第5話 君はあまりにも──
ここ、どこだ?
私は周りを見回した。
くすんだ色の階段、通路、その下に流れる水・・・・・・地下水路か。
私は天井を見上げた。
ぽっかりと穴が空いていた。
かなり深い位置まで落ちてきたようだ。
私は自分の身体を確認した。
幸い骨折はしていない。
足も動くし、腕も動く。
頭も痛くないし健康だ。
「起きたか」
いや、少し頬が痛い。
腫れているようだ。
「早く立て。さっさとここを出るぞ」
私は彼の手を見た。
もしかして、叩いた?
「それくらいいいだろ。コイツらが起きたらもっと困る」
その手が差し伸べられた。
男達と似た、ゴツゴツとした手だ。
私はその手を取り、立ち上がった。
流石に腰は痛くて、思わずふらふらとしてしまったが、彼がもう片方の手も引っ張って支えてくれた。
足元にはあの男達が横たわっていた。
全員気を失っている。
「行くぞ」
アルジェラの彼は歩き出した。
私もその後を追う。
虫とか鼠とか、地下水路は結構汚かったけど、私にとっては凄く綺麗なロケーションだった。
アツくはないけどロマンチック?
そんな感じ。
「ここを出るんだよね?」
「ああ」
私は彼の早足に追いつこうとして、追いつけなくて小走りになっていた。
彼は迷わずに道を進んだ。
まるでこの地下水路に来たことがあるような、もしくは、ここの構造が全部頭に入ってるような。
地下水路の独特な匂いと、ジメジメとした空気のお陰で、私の五感は研ぎ澄まされ、六感までも機能していた。
そのコンディションで私は思った。
さっきからやたらと順調に進んでおられる。
おかしい。
何かあるぞ。
いくらアルジェラでも地下水路の道なんて知ってる筈無いのに。
「出て、どこに行くの?」
「・・・・・・」
図星だ。
「私をどこに連れてくつもり?」
「着いてきたくなければ着いてこなくていい。俺だってお前に着いてきて欲しくない」
なんだよそれ。
私は拗ねたフリをして走った。
彼を追い抜いて先々進んだ。
「おい!待て!!」
彼も追いかけてくる。
相反する感情が顔から染み出していた。
うわあ。これ、アツいなぁ。
私は思わずニヤけていた。
未知の領域を走り回りながら、私とは天と地の身分差があるアルジェラをからかっていた。
「危ないから戻れ!」
「アルジェラに攫われる方が危険だよ!」
「お前なんか欲しくない!でも今ダウンタウンに戻ったら──」
彼は言葉に詰まった。
それに応じて足も止まったようだ。
何やら深刻そうな顔をしている。
目を伏せて、考え込む。
何かに悩んでいるのか、何かを躊躇しているのか。
私には彼の悩みは分からないけど、彼が私を連れて行きたがってるのは分かった。
やっぱり私に惚れてるってことだ。
いやあ。完璧だねぇ。
急速に膨らんだ妄想が、私の頭を一杯にした。
彼は伏せていた目を私の方へ向け、こちらに近づいてきた。
おっ。アツい展開の予感・・・・・・
「──ん?」
だが又もや、何かを言いかけて彼の足は止まった。
「何か暑くないか?」
「うん!すごくアツい!」
「いや・・・・・・そうじゃなくて」
彼は目を細めて周りを見た。
いつの間にか私達は広い空間に出ていた。
足元には水が流れ、壁の周りにも水が流れている。
少し寒いくらいの筈だった。
「まさか──」
その時だった。
身体中に虫が這い回るような酷い感覚とともに目の前が光り輝き、物凄い熱が、私達の周りを覆った。
「熱っ!」
身体中がヒリヒリするような、経験したこともないような熱さに襲われていたが、どこに原因があるかだけはハッキリしていた。
「何!これ!」
鉄の塊が赤くなっているような、そんな小さな熱の塊が私達の周りを駆け巡っていた。
それが熱源だ。
よくよく見ると、黄色く白く熱を発している核の部分があって、それが動物の形をしていた。
小ぶりで、可愛らしいくも憎らしい。
鼠だ。
燃えている鼠だ。
「エレメントだ」
彼はぼそりと言った。
