第10話 想定と想定外
「……奨学金?」
「はい。殿下より拝領する品々の一部をそちらにあてられないかと、ソフィーナさまより申し出がありました」
朝の執務室に、開け放した窓から初夏を思わせる風が吹き込んできた。
そこを訪ねてきた補佐官フォースンの言葉に、フェルドリックは眉を顰める。色々な疑問が浮かんでは消えていく。
だが、その中で一番解せないのは、なぜ自分に直接言わない?というものだった。先ほどまで彼女と同じ部屋の、同じベッドにいたのに、と。
無論、ソフィーナが自分以外の男、フォースンに話したのが、不快となどいう感情ではない。
(さて、何を企んでいるのか……)
ハイドランドの賢后に手ずから育てられたソフィーナの思考に、疑念を覚えているのだ。
自分の正妃として据えたハイドランド王国のソフィーナ第2王女は、フェルドリックが見込んだ通り聡明で、理性の強い女性だった。
だが、その彼女は結婚してすぐの夜に、フェルドリックの予想にまったくなかったことを言い出した。即ち、仕事をさせてくれ、ただし世継ぎを作る以外の、と。
当初見ていた通り、地味で賢い彼女が出してきた、予想外に奇妙な申し出。フェルドリックがそれを受けることにしたのは、ただの退屈しのぎだった。
自分が受け持っている仕事の中から、対外的な影響がなく、国内の権益にも関わらない、ともすれば、どうでもいいと分類されるような仕事を見繕って与え始めて、2か月後ぐらいだっただろうか。フォースンから、「ソフィーナ妃殿下が王立孤児院の視察に行きたいと仰っています」と報告を受けたのは。
その前日に孤児院運営の収支報告書を渡していた、と瞬時に思い出し、フェルドリックは「カザレナの、カザックの暗部を探りたくなったか」と皮肉に笑った。
自国カザックは、ソフィーナの祖国ハイドランドより格段に裕福だ。
国土面積がまず圧倒的に大きく、土地の生産性も違う。軍事力に裏打ちされた安定により、経済活動も活発で、商人の数も業種も規模も圧倒的だ。対外的にも有利な立場を維持できているおかげで、外国からの富の流入も多い。大きな戦乱も災害もここのところなく、平和が続いているおかげで人々も富を蓄えられており、それがまた活発な経済へとつながっていく。
毎年冷夏に戦々恐々としなくてはならない、ハイドランドとは比べるべくもない。
その辺をあらかじめ知らしめてやろう、どうせその意図もソフィーナであれば正確に理解するはずだ、と思い、結婚後フェルドリックは、ハイドランド程度の財力では手を出しにくいようなものを選んで、日々ソフィーナに贈っていた。
(なるほど、賢く、民想いの我が妃殿は、それが弱者を犠牲にしてのものではないかと疑っているわけだ)
その結果、孤児院の視察を言い出したのだろう。
『そんな不毛さが民を困窮させたり、国自体を滅ぼしたりした例はいくらでもあるはず。それだけは絶対に嫌です』
“初夜”の晩、そうはっきりと言い切った、くすんだ青の瞳を思い出して笑った記憶がある。
「好きに行かせてやればいい。ああ、どうせなら内々に訪問するといいだろう。その方が内情がはっきりわかる」
外歩きをするとなると護衛がいるな、と思ったところで、彼女の護衛の話が進んでいないことを思い出して、フェルドリックは不機嫌を露にした。
顔をひきつらせたフォースンに、フェルドリックは「ポトマックを呼べ。すぐに、だ」と副騎士団長を呼ぶよう告げたのだった。
「……」
そういえば、その後決まった護衛の騎士2人を連れて孤児院を訪問する際、ソフィーナが徒歩でカザレナに降りたこと、金を渡され、街中で自ら買い物をしたことを聞いたのもフォースン経由だった、と思い出して、フェルドリックは彼の黒い瞳を見つめた。
「……なんか、睨まれているような気がするのは、気のせいですか?」
「気のせいだとわかっているなら、わざわざ口にするな」
今度は露骨に眉間にしわを寄せて、「それで」とフェルドリックはインク壺にペンを立てる。
「奨学金の話だが、理由はなんだと?」
「孤児院の子供たちとお話しになったのだそうです。それで、彼らの将来の希望、騎士になりたいとか、役人になりたいとか、商売をしたいとか――個人的には役人、特に王宮勤めなんかは絶っ対に勧めませんが――というのはさておきっ」
自分の従弟であるアレクサンダー・ロッド・フォルデリークに比肩する頭脳の持ち主でありながら、彼と違っていつも余計な一言を言うフォースンを睨んで黙らせつつ、フェルドリックは続きを促す。
もう一人、同じように自分に遠慮なく、余計な一言を言いまくる緑の瞳を思い浮かべてしまったのも不機嫌の原因だ。
