第17話 策謀と矜持
与えられた仕事をこなした後、ソフィーナはカザック城の自室の窓辺で1人、空を見上げた。
「……」
強い陽ざしに大きな雲が白く輝いている。南の、夏の空だ。吹き込んでくる風も熱を含んでいて、茹だるように感じられた。
今、フェルドリックはシャダの王女ジェイゥリットを連れて、観劇に行っているはずだ。昨日のお茶の席、ソフィーナの目の前で「相互理解のために文化を知りたい」と言ってねだっていたから。
護衛のために背後に控えていたバードナーが帰り際、「相互も何も、シャダの文化・芸術は王や貴族におもねるものばかりじゃないか。餓死するまで国民から搾り取って、挙句どぶに捨てているくせに」と呟いていた。
「口にしてはだめよ」
一応そうたしなめたけれど、バードナーの言う通りだ。
シャダの王も貴族も国民を家畜程度にしか見ない。当然人々は疲弊し切っている。
金銭・物質的な貧しさに加え、人らしい尊厳もなく、自由に物を言えば当たり前に、好奇心を持つだけでも――たとえそれが文字を習うことであっても、殴打される。抵抗の手段どころか、“抵抗”という言葉すらも知らないのではないかという有り様だった。
『人々に学を与え、彼らが知識を得て考えるようになれば、それぞれが工夫し、彼ら自身だけでなく国も豊かになる。同時に不満があれば、王に逆らうようにもなる。そうと知って、国民を知から遠ざけているのがシャダの王、逆がカザックの建国王さまよ。ねえ、セルシウス、ソフィーナ、ハイドランドはどっちを目指すべきだと思う?』
ソフィーナは祖国での日々を思い出し、お母さまってば、お茶の時にまでそんな話をしていたわ、と少しだけ苦笑を零した。
(せっかくカザックに来たのだから、一度くらい建国王さまにお会いしてみたかった)
母が心から尊敬していたその方は今はお体を悪くされて、湖西地方の離宮で静養なさっているという。
結婚祝いに驚くほど美しいエメラルドとイエローダイヤのネックレスを、優しい言葉の詰まった手紙に添えてくださった。一度遊びにおいで、とまるで実の孫に対するように。
「……」
悲しく微笑んで首を振ると、ソフィーナはシャダの王女を思い描いた。
ソフィーナの姉が可憐なタイプなら、彼女は妖艶という感じだ。色と媚びを含んだ目つきと表情、誘うような物腰と話し方、体型の凹凸をあからさまに見せるドレス……。
『あら、失礼しました。いくらご紹介したところで、あなたには釣り合わないというのに』
昨日もそうだ。身に着けていた豪華なダイヤとサファイアのネックレスを、聞いてもいないソフィーナに散々自慢し、挙句彼女はそう締めくくった。
『すべてシャダの人々の血肉を搾って得た物でしょう』
と言わずにいた自分が正しいのか、正しくないのか、ソフィーナには判断がつかない。
そんな搾取を受け続けているシャダの人々は、それでもここ10年で随分変化した。
飢えて死んでいく人々の前で、奪い取った財を湯水のように散在する王たちの姿に、我慢が限界に達したのだろう。民衆の間に抵抗組織が作られ、拡がっていっている。
彼らの活動を支援しているのは、繁栄の最中にあるカザック王国だ。かつてシャダと同様の身分制を布いていたカザックの旧王権、カザレナ王朝を滅ぼして建国された現在のカザック王国は、金銭の面でも心理の面でもシャダ国内の抵抗組織を支えている。
シャダはここ数年の冷夏とこれまでの内政の放棄のつけと併せて、そうして余裕を失った。
「それでハイドランドに目を付けた……」
数多いシャダの姫とソフィーナの兄セルシウスの婚姻を、幾度となく持ちかけてきていた理由だ。
シャダはおそらく名実を問わず、ハイドランドを吸収できないかと考えている。他に国境を接するカザックは、到底手が出せないレベルにまでなってしまったが、ここのところ苦しい状況にあるハイドランドであれば、ということなのだろう。
彼らが特に興味を示しているのが、両国の国境近くにある金鉱山だ。農作物のような年毎の変動が少なく、安定した財源となる金は、ハイドランドのような貧しい北国からすれば、何にも代えがたい財源だった。
シャダとしても同じなのだろう。昔からシャダはその鉱山を得ようと何かと仕掛けてきていたが、近年それが顕著になってきている。
「……多分全部フェルドリックの思惑通りだわ」
悔しさに唇を引き結んだソフィーナの頬を、熱と湿度を含んだ南風が撫でていく。