燃え盛る鼠を見て、彼は意味不明な単語を言い放ち、軽く舌打ちを打った。
感じ悪いなと思って彼を見ると、かなり困惑した顔で、緊張の色が全面に染み出していた。
「鼠に赤の励起クォークがエレメントしてる。俺たちはこういう生命体をエレメントって呼んでんだよ。地下の馬鹿じゃ知らなかったろ」
「し、知ってるよ!」
知らないけど。
私達の周りを包囲するように、エレメントは奔っていた。
私達に危害を加えるつもりは無いのだろうけど、このままじゃ動けないし熱にやられて死ぬ。
困ったことはまだある。
「ひゃあ!」
人も鼠も十人十色。
中でも血気盛んな鼠さんは私達の股の下を潜り抜けたり、私達を威嚇したりしている。
その度に脚が熱い熱い。
「どうするの!このままじゃ焼け死んじゃって、革命なんかできないよ!」
「革命?」
彼は目の前の困難より私の言葉に反応した。
「ここは帝国首都だぞ。馬鹿なのか?」
「今そんなことどうでもいいでしょ!早くなんとかしてよ!」
「黙れ。今俺も考えてる」
え・・・・・・
私は熱の中で凍りついた。
嫌な妄想が、まるで突沸した湯水のように頭の中で噴射した。
その妄想が巡るたび、私の身体は解けていった。
まさか──
「魔法・・・・・・使えないの?」
敵は鼠だ。
さっきの対人戦とは事情が違う。
使わない理由がないのだ。
まさかこの男が非殺傷主義者だなんてことはないだろう。
だとすると導かれる解答はひとつなのだ。
「あ?魔法?」
「アルジェラは使えるんでしょ!」
それでも希望を捨てなかった私に、アルジェラの彼は呆れたようにため息をついた。
「おとぎ話だろ」
え・・・・・・?
「・・・・・・ったく。何処でそんなの覚えたんだか。いいからお前も考えろ。この状況を打開する方法を」
何処でって・・・・・・
あれ?
何処だっけ?
私はそれよりも、この男だけでなく他のアルジェラも魔法が使えないことに驚愕していた。
私は念には念を入れて訊く。
「ねえ・・・・・・本当に使えないの?」
「だから使えねえって。夢壊して悪かったな」
そんな・・・・・・
「対魔法兵器も魔法兵器も持ち合わせていない以上、切り抜ける方法は限られてるな・・・・・・」
全然アツくないじゃん。
「・・・・・・どうすりゃいい。ただのジ種だが数が多いな。鼠が嫌がるもの、鼠が好きなもの・・・・・・何かあるか?」
「もういいよ」
「は?」
私は初めて彼を見たとき、運命を感じた。
その運命は理屈で説明できた。
彼は異質な格好だったし、顔はアルジェラっぽかったし、私は魔法が使えるアルジェラに惹かれてたし、いつもの生活はそろそろ退屈になってたし、全部の条件が揃っていた。
奇跡のような巡り合わせだったのに。
本当に運命だった筈なのに。
でももういい。
サメちゃった。
「もういいってなんだよ。このままじゃ死ぬんだぞ」
「もういい。君には期待しない」
「はあ?」
私は脳髄と丹田に力を込めた。
二つの中心から熱がドロっと溢れてきて、じんわりと身体中に広がっていく。
二つの波の交点達が新しい波を生み、丹田も限りなく熱く、頭はぼーっとして何も考えられなくなった。
身体の熱が、徐々に加速していく。
「おまっ・・・・・・!お前なあ!」
「私が使う」
「・・・・・・?」
全身が、地獄のような熱に包まれる。
頭の中が、晴天のように透き通る。
地獄なんて、見たことないのに。
晴天なんて、見たことないのに・・・・・・
「ちょっと待て・・・・・・お前──」
ああ。
「何で、お前・・・・・・」
アツい。アツいね。
────────────────────
目の前の馬鹿がおかしい。
おかしいから馬鹿な筈なのに、馬鹿だからおかしい筈なのに。
目の前の馬鹿から、この世の全てを焼き尽くすような熱風が吹き出ていた。
「・・・・・・」
彼女の目は虚ろだった。
少し前屈みになって、手はぶらんと重力に従い、まるで上から糸で吊るされた操り人形のような佇まいだ。
一体何が起こってるんだ?
