第一章 人を動かすのは、アツさだ!

第6話 最初の一手

イデオラス帝国西側第一コミューン三番街。


同じようなドーム状の建物が並ぶ、面白みのない世界が広がり、くすんだ空気が飛翔する鳥を包み込んでいる。


人々は同じ服を着、同じ靴を履き、同じ昼食を食べ、同じベットで寝る。


均等に整理された世界。

自由と平等を実現する、理想の世界。


その中に唯一つ、異質な物があった。


「ジルが地下水路で見つかった?」


男は単調な世界の遥か上に居た。


「ええ。しかも二人。一人は先日裁かれたあのジルでございます」

「・・・・・・あいつか」


地上約七百メートル。

世界有数の建物である。


男はその最上階に座っていた。


「で、もう一人は?」

「それなんですが・・・・・・」

「どうした?」

「女のジルで、どこにもアルジェラとしての記録が無く、おまけにダウンタウンで暮らしていたようです」


男は深く腰を掛けた椅子から身体を起こし、前のめりになった。


彼のおかっぱ頭が僅かに揺れる。


「何者だ。名前は」

「ジルと、自分では言っておるようですが、恐らく地下の人間が付けたのではないかと」

「ジルだからジルという名前か。可哀想なやつだ」


男は銀縁の眼鏡を中指で持ち上げ、その体勢のまま固まった。


ジルというのは、何らかの理由でアルジェラの地位を剥奪された人間の事である。

誰が命名したのかは不明だが、庶民の生活に馴染めない彼等についた蔑称であることは明らかであった。

彼等は地上で蔑まれ、差別され、排斥される。

彼等が消えて初めて、平等な世界が戻ってくる。


帝国民の最下層──ダウンタウンでも、そのような事があったのだろうか。


彼はそんな"彼女"に同情すると、目の前の男に訊いた。


「検査はしたのか」

「血液検査のみです」

「最新のクォーク検査もやってくれ」

「御意」


男は立ち上がった。


無機質な室内は見飽きたのか、振り返って曇った空の中を覗き込んだ。

無論、そこには何も無い。


彼は下界の眺望に飽きると、コーヒーメーカーの方に足を運んだ。


報告役の男が先立ってコーヒーを淹れようとすると、おかっぱの男がそれを制した。


「あいつはどうだった」


男はコーヒーを淹れながらそう言った。


彼の問いかけは即答するには余りにも抽象的だったため、報告役の男は暫く黙ってから答えた。


「お変わりないご様子でした」

「あの時とか」


それに反し、おかっぱ頭の男の切り返しは早かった。言葉にも速度があった。


カップにコーヒーを注ぐ。


「・・・・・・ええ。何やら叫んでおられましたよ。その、女のジルに向かって」

「女のジルに向かって?何故?」

「さあ・・・・・・」


男はコーヒーを持ったままもう一度座り直した。


だがカップを机に置くと、コーヒーの事は忘れたかのように先程と同じ思慮のポーズをとった。


「念のため、脳の検査もしろ」

「しかしそれは・・・・・・」

「最悪死んでも構わん。だが脳は最後にしろ」

「・・・・・・御意」


報告役の男は承諾し、部屋を出ていった。


折角の建物なのに、最上階では塔の輪切りに程近く、円形の内装はドーム状の家と何ら変わりはない。


「・・・・・・馬鹿が」


それでも彼は高みに居た。


そこから地上を、見下ろしていた。



────────────────────



世界はクォークでできている。

クォークには三つの種類があり、それぞれ、励起、基底、鎮静クォークがある。

そしてそのそれぞれに色荷が幾つかと、決まった熾荷が存在する。


「そして、ハドロンはクォークが──」

「"そして"が多いのう。儂は噂は好きじゃが、講釈にはついて行けんわ」


場所はダウンタウンに戻る。


帝国兵に一時捕縛され、すっかり衣服を汚してしまった"アルジェラの彼"と、特に変わりない爺の二人が、そこには居た。


二人はボードゲームに興じていた。

ボードゲームと言っても、資本主義の競争にかけられ選別された良品ではなく、ダウンタウンの人間が手に入れられる程度の質素だが複雑なゲームであった。


「次は、おぬしの番じゃ。早くせい」

「・・・・・・あいつに協力してほしいんですよ、俺は」


盤上にはマス目が彫られていた。

そこに幾つかの駒が置かれている。

彫刻された駒は美しく佇み、まるでダウンタウンに僅かに残された尊厳を守る兵士のようだ。


そこへ岩肌のような手の甲が伸び、二マス分動かした。


「ほう。意外じゃのう。おぬしがジルに興味を持つとは」

「さっきは俺の興味の理由を説明してやろうとしたんです。でも煩わしいなら喋りません」


彫刻の上に、これまた彫刻されたような手が伸びる。


「残念じゃ」


盤面は複雑に完成し、ひと目見てどちらが優勢か分からないほどになっていた。

青年は他の人間より遥かに知能が高く、老人の方は青年より遥かに経験がある。


「やるなおぬし」


手番は青年にあったが、青年は何か別の事に気を取られているようで上の空である。 

爺もそれに気がついたのか、催促しない。


「これ・・・・・・昔よくやってたので」


青年はそう言って駒を動かした。


青年には友がいないという話であったが、それは今の話である。

かつては存在した。

この瞬間と同じように、盤を挟んで向かい側、そこに居た。


青年が老人にその話をすると、白髭に埋もれた顔を僅かに動かし、微笑むように口角を上げた。


「ならば、今の友は儂というわけじゃな」


老人は喜々として次の手を打つと、青年もその口角を上げた。


ニヤリとしたその表情に、老人は動きを止めた。


「・・・・・・なんじゃ気持ち悪いのう。冗談じゃよ冗談」

「違います。俺の勝ちです」

「へ?」


老人は盤上を覗き込んだが、どうにも勝ち筋が見えない。


青年はゆっくりと自分の駒と相手の駒を動かし、一手一手、自分の勝ち筋へと兵士たちを導いた。


老人が他の手を提案しても、全てが彼の敗北へと繋がっており、途中からは納得して腕を組んでしまった。


「素晴らしい。やはりアルジェラは一味違うのう」


老人が感嘆の息を漏らすと、青年は手を止め、彼の目を見て言った。


「わざわざ言う必要もなかったので今まで言いませんでしたけど、俺はアルジェラじゃありません」

「何?」

「俺は世襲制のアルジェラでしたが、父親が身分を偽っていたらしいです。勿論、俺は納得してませんが」


青年は駒を片付け始めた。


「・・・・・・そうじゃったか」


そして、青年はまた駒を並べ始めた。


「もう一戦するのか?」

「嫌ですか」

「望むところじゃ」


爺は杖をついて腰を上げ、良い具合に落とした。  

岩肌と木彫りの手が交差し、茶色の彫刻と白の彫刻が次第に整頓されていき、威風堂々と隊列を組んだ。


手番も決め終わり、新たなゲームが始まろうとしている。


「・・・・・・爺。頼みがある」 


先手の爺の手が止まった。


「あのジルを、味方につける方法を教えてくれ」

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