第4話 味方と敵
結婚祝賀会の開かれる、カザック王国の迎賓宮は、着飾った人で溢れていた。
祖国のものの2倍は優にある広い空間は、繊細な硝子の飾り灯が乱反射する光で、昼間のような明るさだ。
両脇にずらりと並ぶ、両開きの掃き出し窓の上部アーチは尖塔状で、そこに意匠を凝らした幾何学模様の装飾と色ガラスがはめられていた。
奥では楽団が緩やかに音楽を奏で、来客を歓迎している。
「ご結婚おめでとうございます、フェルドリック殿下、ソフィーナ妃殿下」
「これでカザックはますます安泰、喜ばしい限りです」
「我らがカザック王国、そして妃殿下の祖国ハイドランドに、ますますの栄華のあらんことをお祈り申し上げます」
延々と続く祝辞に笑顔で答えながら、周囲から注がれる値踏みの視線に、ソフィーナは気付かないふりをする。
視線が逸れた瞬間にその方向をさりげなく確認して、その人の顔を挨拶などで得た名前他の情報と共に頭に叩き込んだ。
どういう場面で誰が味方、誰が敵になりうるのか。それぞれの性質や資質、趣味嗜好はどうか。人間関係、力関係は――。
することは母国でしていたのと同じだけれど、それと好き嫌いはまた別の話だ。母も兄もこういう場が好きではなかったし、ソフィーナも苦手だった。年頃になってからは特に。
「はじめまして、妃殿下。……お噂どおりお美しい」
「……ありがとうございます」
(絶対に姉と勘違いしている、それで内心で首を傾げているのだわ……)
ソフィーナは苦笑いを押し隠して、無難に返す。
だが、隣のフェルドリックが微かに笑ったのがわかって、走り去りたくなった。
ただでさえ苦手な場なのに、隣が兄からフェルドリックに変わった分だけ嫌悪が加速している。しかもソフィーナが嫌そうになればなるほど、彼の空気が嬉しそうになるのが、本当に腹立たしい。
同じ会話を聞いているのだろう、彼らの背後に並んでいる駐カザックハイドランド大使が顔を曇らせたことで、ソフィーナの嫌気はさらに増した。
「ハイドランド国王ウリム2世陛下の名代として、お祝い申し上げます。ご成婚、誠におめでとうございます、フェルドリック殿下、ソフィーナ妃殿下」
大使は固い顔でそう述べると、ソフィーナを見、気まずそうに視線を逸らした。
「その、我が国王ウリム2世も参列を望んでおりましたが、生憎と体調が優れず、」
「義理の父上にはハイドランドにて直接ご挨拶申し上げ、祝辞もいただいた。美しいソフィーナの花嫁姿をお見せできなかったのは残念だが、懸念には及ばぬ。くれぐれもよろしく伝えてほしい」
「は。ご寛容なお言葉、しかと」
そそくさと去っていく大使の後ろ姿を、フェルドリックが冷めた視線で見送る。
(ハイドランドの助力は、やっぱり見込めそうにない……)
父はソフィーナの輿入れを面白く思っておらず、それを大使に伝えている。そして、フェルドリックにも今そう悟られたことだろう。
『あら、ソフィーナ、珍しいわね、あなたが夜会に来るの……そのドレス、新しい? その、ソフィーナは着飾るより、執務室の椅子を整えるほうが好きなのではなかった? 大丈夫よ、ソフィーナに無理させないよう、お父様には私からお話ししておくから』
『いくら壁の花を整えても、生まれついての華の美しさには及びませんからね』
『その、ソフィーナ殿下は、聡明で素晴らしい方だと思っている。けど、なんと言うか、婚約とか、そういう対象に見られない、というか……』
(父や大使だけじゃない。きっと皆“私じゃおかしい”と思ってる……)
そのせいだろう。祖国でのあれこれを思い出してしまって、ソフィーナはつい視線を伏せてしまった。
音楽をかき消すようなざわめきが起こった。
隙を作っていたことに気付いて、慌てて顔を上げたソフィーナの前で、さあっと波が引くかのように人垣が割れる。
その向こうに現れたのは、一際目立つ2人連れだった。こちらへとまっすぐ歩いてくる。
(あ……)
そのうちの黒髪の男性の方に見覚えがあって、ソフィーナはようやく少し緊張を緩めることができた。
この国で唯一ソフィーナを理解してくれそうな彼、アレクサンダー・ロッド・フォルデリークとは、フェルドリックがソフィーナに“求婚”しにハイドランドへ来た時に出会った。
カザックの騎士としてフェルドリックを護衛していた彼は、カザックで最有力の公爵家の跡継ぎでもあると聞いていたが、今周囲が彼に見せている反応にソフィーナはその事実を確かめる。
(ふふ、笑ってくれたわ。本当に、彼、フェルドリックの従弟なのかしら?)