あまりにも、あまりにも熱い。
これは魔法なのか?
「"ユーディン"」
彼女がそう呟くと、熱風は意志を持ったかのように動き始め、彼女と俺の周りを囲み始めた。
俺の周りを、熱風が渦巻いていた。
「赤の励起クォーク・・・・・・いや、でも・・・・・・」
物凄く熱いものが身体の周りを覆っている感覚はあった。
だが、身体そのものは全く熱くない。
口から吸う空気も、肌に触れる空気も、少しも熱くないのだ。
「どっちがアツいか勝負だ」
彼女はゆっくりとエレメントの大群へと近づいた。
エレメントらは彼女から離れる。
危険を察知しているのだろうか。それとも物理的に、熱風の熱さが彼らまで伝わっているのだろうか。
「もう。ツれないなぁ」
彼女はそう言いながら、やはりノロノロと鼠を追いかけ回している。
走れないのか?
俺の頭の中は疑問符で埋め尽くされていた。
一つの疑問が浮かぶと、また次の疑問が浮かび、それが永遠に繰り返されて滅茶苦茶になっていた。
「違うのかな。アツさが足りないのかな・・・・・・」
僅かな距離を歩いただけで、彼女は跪いた。
操り人形の糸が弛んでいるようにも見えた。
「もっと集まってよ・・・・・・もっと、私のことを見て・・・・・・!」
彼女は頭を抱え始めた。
苦しみ藻掻くように、叫び声とも唸り声とも似つかぬ獣のような声をあげた。
「"イーグレ"!!」
その途端、渦越しに熱風が伝わった。
俺の肌は焼けるように痛み、その敏感な肌は空気の揺れる感覚を察知した。
俺の視界は曲がり、思わず目を閉じた。
「見て!」
その叫びに呼応するように、俺は目を開けた。
もはや人形の糸は焼ききれようとしていた。
彼女を操る手はあまりの熱さに手を引っ込め、糸がピンと張り、彼女の身体が持ち上がる。
熱風は糸を焼き切り、周辺の鼠共を襲い始めた。
「こいつは・・・・・・」
エレメントが、次々と焼き焦げていく。
同様に俺の中の疑問符も唯一つを残して焼き焦げていく。
「こいつは、何者なんだ?」
俺の身体はもう既に冷えていた。
熱風に護られ、普通の空気を吸っていたお陰で、冷静な思考と精神を再獲得していた。
だが一つだけ熱い場所がある。
「来た・・・・・・!これだよこれ!ピンチからの逆転!最高にアツい!」
胸の奥だった。
「最高だね!」
平穏への欲望。
俺はずっとそれを持っていた筈だった。
そんな精神だからこそ、権力闘争の謀略に嵌められ、帝国での地位が危なくなったのだ。
闘争など大嫌いだった。
貧しくても平穏を選び取りたかった。
そんな俺を帝国は否定し、排斥した。
ここを直ぐにでも出て、帝国の外へと逃亡したかった。
だが、平穏でいるにはあまりにも──
「アツい!アツいね!!」
君はアツすぎる。
──第零章 完
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