ソフィーナがカザックに嫁ぎ、ハイドランドはシャダではなく、大国カザックと結びつきができた。
思惑がご破算となるシャダは焦っただろう、フェルドリックの計算どおりに。
だが、婚姻から半年経っても、ハイドランドとカザックの間に正式な軍事同盟を結ぶなどの動きが出たわけではない。父は自分の可愛いオーレリア第1王女を選ばなかったフェルドリックに、恨みのようなものを抱いていたし、フェルドリックとしてもそこまでハイドランドに肩入れする気はないからだ。
ならば、いっそカザックと自分たちが結べばいい――単純なシャダ王たちの考えそうなことだった。
(これで嫁いだのがお姉さまだったら、そこまで侮られなかったのでしょうけれど……)
「……みんな、ごめんね。お兄さまも」
私が私だったばっかりに、とソフィーナは1人呻き声を漏らした。
(見た目がダメでもせめて可愛げぐらいあれば……)
と思ったところで、フェルドリックに何度もそう言われていたことを思い出して、頬をひくつかせると、頭をガシガシとかきむしった。
(……って、そうじゃない、今考えるべきはシャダの動きだわ……)
すっかり冷えてしまったお茶に口をつけ、ソフィーナは気を落ち着かせる。
シャダの第3王女ジェイゥリットは、ソフィーナの姉と並び称されている美姫で、あの国の暗愚な王は正妃がソフィーナであれば、カザックの王太子はジェイゥリットのシャダに肩入れすると考えたのだろう。
(もし、私がジェイゥリットに対抗して、シャダではなくハイドランドを、兄を助けて欲しいと働きかけたら、状況は変わるのかしら……)
そう考えた直後にソフィーナは苦く笑った。
フェルドリックもカザックもそんなに甘くない。何より――カザックにはカザック自身が知らない、カザックがハイドランドを見捨てるべき理由がある。
『ソフィーナ、今から話すことを決して口外してはいけない。君を危険に晒し、夫となる人を欺かせることになるのは、本当に心苦しいけれど……』
「……」
ソフィーナは、ハイドランドを出る前の夜の、兄との会話を思い出して、固く目を瞑った。
(嘘つきはやっぱり私の方……)
浅くなっている呼吸に気付いて、ソフィーナは意識して大きく息を吐きだした。
ジェイゥリットがフェルドリックに気に入られ、カザレナの貴族たち、特に旧王権派に受け入れられていると報告を受けたシャダの王は、どうするか――
政治を王の趣味と同一視して疑っていない、かの地の王や側近たちの能力・性格・環境を考慮して、ソフィーナは結論付ける。
彼らはさらに欲をかくはずだ――ハイドランドを得るのであれば今しかない、と。
「まず狙ってくるのは、地理的にもハイドランド南西部のガル金山。でも、大規模な出兵の余力は、現状シャダにはない」
(となると、シャダとしても戦争は避けたいはずから、それ以外の方法でそこを、ハイドランドを手に入れようとしてくるはず。兄はシャダとの婚姻話を何度も断っているから、となれば次の狙いは……)
「……」
ソフィーナは、元の整った顔立ちが長年の怠惰のせいで崩れつつある父、それから別れの前の晩に『ごめん』と呟いた兄の顔を思い浮かべ、眉根を寄せた。
(多分父と兄を狙ってくる。それだけじゃない、民を気遣わないシャダのことだ、出兵がないと断言するのも早い。もっと情報を集めなくては)
そうして――シャダもフェルドリックも出し抜く。
暗い目をして、そんな考えに耽っていたソフィーナの耳に、ノックの音とフォースンの硬い声が響いた。
「ソフィーナさま、フェルドリック殿下がお呼びです」
来るべきものが来たのではないか――ソフィーナは顔を歪めると、即座に自室を後にした。
「……」
元凶であるシャダの一行が行く手の大理石造りの廊下に屯していて、ソフィーナのみならず、案内のフォースンも顔を曇らせた。
彼女の周囲には、シャダからの陪従のほかにカザックの貴族が数多くいた。フォースンと護衛2人だけのソフィーナとは、ひどく対照的だった。
「あら、ソフィーナ、ごきげんよう」
「妃殿下を呼び捨てるとは、無礼にもほどがあるかと」
フォースンの抗議を鼻で笑い、美しいシャダの姫はソフィーナの全身を眺めまわして、嘲笑を顔に乗せた。
「そのようななりをなさっておいでなので、つい失念してしまいますの」
「ゴテゴテに着飾って化粧しまくらねば、他者から敬意を受けられない方ではありませんからね――見た目で勝負するしかない方には、わからないかもしれませんが」
(……え?)
