第3話 賢さと幸せ
贔屓目とお世辞すべてを考慮に入れて、至極前向きに評価してみた所で、自分の顔は十人並みである――そうソフィーナは自覚している。
ただ言葉にはしない。プライドのためではもちろんなく、下手に声に出そうものなら、優しいアンナや彼女の母でもある乳母が悲しい顔をしながら、必死に否定してくれるからだ。その気持ちはとても嬉しいけれど、余計居たたまれなくなる。
それでも、客観的に鏡を見れば、否応なしに自分の程度がわかる。
そこに映るのは、緩く癖の掛かった茶色の髪に、くすんだ灰交じりの青い瞳、幼さの残る丸い顔、その顔に相応しく低めの鼻。
バランスこそそこそこ取れていると言えなくないものの、取り立てて目立つパーツのない地味な顔立ち。
色が白いのだけが救いだけれど、それにしたって抜けるように、とは絶対に言えない肌。
平均の身長、平均の体重、出てもいなければ、凹んでいる訳でもない、そこそこだけ凹凸のある体型――十人並み、普通以外の言葉がない。
もちろん普通、つまり、蝶よ花よとはいかなくても、それなりに扱ってもらえる容貌ではあるはずなのだ、市井であれば。
けれど、ソフィーナはハイドランド王国の第2王女として生まれてしまった。結果、生まれてこの方、王宮で働く侍女たちの方が美しいなどという事態に、日々直面し続けている。
さらには、3ヶ月違いの妾妃腹の姉、第1王女オーレリアが御伽噺に出てくる妖精もかくやあらんという美女というのも、自身の容姿へのソフィーナの諦めた評価に繋がった。
姉の白金色の髪は上等なシルクのように細く輝き、深い海のように青い大きな瞳はけぶるような長いまつげに覆われ、小さい卵形の顔は雪の様に白く透き通り、整った唇はピンク色の深海珊瑚のように輝いている。華奢な体つきは儚げで、庇護欲を掻き立てられる。
子供心の頃から、ソフィーナはそんな姉とずっと比較されてきた。
父には「お前は良縁など望めない。着飾ったりする暇があったら、勉学に励め」とはっきり言われたし、姉には「似ているところが一つもない」と不思議そうに言われ、貴族の間では「あれで姉妹とは、運命の神は残酷」と噂され、姉の前で「どうしても緊張してしまう」とガチガチになる兄の友人らには、「ソフィーナさまは親しみやすい」とのびのびとふるまわれた。
年頃になってからは夜会などにも出るようになったが、ソフィーナは基本壁の花。そうでない時も、気を使った兄の友人か、何か陳情や相談事のある年配しか話しかけてこないソフィーナに対して、姉はいつも場の中心で華やかな人たちに囲まれていた。
婚約の打診も同じ。縁談が降るようにやってくる姉に対し、ソフィーナは兄が友人に声をかけても対象にできないと固辞される始末だった。
そんな環境にいて、ソフィーナがそれほどひねくれないでいられたのは、母と兄のおかげだと思っている。
一時は大陸の盟主となる勢いのあったハイドランドは、建国から300年経ち、近年ではもっぱら下り坂を転がりつつあった。
ソフィーナの母のメリーベルは、それを辛うじて踏みとどまらせた立役者だ。
侯爵家出身の彼女は、夫であるウリム2世に代わって財政を立て直し、冷害に耐えうる農業政策を実施して国民の生活を安定化させ、多くの条約を外国と結んで貿易を活発化すると同時に、鉱山を再開発、採掘方法や取引を見直して採算がとれるようにした。
兄はその跡継ぎとして、そんな母から熱心に英才教育を施された。同時に「実子と変わらない」と自他ともに認めるほど、母にひどく可愛がられた。
次に生まれたオーレリアについては、ウリム2世と妾妃の反対により実現しなかったものの、ソフィーナも兄と同様に扱われ、結果、ソフィーナは腹違いながら兄とひどく近しい。
母の教育があまりに厳しくて嫌になった時、ソフィーナが逃げ込むのは決まって兄のところで、彼はいつも笑ってソフィーナを迎えてくれた。
お茶とお菓子を出し、おしゃべりに付き合い、最後にはソフィーナを膝の上に乗せ、勇敢な騎士が知恵を絞って邪悪なドラゴンを倒す話や誘惑に負けて悪魔となった魔女の話など、様々な物語を語って聞かせてくれた。
