第6話 期待外れと退屈しのぎ

「い、かが、なされましたか……。なんだか、その、ずいぶんと、そりゃあもう、身の毛がよだつくらい、ご機嫌がよろしいようにお見受けいたしますが……」

 陰に陽に断ったのに、フェルドリック本人によって無理やり王太子付きの執務補佐官などという、拷問としか思えない仕事に就かされてから7年。

 光栄に思うどころか、予感通り泣きたくなることばかりに日々を埋め尽くされてきたこれまでの経験上、フォースンの主の、この手の微笑の性質が良かった試しは無い。


 それゆえフォースンは今日も警戒を隠さずに、フェルドリックに尋ねた。

 第一、フェルドリックがこんなに朝早くから起きて、文句の一つもないまま政務を真面目に片付けている時点で既におかしい。


「そうだな。思ったよりいい拾い物をしたというところか」

「拾いも……それは、ひょっとして、ソフィーナ妃殿下のことを仰っているのでしょうか……?」

 フォースンは「い、言うに事欠いて他国の王女で、かつ妻となった女性を拾い物呼ばわりは無いだろう? しかも初夜が明けて、という朝じゃないか!」という言葉を何とか呑み込む。我が身はまだ惜しい。


 実際に、ここまで上機嫌な、つまり社交用の作り物ではなく、真に機嫌がいいフェルドリックには王宮では早々お目にかかれない。彼の従弟夫妻や異母妹のナシュアナが来ている時ぐらいだろう。


「そうだね、案外相性がいいかもしれないよ」

 フォースンが真っ赤になって絶句するのを見て、フェルドリックは更に笑いを深めた。




「触れないでいただきたいのです」

 昨晩のソフィーナのその言葉は、さすがにフェルドリックも予想だにしていなかった。

「……」

 目の前にある、新妻となった人の顔を凝視したが、怯えていると言うわけではなさそうだった。


 疑問が顔に出たのだろう、ソフィーナは続けた。

「あなたとは、その、つまり、夫婦の関係にはならないでいたい――という主旨で申し上げております」

 一部ひどく言いにくそうにソフィーナが発した言葉。その意味を理解したフェルドリックは、露骨な嘲笑を浮かべた。

「貴女は納得の上で私と結婚したのではなかったかな? 私も同じだ。貴女が都合のいい相手だから選んだ」

 無意識のうちにフェルドリックの言葉遣いが変わる。


 亡きハイドランド王后の実子として、また兄であるセルシウス王太子の補佐として、ソフィーナはかなりの恩恵をハイドランド王国にもたらしてきたはずだ。

 実際に、1年ほど前にあった関税に関する多国間条約の締結では、フェルドリックはあろうことか、彼女に出し抜かれ、次善策に甘んじる羽目になった。

 自分より七つも下の、ただの飾りと見ていた彼女は、フェルドリックが事前に交渉しておいた各国要人はもちろん、不要と判断した人物にも面会し、周到に根回しをして会議に臨んできた。

 ハイドランドの国益にかなうと同時に、他の多くの国にとっても利益をもたらす彼女の提案にカザックは劣勢に立たされ、当初案よりもかなりの部分で譲らざるを得なくなった。


(どうしようもなく地味でぱっとしないくせに、他国の元首やその代理と対等に交渉し、実に論理的に話していたあの彼女が、この期に及んでこうも幼いことをのたまうとは……)

 意外さ半分、失望半分に、フェルドリックは皮肉を顔に浮かべた。


「感激してくれていないのかな? せっかく貴女を選んであげたというのに」

「勘違いをしないでいただけませんか」

 言葉に棘を感じ取ったのだろう。ソフィーナは表情を固くし、顔色を若干青くしながらも、まっすぐ鋭く、7つ年上のフェルドリックを見据えた。

 わめいたり泣き伏せたりしないあたりは悪くなかったが、癇に障る目つきだった。


「私はあなたと必要があったから結婚いたしました。あなたも同じだと存じております。これは国の間の契約です。でも、だからといって、夫婦の営みをしなくてはいけないということも無いでしょう?」

 小さく眉根を寄せた彼女は、結婚を契約だと言い切った。となれば、フェルドリック、カザックのこの結婚にかける打算も、ほぼ理解しているだろう。


 ハイドランドとその西の隣国、シャダが手を組むことを阻止し、逆に睨み合わせておく。シャダとカザックは犬猿の仲だが、先の戦で得た旧ドムスクス領が安定するまで、シャダに向き合うのは得策ではないからだ。

 どうせハイドランドと姻戚関係を結ぶなら、かの国の力もついでに殺いでやろうと選んだのが、目の前のソフィーナだ。

 彼女はこちらのその思惑を理解する知性と、それを飲み込めるだけの理性がある。その程度の賢さを持つ相手だと踏んだからこそ、フェルドリックは契約の相手として彼女を望んだ。


