第13話 理想と現実
「ふふ、見つけました」
ジーラットは人探しが上手い。カザック人はもとより、結婚生活がうまく行っていると信じているアンナにも愚痴を吐けず、時々ソフィーナは耐えられなくなる。それでふらっと1人になっても、彼にすぐ見つかってしまう。
「ごめんなさい、何も言わずにいなくなって」
「構いませんよ、色々めんど……難しいお立場ということは、存じていますから。息ぐらい抜かなきゃ」
「……今、面倒って言おうとしたでしょう?」
「う」
顔をひきつらせた彼に思わず笑えば、森の緑の目が優しく緩まる。それから、手にしていた焼き菓子や飴を差し出してくれるのだ。子ども扱いだと思う一方で、毎回まんまと癒された。
それからジーラットは「じゃあまた」と言って、消えてしまうのだが、ソフィーナが誰かに見つかると、再びどこからともなく現れる。それで、1人になりたいというソフィーナの気持ちをできるだけ尊重しようとしてくれていると分かった。
「えーと、いい、のですか? 無理してませんか?」
「ええ、ジーラットは疲れないわ」
しばらくしてからは、見つけてくれたジーラットと一緒に過ごすことも珍しくなくなった。
一瞬目を見張ってから、照れたように笑ってくれる顔が好き。一緒に話していて、気負わなくていいのも、すごく好き。
「頑張っていらっしゃるの、わかっています。私だけではないですよ」
何も考えてなさそうなのに、丁寧に言葉を選び、温かい言葉をくれる。頭を撫でてくれる。
その度にソフィーナは思うのだ――こんな人に恋をすれば良かった、と。
「そのペンの胴軸、ハイドランドのトーシャの角ですね。人気があったけど、市場から消えたって聞いていました」
「贈り物なの。乱獲されて絶滅しかかっていたのだけれど、狩猟を規制して、保護して、最近家畜化にも成功したのよ。地元の人たちが、最初の収獲を分けてくれて」
「じゃあ、本当に特別なペンですね。トーシャも地元も、ソフィーナさまに救われたわけだ」
バードナーは人の心の動きに聡くて、うらやましくなるくらい会話上手だ。
商家の出身らしく世情に詳しい上、姉が三人いるからか、女心にも通じていて、嬉しい時にはそれを口にして一緒に喜んでくれて、不安な時はそれに寄り添ってなだめてくれる。褒めて欲しいことに気付いて話題にし、触れてほしくない話題からはそっと遠ざかる。
アンナすら気付かないのに、落ち込んでいるソフィーナに気付き、元気になれるよう、さりげなく手を貸してくれることも珍しくない。
彼のそんなところに気付く度に思った――こんな人に恋すれば、小さな喜びを見つけて生きていけたのに。
護衛付きの茶会に、バードナーを伴って行くことになった時のことだ。
どこに出ても恥ずかしくないレベルの作法を身に付けていながら、そういえばジーラットは絶対に茶会や夜会に近づかないと気付いた。
「ジーラットはああいう集まりが苦手? バードナーは?」
「あー、訳の分からない会話も、美味しいご飯を美味しく食べられないのも、汚したり破ったりしたら怒られる服も、全部苦手です……。あ、踊るのだけは好き」
「俺は結構好きです。ドレスとかの流行り廃りがわかるのが面白いし、色んな方と話すのも楽しいです。逆に俺は踊りが苦手で」
意地や見栄を張らず、好きなものを好き、嫌いなものを嫌いと言ってくれるところも安心できた。
彼らのような人が相手であれば、もう少し息がしやすかったはずなのに、といつも思う。
「あ、めちゃくちゃかわいい」
「新しいドレスですか。わあ、本当に素敵ですね」
微笑みながら、そんな言葉を2人は当たり前のように口にする。
母は人の外観の美しさよりも、内面の美しさを重視した。ソフィーナもその通りだと思うものの、そう言ってもらえると、やはり嬉しいと気付いた。
彼らの場合は、率直な感想だと分かってからは尚更。
そうして彼らの言葉を素直に受け取れるようになったら、自分こそが外見にとらわれていたのだ、と悟ることもできて、ほんの少しだけ心のつかえが降りた気がした。
「そんな風に笑わなくていいですよ……」
「その顔も可愛いですけどね、無理はダメです」
ソフィーナの作り笑顔に騙されてくれないのは、2人とも。
母に言われてずっと訓練してきたのに、と当初は焦ったけれど、2人以外は相変わらず誰も気づかなくて、ああ、これはこの2人だからこそだ、それほどに2人は自分に関心を払ってくれているのだ、と気づいて胸を撫でおろした。