そして、必ず「ソフィーナ、賢く、強くおなり。そうして、周りの人と一緒に、ソフィーナ自身のことも幸せにするんだよ」と締めくくった。
実際ソフィーナが良き王女たろうと努力すればするほど、母だけでなく兄も褒め、喜んでくれた。
賢くなれば、自分たちに未来を託してくれているハイドランドの人々を幸せにして、それで自分も幸せになれると、その母と兄が言うのだ。ならば、それが自分のするべきことだ、とソフィーナは子供心に思い定めた。
あと30年。母は緩やかに老いつつもハイドランドの国力を回復し、彼女の跡を兄が継ぐ。美しい姉は乞われて他国に嫁に行っていて、その頃には国民の生活も大分向上しているだろう。
そして、ソフィーナは兄の補佐をしつつ、いつか田舎で見た結婚式の新婦のように、にこやかに笑い合える、穏やかな相手を見つけて、静かに歳を重ねていく。
――はずだったのに。そのために必死で努力してきたのに。
ソフィーナが14の時に、その母が病で亡くなった。
“賢后”と国民に慕われた彼女の葬儀は、遺言どおり王族らしくない簡素なものだったが、誰よりハイドランドの一般の人々が嘆き悲しんでくれた。ソフィーナはそれに慰められると同時に、母を誇りに思った。
だが、兄にそんな猶予は与えられなかった。国政に全く興味もなければ危機感もない父に代わって、母の死後は必然的に太子である兄に執務が集中した。
成人して間もないというのに日に日にやつれていく兄が心配で、ソフィーナもそのうちの簡単なものを手伝うようになる。
それから4年間、仕事の量は徐々に増えて、大分兄にも余裕が出来てきた、つい半年前のことだ。
ハイドランドに南接するカザック王国のフェルドリック王太子から、婚姻の申し込みが舞い込んだのは。
ソフィーナを含めた誰もが人違いだと思う中、その1月後、カザック王太子フェルドリックはわざわざハイドランドにやってきた。
そして、あの書状が間違いではなかったことをソフィーナたちは知ることになる。
「我が妻として、ソフィーナ殿下を迎えたい。恥ずかしながら、先の会議で一目惚れいたしました」
姉を目にしてなお、そう言ってくれた彼に、ソフィーナは愚かにも舞い上がってしまった。
気付くべきだった――先の会議よりずっと前から、フェルドリックはソフィーナと何度も顔を合わせている。
他の人ならいざ知らず、彼が一度でも出会った他国の王族の顔を忘れるわけがない。それなのに、一目惚れとはどういうことか、と。
「ゼールデ、アンナ、本当に私だったわ、私から直接返事を聞きたいから、ハイドランドに来たと、そう仰ったの……」
「ほら、そうでしょう!? だってソフィーナさまは、本当に素敵なのですものっ、全く不思議じゃありませんと、ずっと申し上げていたではないですかっ」
「夢みたい……。12の頃からずっと憧れてきたのよ。まさか初恋が実るなんて……」
「おめでとうございます、ソフィーナさま。本当に、本当にようございました…」
冷静に状況を、そして相手を分析することも忘れて、ただ喜んで、差し出された彼の手を取ってしまった。
* * *
(その結果がこの茶番なわけよね……)
60年ほど前の内戦にも焼け落ちなかったという、古い、古い神殿。
太陽の神ソレイグスへの敬意を表しているという尖塔をいただく、その建物の下で、ソフィーナは顔を曇らせる。
高窓から注ぐ光が、ソフィーナの身を包む白と銀、金の婚礼衣裳を煌めかせる。横には同じ趣向の衣装に身を包んだフェルドリックが、静かに立っていた。
神殿の長による、古い言葉の結婚の寿ぎが、残響を残して散っていく。
「私、ソフィーナ・フォイル・セ・ハイドランドは、フェルドリック・シルニア・カザックをただ一人の夫とし、生涯愛すと誓います」
儀式が終わりに近づき、ソフィーナはフェルドリックと一生を共にすることを、太陽神に約した。
視界に入るのは神長の下半身とソフィーナの左腕、それを下から支える、フェルドリックの右腕のみだ。
彼と視線を合わせるのも顔を見られるのも嫌で、視界のほとんどを覆ってくれる白いヴェールに感謝した。
「私、フェルドリック・シルニア・カザックは、ソフィーナ・フォイル・セ・ハイドランドを妻とし、生涯愛しぬくとここに誓う」