(あいつがソフィーナに何か吹き込んだか……? いや、あいつはそういう知恵が回るタイプじゃない……)
「と、とにかく子供たちの希望を聞いて、お思いになったのだそうです。いくら望みがあっても、彼らにはそれを叶える術がごく限られている。だから、より多くの機会を与えるべく、奨学金を用意してはどうだろうか、と」
フェルドリックの祖父、建国王アドリオットがこの国を興した際、初等学校を無償化し、すべての子供に門戸を開いた。だが、それ以上となると、ある程度裕福な家庭の子供だけのものとなってしまっている。
そういえば、フォースンもあの孤児院の出身のはずだ。彼の場合は、フェルドリックの教師の一人でもあった高名な学者に見出され、養子となったために、教育の機会には困らなかったはずだが……。
フェルドリックは、目の前に立つフォースンの、少し神経質な印象のある、線の細い顔を見つめた。彼が嬉しそうな表情をしているのは、気のせいではないのだろう。
「奨学金は構わない。だが、それはそれだ。彼女に贈る物とは別途出せばいい」
(まあ、害になるわけでなし、好きにすればいい)
フェルドリックは再びペンを手に取った。次の書類を別の手でめくる。
「あー、まあ、妃殿下ははっきりとは仰いませんが、いらないみたいですよ」
「……」
その言葉に、フェルドリックは再び動きを止める。
「我が妻、王太子妃が敢えて明言しなかっただろうことを、はっきり口にするとは、相変わらずいい度胸だな、フォースン……?」
「いっ、やいやいやいや、間違えました……っ」
フェルドリックにぎろりと睨まれて、フォースンは必死に首を振った。
「ひ、妃殿下が仰ったのは、頂いた物と使用する機会を比べたら、もう十分という理由でした……っ」
「…………多くあったからと言って、困るものでも無かろうに」
フェルドリックは呆れのあまり一瞬唖然とした後、ため息を吐きだした。
何気なく訊ねてその度にはぐらかされているが、ソフィーナはやはりハイドランドの財政に相当関わっていたのだろう。結果がその残念な倹約思考なわけだ。
(姉の方は相当なドレスと宝石を身に着けていたがな……)
オーセリン、そしてハイドランドで出会ったソフィーナの姉を思い出して、フェルドリックは皮肉に笑いながら、再び書類に目を落とした。
(持つべきはあんなのではなく、“有能な妃”だな。もう少しつついて、ハイドランドの財務状況を吐き出させるとするか……)
と事ある毎に自分を睨んでくる、くすんだ青い瞳を思う。
想定外の行動をしない訳ではないが、見込み通り彼女は実に有益だ。
「万事控えめな方ですから、せっかく招待があっても、どなたかが全部断っていらっしゃるとなると余計に、でしょうね。事情が事情だというのは理解しますが、フォルデリーク公爵夫人やナシュアナさまのご招待ぐらい……あ、別の意味で連れて行けないんでしたっけ?」
顔を書類に向けたまま、目線だけをフォースンにやれば笑っている――ように見えなくもない。
「――フォースン、ドムスクス東部にかかる暫定予算案だが、明日中に仕上げろ」
「げ。ちょ、ちょっと待ってください、財務相と騎士団との調整にまだ時間が要りそうだと昨日……」
「なら、なおのこと、すぐに取り掛かったらどうだ――さっさと行け」
慌てて退室して行く彼の顔が真っ青だったのは、自業自得と言うものだろう。
フェルドリックは改めて書類に目を落とし、修正の指示を書き込む。
その内容とは別に、勝手に脳裏に浮かび上がってくるのは昨日の夜の光景――ベッドの上に置いたメスケルの盤上で独楽を動かして見せ、眉根を寄せながら、真剣にルールを説明していた幼い丸顔だ。
(つくづく気に入らない……)
気を取り直して次の書類を手に取れば、母であるカザック王后からの、ハイドランド国王あてにソフィーナの近況を知らせる親書を出せ、という私信だった。
タイミングの悪さにさらに不機嫌になりながら、フェルドリックは便箋を取り出し、隣国の無能で愚鈍な王にあてて、形式的な文言を並べていく。
(ばかばかしい、あの男はあれに興味などない。輿入れに持参した物を見ても明らかだろうが)
だからわざわざ、と思い浮かんだ瞬間、指先に力が入った。ペンが紙に引っかかり、破れてしまう。
「……」
フェルドリックは目を眇めると、破れた便箋をぐしゃぐしゃに丸め、傍らのくず入れへと放り込んだ。
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