、さ……」

 泣き出したアンナを抱きしめて、ソフィーナは窓の外を見る。

「半日でいいの」

 小さく見える夜空、その下にあるはずのハイドランド。その空が厚い雲に覆われていて、その不吉さに顔を歪めた。



――3日後の早朝。

「ソフィーナさま、ジェイゥリット殿下からお茶のお誘いが……」

(思ったより早い……)

 机の前で、カザレナ西区の再開発に関する書類を見ていたソフィーナは、青い顔をしたアンナに微笑む。

「お受けして」

 アンナの表情が悲愴なものに変わった。

 傍らでは、バードナーとジーラットが厳しい顔つきでこちらを見ている。

「頼りにしているわ」

 その2人に微笑むと、彼らはじぃっとソフィーナを見つめた後、静かに頷いた。


「……」

 ソフィーナは机の上の書類にざっと目を通す。

(片づけてしまえるものはこれとこれ、あとはこれも。片付けられないものは……)

 そう分類するとペンを取り、1つずつ、着実に仕上げていく。そして、終わらないものには、丁寧にメモを残した。


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