同時に、自分の夫が全く気付かない理由を悟って、苦く笑った。
こんな人たちを好きになれれば、幸せだったのに、と何度も思った。
* * *
カザック王宮では、月に1回程度催し物が開かれる。
初夏の今日は水月の宴と呼ばれる会で、北宮にある池のほとりで開かれる予定だった。
カザレナの暑さに既に夏バテ気味のソフィーナは、自室でのドレスの調整にため息をつく。
「アンナ、そこまでこだわらなくていいわ」
「いいえ、せっかくフェルドリック殿下がソフィーナさまのためにお贈りくださったのですから」
ドレスから目と針を離さないまま、アンナは首を振り、真剣な表情で細部を調整してくれている。
そうしたところで、と考えそうになって、ソフィーナは小さくかぶりを振った。
「……」
なされるに任せて、鏡の中の自分の姿を見つめる。
艶のある露草色のドレスは、祖国ではソフィーナのためにはありえない質のもので、凹凸の少ない体の線を美しく見せる丁寧な縫製がなされている。
その上から部分的に、シルクのごく細い糸で織られた、半透明の布が重ねられていて、動きに合わせて、周囲の光を反射する。
胸元を彩るのは、同じくフェルドリックから贈られた真珠とダイヤ、アクアマリンのネックレス。背が高くないソフィーナにあわせてあるのか、短めだが、ひどく凝った作りで、箱を開けた瞬間、アンナを含めた侍女たちが歓声を上げていた。
ゆるく癖のある茶色の髪は、瀟洒な金と銀の鎖と共に複雑に編み上げられている。
「……」
ふと皮肉な気持ちがこみあげてきて、鏡の中の子供っぽい顔つきが、その瞬間だけ大人がするように歪んだ。
「やあ、ソフィーナ」
準備が終わって応接室に移動すれば、同じタイミングでフェルドリックが訪れた。
日の光のような金の髪と、金と緑の混ざった瞳は、ソフィーナが身に着けている宝飾品よりよほど目立つ。白と青と金の夜会服はごくシンプルで、彼の完璧さを強調するかのようだった。
「いい意味で期待を裏切られたよ、ソフィーナ。本当に美しい。懸命に選んだというのに、ドレスもアクセサリーも君に見劣りしてしまう」
その彼は、微笑みながら作法の本のような賛辞をソフィーナに送り、勝手に手を取って、甲に口づけた。
その様子にアンナが嬉しそうにはにかんで、退出していく。
「じゃあ、行こうか」
(まただまされているわ……って、私も同罪だった)
気まずさと共に彼女を見送って、ソフィーナは促されるまま、フェルドリックの腕に自らの腕を絡め、会場へと向かった。
北宮の入り口で護衛のバードナーたちと別れ、会場へと続く王族専用の通路を静かに進む。
「もう少し嬉しそうに出来ない訳?」
周りから人が消え、そこでようやく出てきたフェルドリックの本音に、ソフィーナは息を吐き出した。
「根が正直なものですから。ただ、ドレスと宝飾品類については、お礼申し上げます」
「今の君は僕の妻だ。結婚祝賀会のような姿でいられれば、僕が恥をかく」
「存じております。あとは、カザックの財力に圧倒されております、とでも付け加えれば、満点ですか?」
悲しくなるのを抑えつけて、にこりと笑ってみせた。
「それ程察しがいいのに、なぜ君がオテレットで僕にいつまでも勝てないのか、考えてみたことある?」
(いちいち腹立たしい……)
思わず口をへし曲げたソフィーナに、フェルドリックは小さく笑う。
「素直に内心を顔に出すのは、一般には美徳だが、王太子妃としては、失格だ」
「会場に入ったら、ちゃんとします」
徹底して表情をコントロールすることに慣れさせられたはずなのに、横に立つ彼に緊張して、殊更にぶっきらぼうになった。
フェルドリックの存在感は、7年前に出会った時からさらに磨きがかかっていて、ソフィーナはそれゆえに横にいる自分が余計嫌いになる。
自分の容姿を嘆いている訳じゃない。
「ほら、ちゃんと掴まって」
それでも横に居られることを、こうして手を差し出してくれることを、嬉しがってしまう自分に事ある毎に気づくからだ。
国王・王后両陛下にご挨拶し、フェルドリックとダンスを終えたところで、アレクサンダーが会場に到着したらしい。
自分たちを取り巻いていた人だかりが少し減って、その隙にソフィーナは貼り付けていた笑顔の仮面を一時取り払った。