いつもひょうひょうとしているか、フェルドリックにやられて半泣きになっているイメージのフォースンが、即応で吐き出した毒に、ソフィーナは一瞬呆気にとられる。
「っ、男爵ごときにもらわれた、卑しい孤児の分際でっ」
「生まれつきの顔立ちがどうだろうと、どれだけ取り繕おうと、醜い心根というのは滲み出てくる」
横にいるバードナーの目線が、彼にはありえないほどに尖った。こちらにも驚いたが、ソフィーナはさらに口を開いた彼を咄嗟に目で制する。
そして、ジェイゥリットに向き直り、薄く微笑みかけた。
「あなたの振る舞いがあなたの祖国を表すものとなることを、お忘れにならないほうがよろしいかと」
「……な」
「ここはあなたの国ではない。国を代表する者、何より人として、品位ある振る舞いを求めます、ジェイゥリット殿下」
それからソフィーナは、ジェイゥリットたちシャダ人の背後にいるカザック貴族たちの顔を「――あなた方も」と言いながら、じろりと見渡した。
そのほとんどが顔を俯けたのを見、こっちはまだマシらしい、と皮肉と安堵で複雑な気分になる。
「そろそろ道を開けていただきましょう」
顔を真っ赤に染め、唇をわなわなと震わすジェイゥリットの前へ、ジーラットが進み出た。
「ソフィーナ・ハイドランド・カザック妃殿下への不敬は、妃殿下がお許しになっても、私たちが許さない」
そして、彼女を冷たい目で見下ろしながら、はっきりとした声で告げた。
「っ、き、貴様ら、先ほどから、我が主に向かって、無礼にもほどが……」
「先に礼を失したのはそちらだ。我らカザック王国の騎士は、礼を向ける相手を選ぶ――不満なら、ご主人さまのために、手袋でも投げてみたらどうだ?」
(……本当にジーラットなの?)
獰猛と言っていい顔つきで傲然と言い放ったジーラットに、ソフィーナは思わず目を見開く。
「おすすめはしませんけどね」
意味深に笑うバードナーの空気も威圧的なもので、ジェイゥリットもその取り巻きたちも顔色を失い、微妙に後退った。
(いつもあんなに穏やかで楽しいのに……)
内心で少し動揺したものの、意識して凛とした顔を保ち、ソフィーナは再び歩き出す。そして、ジェイゥリットらが怯んだことでできた道の真ん中を突っ切った。
「ヘンリック殿、マット殿、これで今月の始末書、何枚になります?」
「えー、抗議してきますかねえ」
「きますよ、賭けてもいいです。倫理も道徳も教養も人としての最低限の思いやりもない上に、空気も読めない。あるのは、醜い、分厚い面の皮だけ」
(さっきもだけど、フォースンって結構な毒吐きなのね……)
人通りのないところを歩きながら、フォースンが零した皮肉にソフィーナは微妙に眉を跳ね上げた。
「俺、まだ3枚。それもマットのとばっちり」
「私は13……」
「マットは14枚になったら、新記録樹立なんでいいとして、フォースンさんこそ大丈夫ですか?」
(つまり、大体2日に1枚は書いている……それ、“新記録樹立”で流していいの?)
色々集中しなければならないと思っているのに、つい気が逸れる。
「大丈夫じゃなければ、首ですかねえ……って、首? ……っ、首っ! マット殿、今すぐ手袋投げに戻りましょう! 是非! 責任は私がとりますから! あの高慢ちきの腕の3本程度なら、折っても許す!」
「腕2本しかないし。てか、いい大人なんだから、少しは本音隠して」
「私の始末書の枚数も少しは気にして」
「「魔王から解放されたいという切望には心底共感しますが」」
最後ぴたりとそろった声に、ソフィーナは耐えきれなくなって吹き出した。
この先、フェルドリックのところに行っても、悪い話しか待っていない――そう思って張りつめていた気持ちが、笑い声と一緒に少しだけ解れる。
「「「……」」」
その自分へと3人は優しい目を向けてきて、ソフィーナは笑いながら、視界を涙で滲ませた。
(本当に優しい人たち……)
カザックに来て、孤独だったソフィーナに、ずっと、ずっと寄り添ってくれた。伝手も何もないソフィーナをたくさん助けてくれた。落ち込むたびに、たくさん笑わせてくれた。後ろ盾がないに等しいソフィーナを、色々なところでかばってくれていることも知っている。
「……ありがとう」
色々な意味を込めて3人に微笑むと、ソフィーナは表情を消し、フェルドリックの部屋へと訪いを入れた。
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