続いたフェルドリックの声に、観衆から控えめながら歓声が上がった。
「……」
彼は一体どんな顔をして、そんなセリフを口にしているのだろう――ソフィーナはヴェールの下で乾いた笑いを漏らす。
「では、その証を」
肩にフェルドリックの手がかかり、彼と向き合うよう、促された。
別の手が自分の顎にかかって、顔を上げさせられる。ソフィーナの顔を隠していたヴェールが両脇へと流れ、ソフィーナはせめてものの抵抗として視線を伏せた。
「……」
唇に温かい感触が降る。
その瞬間、情けないことに震えてしまった。
彼はそれを見逃すような男ではない。顔が離れて視界に入った、彼の整った唇の両端が嘲るように上に持ちあがっているのがわかって、泣きたくなった。
「……」
今この瞬間こそが、ソフィーナの失態の象徴そのものだった。
典礼官に促されるまま神殿を出、沿道に集まった人々に決まった顔で、決まったように手を振り、言われるまま宮殿に戻って衣装を変えて、カザック王城の本宮殿5階の一室に入った。
同様に着替えを済ませたらしいフェルドリックは、備え付けのソファに優雅に座り、茶を飲んでいた。
「……」
入ってきたソフィーナの全身に目を走らせると、彼はまたも小さな笑いを浮かべる。馬鹿にしているとわかるその笑みに、ソフィーナも薄く笑い返す。
城の正面に向かって大きく開け放たれた窓から、冬とは思えないほど暖かい風が流れ込んでくる。
「さて、と――おいで、ソフィーナ」
カップをおいて立ち上がると、明るい光を背に、この国の王太子フェルドリックが、ソフィーナへと手を差し出してきた。
「……」
ソフィーナが躊躇いつつ、差し出した手を何の気なしに握り、フェルドリックは、自国民への披露のために、バルコニーへと導いていく。
太陽を映したかのように輝く金色の髪が、風に靡いて光る。それと同じ色の金が、新緑色とまだらに混ざった瞳は、いつ見ても不思議な色だ。
引き締まった男らしいラインをしているのに、なぜか艶を感じさせる顎。
高いのに主張過ぎない程度の鼻は文句のつけようなく、目が合って顔全体を綻ばせて笑う顔は、女性でなくても魅入られそうに甘い。
「良かっただろう、馬車で王都一周とかじゃなくて。遠目なら地味なのもそんな適当な恰好をしているのも、目立たないだろうし?」
なのに、口から出る言葉はどこまでもこんな風で、ソフィーナはなおさらやるせなくなった。
それを悟られないように、憎まれ口を返す。
「私に気を使っていただく必要はございません。殿下はそのご尊顔だけが強みでいらっしゃるのですから、せっかくの機会を利用しない手は」
「生憎と顔だけじゃない――実力も人気もある」
ワアアアアァッ
「……」
彼がバルコニーに姿を現した瞬間の大歓声に、ソフィーナは言いかけていた文句も忘れ、唖然としてしまった。
ソフィーナの眼下、城の正面広場に集まった人々が口々に何事かを叫び、遠目にもわかるほどの笑顔を見せている。
この都市の名物でもある花の花弁がそこかしこで撒かれ、吹雪のように見えた。
警備に立っているのは、黒と金と銀の制服を着た騎士たちだ。その彼らもどこか嬉しそうなのは、きっと気のせいではないのだろう。
群衆から向けられるのは熱気と喜び。王族であるフェルドリックと、そこに嫁すソフィーナへの祝い。
他者の慶事を喜ぶ温かさ――昔見た村の結婚式の光景が重なった。
ああ、皆幸せなのだ、そう嫌でも伝わってくる。
「……素敵な人たち。いい国」
ぼそりと漏らしたのは本音だった。けれどすぐに後悔した。
「……」
また嫌味を言われると、窺うように見上げた先。
目が合って一瞬だけ破顔したフェルドリックに、ソフィーナは不覚にも見惚れてしまって、屈辱をまた味わった。
(なぜ彼の本性に気付けなかったのだろう……?)
もちろん気付いていたところで、兄が言う通りどうしようもなかった。けれど、気付いてさえすれば、少なくとも無防備に傷ついたりはしないですんだのだ……。
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