両陛下への挨拶を済ませたアレクサンダーが、ソフィーナたちへと顔を向けた。その瞬間、フェルドリックと彼の間の人垣は、潮が引くように割れる。
出来た道をまっすぐこちらへとやって来る彼に、フェルドリックが心配そうに声をかけた。
「やあ、アレックス、今日もフィルは一緒じゃないの?」
やはり彼女が気になるらしい、と一瞬嫉妬を覚えた自分に、また嫌気が募っていく。
「どこかお加減でも? 一度ゆっくりお話ししてみたいと思っています」
取り繕うために発した言葉の裏で、ソフィーナは自分自身に言い訳する。
(彼女を知りたいのは必要だから。フェルドリックの後ろ盾でもあるフォルデリーク家の次代夫人の性格を、妃の立場として把握しておくため。それだけ)
「いえ、仕事の都合です。光栄なお言葉、大変ありがたく存じます」
フェルドリックの言葉は無視する気満々なようだったのに、彼はソフィーナには視線を合わせた。
そして、苦笑と共に「妻もソフィーナ妃殿下との語らいを楽しみにしております」と、こちらを安心させるかのように微笑みかけてくれた。
その瞬間、彼の近寄りがたい雰囲気が一変して、ソフィーナは顔を綻ばせた。
「妃殿下、こちらは私の兄で、今はニステイス伯爵家におりますスペリオス、そして従妹でその妻のアレクサンドラです。これまで領地におりまして、昨日カザレナに戻ってまいりました」
「ご結婚おめでとうございます、フェルドリック殿下、ソフィーナ妃殿下。ご挨拶とお祝いが遅れましたことをお詫び申し上げます」
それから彼は、背後にいたよく似た風貌の男女を紹介してくれた。
「意に染まぬ相手にお困りの際は、この2人を遠慮なくお使いください。誰より上手く追い払います」
「主に妻が。その後しばらく顔を合わせるだけで逃げていく程度に」
「言い方! 妃殿下が誤解なさったらどうしてくれるの」
「事実だろう。僕が口を開いた時にはみんな踵を返している」
むくれ顔で夫を睨み、その妻に楽しそうに笑う――アレクサンダーの兄夫妻の様子に、ソフィーナはまた息が少し苦しくなる。
言いたいことを言っていて、でもちゃんと温かい。想い合っていると分かる空気が羨ましい。
こんな夫婦であれば――自分には手の届かない関係への羨望がまた湧き上がる。
「ちなみに、兄の方は殿下の昔からの天敵です」
「必要なら彼も追い払って差し上げますよ、妃殿下」
「……相変わらずの神経だな、アレックス、スペリオス」
「素敵なことを聞かせてくれてありがとう」
「君も乗るな」
アレクサンダー兄弟の、フェルドリックへのからかいに乗じることで、なんとか笑うことができた。
「妃殿下の護衛騎士はいかがですか?」
「彼らをご存知なのですか?」
「ええ、私も昔助けられたのです。ふふ、楽しいでしょう?」
「私も彼らと面識がありますよ。あの2人は殿下のお気に入りですから」
伯爵夫人が平民の彼らを知る理由には合点が言ったけれど、アレクサンダーの兄が人悪げに笑っている理由に心当たりはない。
アレクサンダーが「それはそうだな、リック」と呼びかけるのと同時に、ソフィーナがフェルドリックに目線をやれば、彼と一瞬目が合った。
「別に。あまりに馬鹿だから、少し教育の必要があると思っているのは確かだけど。使える人材は多いほうがいいからね」
顔を逸らし、うんざりとした様子で呟いたフェルドリックに、3人3様の笑いを零した。
(お気に入り? って、どういうことかしら……)
「……っ」
ソフィーナは慌てて、思考を停止させる。常に考え続けなさいとの母の教えに背くのを承知で、これ以上動揺したくなかった。
そのままアレクサンダーらと話し込んでいくフェルドリックの横顔を、ソフィーナはそっと掠め見る。
(ハイドランド王国を利用する為に、そして、あわよくばハイドランド王国太子の兄の力を削ぐために、都合がいい私との結婚を望んだ人……)
隠すように顔を伏せて、ソフィーナは小さく眉根を寄せた。
認めたくない。けれど、認めなければ、さらにみじめになる事実――ソフィーナの初恋はいまだに続いている。
ソフィーナが現実に恋をしているその人は、恋をしたいと思っている人たちとは似ても似つかないし、この先もソフィーナを見ない。
「……」
ソフィーナは乾いた笑いを漏らすと、社交用の笑顔の仮面をつけ直して、再び顔を上げた。
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