「つまり、する必要があるから結婚したが、肌は重ねたくない、と?」

「……」

 一瞬ソフィーナが赤くなったのを見ても地味な容貌からしても、嫌だの何だの言うほど“それ”に慣れているようには到底見えない。

「怖いということかな? だが、私はその行為についても当然自信がある。貴女を喜ばせることは十分にできる」

「よ、ろこ……」

 フェルドリックの台詞に、目の前の予想外に幼い彼女は、今度は顔のみならず全身を赤くした。声もなく、口をパクパクと動かす。


「……」

 フェルドリックはその様子を、珍しい生き物を見るように、見下ろした。

 予想通り賢いには賢いようだし、盲目的に結婚相手に従うように仕込まれた娘でもない。

 正直なところ、フェルドリックが自分の妃として期待していたのは、帝王教育を受けた、理性的で打算的もしくは割り切れる、分別のある女性だ。

 最低ラインとして、こちらの邪魔をしないだけの賢さを持ち合わせた女性であればよかったのだが、とフェルドリックは片眉を顰めた。


「そ、そうではなく」

「自慢できると思っているが、私を嫌う女はいない」

「…………なんて嫌な性格」

 絶句したソフィーナが、次いで思わずというように漏らした本音に、フェルドリックは眉を跳ね上げた。

「へえ、本気で僕が嫌いなんだ」

 珍しい、とフェルドリックはソフィーナを凝視する。

 この自分を嫌う人間、特に女性にこれまで出会った記憶はない。女性どころか、人間とはおよそ分類できないようなのなら1人だけいたが。


「あんなに熱烈に求婚してあげたのに」

 揶揄を込めて皮肉に笑えば、ソフィーナの顔から表情が消えた。

「……あ、んなのを、まともに信じたりはしません。自分のことは自分が一番知っています」

 先ほどまでどれだけ赤くなろうともフェルドリックを見つめ返してきたソフィーナが、顔を伏せた。

「……」

 ひどく平坦な声に、フェルドリックが彼女の表情をよく見ようと身を屈めた瞬間、彼女は再度まっすぐフェルドリックへと視線を向けた。

 特に長くも無いまつげに縁取られた、灰青色の瞳の輝きがやけに印象深い。


「あなたが私をなんとも思っていらっしゃらないのはよく知っていますし、納得もしています。でも、幼いと思われるのを承知で申し上げれば、そういう関係になってしまったら、納得できるのか分かりません」

「……」

 プライドを傷つけられて意地になり、嫌いなどと幼いわがままを言い出したのかと思ったが、今、ソフィーナはあっさりと自分の未熟さを認めた。

 面食らいつつも、フェルドリックは気分がひどく醒めていくのを感じる。


「王族の結婚なんてそんなものだ」

 事実、フェルドリックも数ある候補の中から割り切って目の前の彼女を選んだだけだ。

「はい。でもだからと言って、それをそのまま受け入れる必要があるのかと自問いたしました。その上でお願いしております」

 唇をぐっと引き結んだ彼女は、相変わらず自分から視線をそらさない。


 現状を認識しつつも、それを漫然と受け入れるのではなく、検証しようとする――夢見がちなお子様の行動と言えなくもないが、その姿勢は悪くない。

「……」

 フェルドリックはまじまじと目の前の、幼さの残る顔を見つめた。

 ソフィーナが言わんとすることを、まったく理解できないわけではない。自分の父にも鬱陶しい側室がいて、自分も母も権力争いから無縁でいられたことは無かった。


「もし割り切れなくなったら? 嫉妬して、人を陥れたり、生産性の無いことをやったりするようになったら? そんな不毛さが民を困窮させたり、国自体を滅ぼしたりした例は、いくらでもあるはず。それだけは絶対に嫌です」

 その姿に、ずっと昔、退屈な会議に必死で聞き入っていた小さな彼女の姿が、重なった。


「結婚の義務は、“それ”以外は全部果たします。外交でも内政でも優秀だと自負しております。社交は、申し訳ないですが、あまり得意ではないかもしれません。でも、迷惑をおかけするようなことは致しません」

 息もせずに一気に話す彼女は、やはりまるっきり現実的でない訳でもないらしい。


 ならば、ともう1つ現実を突きつけてやることにする。

「私たちにとっては、“そういう関係”になって跡継ぎを作ることも、大事な“仕事”だ」

 再び真っ赤になったソフィーナに、フェルドリックは乾いた笑いを零した。これはこれでからかいがいがあると言えなくもないが。


「…………ほ、他の方、にお願いできれば、と」

「……は?」

 さすがのフェルドリックも、新婚初夜に新妻に妾をとって子供を作れと言われるとは思っていなかった。

 言葉に詰まったフェルドリックを見て、ここがチャンスと思ったのか、ソフィーナはなお、悲壮さを湛えた真剣な顔で言い募る。

「あなたの妻としてうまくやっていく自信は、申し訳ないのですが、私にはありません。でもあなたの妃、補佐としてであれば、この国を、人々の生活をもっと良くできるように、精いっぱい努力いたします」




 結局――何も無かった。

 はっきり言って、彼女はフェルドリックにとって元々範疇外だし、ああも色気の無い事を言われると、男性として機能しがたいものがある。


(確か17? いや18だったか? 男女の事を知っているようで知らない、幼い理屈だ)

 気味悪そうにフォースンが自分を窺っている気配を感じながら、フェルドリックはくつくつ笑う。


 ただ、それゆえ多少の退屈しのぎにはなるだろう。

 見込んでいたような、契約を契約として粛々とやってくる、頭の良い、割り切った女性ではなかったらしいが、フェルドリックにとってはどのみち大した問題ではない。


「……」

 さぼっていたがゆえに溜まっていた最後の書類にサインをすると、フェルドリックは背後の窓から流れ込む春の日差しに目を細め、伸びをした。

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