今、ソフィーナと目が合って穏やかに微笑んでくれた彼は、フェルドリックとは違い、思いやりに満ちた大人の男性だ。
雰囲気も違う。ひどく美しいという点は同じでも、華やかな光をまとったようなフェルドリックに対し、男性らしい、鋭い雰囲気をしている。
「嬉しそうだね、ソフィーナ」
「人生において理解者の存在に勝る喜びは、そうありませんから」
そう、何よりアレクサンダーはフェルドリックの本性を知っている。
『へえ、相手が僕だというのが気に入らない? 君には、不相応なくらいだと思うけど? あちこちでそう言われているだろう』
『――リック、その口を閉じろ。お前のその本性を考えれば、お前の方がよほど彼女に似つかわしくない』
求婚の後に開かれた、ハイドランドでの夜会。会場横の庭園でさらけ出されたフェルドリックの本音を、彼は鋭くとがめてくれた。
泣き出すのを必死に堪えるソフィーナに気づいてくれたのだろう。次いで、彼は主でもあるフェルドリックを、その場から去らせてくれた。
『……覚悟はしておりました』
手ひどく初恋を失い、さらには自分の愚かさを突き付けられて、露骨に動揺していたソフィーナが、なんとか矜持を保とうと絞り出した言葉は、そんな情けないものだった。
『ソフィーナ殿下、あなたのカザックへのお越しを心からお待ち申し上げている人間は、ここにもおります。そして、あなたのお人柄を知るほど、同じように思う者は増えていくと、確信しております』
だから、彼が静かに返してくれた言葉に救われた。
今日一日、いやカザックに入ってから緊張し通しだったソフィーナは、嬉しさを隠し切れないまま、頭一つ半高い場所にあるアレクサンダーの顔を見上げる。
と、その彼の影から、彼のパートナーの姿が露になった。
「ただでさえひどいのに馬鹿面になっているぞ、ソフィーナ」
「だって、本当に奇麗……」
フェルドリックの嫌味に反応することすらできず、ソフィーナは呆然と彼女を見つめた。
ソフィーナは、姉こそがこの世で一番美しい女性だと思っていた。なのに、その人は姉と全く違っているのに、なお美しい。
腰にまで届く長い金の髪の毛は緩く波をうって、天井からの明かりを反射して光り、それだけで眩いほど。
長い手足と際立って高い身長。
その身をぴったりと包むのは、この会場の誰よりもシンプルな、でも、高級と一目でわかる生地でできた赤色のドレスで、彫像のように整ったスタイルでなければ、絶対に着こなせないものだ。胸元は大きく開いているというのに下品さは全くなく、彼女の完璧さを際立たせるものとなっている。
何より印象的なのは華やかで艶やかな、その空気だ。
(この人であれば、あのお姉さまであっても霞むかも……)
アレクサンダーがハイドランドに来た時に、お姉さまに全く見蕩れなかった理由が心底理解できた。
呆然と彼女を見つめ続けるソフィーナの横で、フェルドリックが皮肉な笑いを零す。
「リック、結婚おめでとう。ソフィーナ妃殿下、ようこそカザックへ。再びお目にかかれて、本当に嬉しいです」
アレクサンダー・ロッド・フォルデリークの声に、ソフィーナはようやく彼の妻から目線を外した。
彼はフェルドリックには目の端を緩ませて気さくに、ソフィーナには丁寧に、温かく挨拶をしてくれる。
その目に浮かぶ誠実さに、以前彼がくれた言葉を思い出して、ソフィーナは本心からの笑みを返した。
「妃殿下、こちらは私の妻のフィリシアです」
アレクサンダーに紹介され、改めて側で見たその人は、本当に美しいという以外の表現のない人だった。
猫目気味の深い緑の瞳、ほんのり桜色の頬と、艶やかに光る淡い色の唇。長くて白い首と小さ目の卵形の顔。
着ているドレスは大人の魅力あるものなのに、全体の印象が透き通っていて凛としていて、決してそうは見せない。
ハイドランドの古い伝承に伝わる、妖精の国の女王さまのように見えた。
(アレクサンダーが結婚していることは知っていたけれど……)
落ち着いた年上の男性に対する淡い憧れの芽も、徹底的に絶たれた気分になって、ソフィーナは内心で少し苦笑する。
「?」
だが、怯みそうになるのを叱咤して、彼女と瞳を合わせようとした努力が、無駄になってしまった。彼女の方が目を合わせてくれない。
「お会いできて光栄です、ソフィーナ妃殿下。並びにご結婚……おめでとう、ございます……」
「? ありがとう」
目を伏せていた彼女が一瞬だけこちらを見て、表情を痛みに歪めた気がした。だが、それを確認する間もなく、その人は再び顔を伏せてしまう。
「フィリシア、今日はまた一段と美しいね」
「……」
フェルドリックの言葉に、彼女は伏せた顔の中で唯一見える耳朶を紅く染め、何かを小声で呟いたようだった。
(……あ)
フェルドリックにはそれがはっきり聞こえたらしい。一瞬素で微笑んだ。
(従弟のアレクサンダーはともかく、奥方もフェルドリックと親しいようだわ)
ちくりと走った痛みに気づかないふりをして顔を伏せると、ソフィーナはそう分析する。そして、さらに後悔する羽目になった。
「……」
ソフィーナの身を包んでいるのは、ハイドランドから持ち込んだ自前のドレス――この結婚のために予算と手間をかけるのが嫌で、適当に選んだものだ。
納得ずくだったはずなのに、居たたまれなくなる。
「アレックス、あっちでヒルディスが呼んでいるようだよ」
「では、妃殿下、失礼いたします」
「御前、失礼いたします、妃殿下」
「……僕には挨拶なしか?」
「してもらえない理由に心当たりがあるだろう?」
フェルドリックをじろっと睨んだアレクサンダーは、夫人に集まる視線を遮るかのように彼女を抱き寄せると踵を返した。
「ほんと、可愛くなくなったなあ……」
その彼にフェルドリックは肩を竦めると、いつもの仮面をぴっちりかぶり直した。
この変わり身の早い彼が夫なのかと、ソフィーナは長々と息を吐き出す。
しかも、すぐに洒落じゃなくなる――それが怖い。
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