第3話 幸せは目と鼻の先
ジルが去った。
取り敢えず一難去った。
「アルジェラの君、どうしてジルから隠れた」
そう言ったのは一人の老人だった。
ゴボウのような足にボロ衣を纏い、油の匂いのする黒ずんだ椅子に腰を落ち着かせていた。
こんなやつを頼らなくちゃいけないのか。
帝国の権力闘争から逃れるためとはいえ、こんな汚い所に落とされるとは思いもしなかった。
まあここを出るまでの辛抱だ。
永遠に続くわけじゃない。
老人は俺の方を見ずに続けた。
「不思議なアルジェラじゃ。わざわざダウンタウンまで降りてくるとは」
探ってくるな。
この老人はダウンタウンの情報屋みたいな人間なのだろう。
面倒だが、仕方ない。
「俺が知りたいのは地下水路から首都を抜ける道順です。地図でも書いてもらいましょうか」
俺は高圧的な態度で老人に迫った。
「おお。いきなり儂の知るアルジェラに成りおったな。ほれ地図じゃ」
予め用意していたと言わんばかりに、老人は地図を出した。
よし。これでいい。
これで首都から抜けられる。
首都を抜ければ、平穏が待っている。
これでいい。
俺は受け取った地図を見て、その場で覚えた。
ぐちゃぐちゃにして破り捨てる。
「流石アルジェラ」
「これでアンタも安心できるだろ」
あの女と話していた時と真逆に、老人は大袈裟なリアクションを取った。
「その代わり、儂に黙っていろと?」
ああその通りだとは言えない。
こいつの目的は何だ?
金か?
普通は金だろうが、多分違う。
「儂は細かいことがどうしても気になる性分でね」
面倒なタイプだ。
そういう人間は俺の周りにもいっぱい居た。
研究気質なやつがそれだ。
あいつらは人を見下すわけでもなく、人を褒めるわけでもなく、ただただ自分の仕事に熱中していた。
目障りだった。
「俺はそういう奴嫌いですよ。サムい」
俺は早足で入り口まで近づき、扉に手をかけた。
さっさとここを出よう。
もう人間と話すのはこりごりだ。
「しかしのう。地下水道へ繋がる扉に鍵がかかっておってのう」
金属の当たる音がした。
振り返ると、骨の浮いた手の中に銀色の鍵が三つほど掴まれてあった。
三つセットの鍵か?
どうして地下水路の鍵がそんなに強固なんだ?
「歳を取ると出来ないことが増えていく。じゃが逆に、出来ることも増えるんじゃ」
そのうち一つを飲み込んだ。
「おい・・・・・・」
そこまでするか、狸ジジイ。
「さて。君が何もしないなら、二つ目も食うぞ?」
何を話せばこいつの気は済む?
別に俺のプロフィールが欲しいわけじゃないのだろう。
ならば──
「逃亡の理由か?地上の情勢か?」
老人の反応は微妙だ。
どちらも違うらしい。
「どっちも頂けるなら嬉しいが、今はあの子の協力者を探しとってなあ」
「・・・・・・」
俺に友人なんて居ない。
いやそもそも、地下の民に協力するアルジェラなんて絶対に居ない。
どうする?
俺か?
俺がやるしかないのか?
老人は二つ目の鍵を飲み込んだ。
俺は決断しかねた。
どっちにしろ俺はここから出られないということか?
今すぐ首都から出たいのに、早く平穏を手に入れたいのに。
駄目だ。
駄目だ駄目だ駄目だ。
自分で水路の鍵くらい解錠するんだ。
俺ならできる俺ならできる。
老人は最後の鍵を口へ近づけた。
「分かった!分かったからやめろ!」
老人はニヤリと笑った。
だがまだ鍵を持ったままだ。
「ジルを探してきてくれ。その間に吐いておく」
なんでお前に命令されなくちゃいけないんだよ・・・・・・
地下住民の分際で生意気な・・・・・・
俺はもう一度扉に手をかけて、外へ出た。
外はジメジメとした薄暗い道がずっと続いていて、壁にはぎっしりと住居や店が並んでいた。
人の顔も見にくい。
しかしまあ、あの女は目立つだろう。
探すのは難しくない。
難しくないが──
「何やってんだ。俺は・・・・・・」
────────────────────
駄目だ。
一向に見つからない。
行き詰まった。
私は綺麗なボロ衣を汚さないように座った。
ダウンタウンの通路はあみだクジのように広がっていて、二つの通路の交わる角にはこうしてひと休憩する人々が居る。
「いっ・・・・・・!」
頭痛だ。
時々する。
迷惑だけど、こういう弱点的なのがあったほうが主人公っぽくてアツい。
私はしばらくの間頭痛と闘って、その場でウトウトと眠った。
「ふぅ・・・・・・」
目が覚めると頭痛は消え去っていた。
すぐに襲ってきてはすぐに去る、爺の言う夕立みたいだ。
何かの病気なのかな。
まあ仮に病気だとしても、ここじゃ治せないけどね。
地上に出なきゃ。
「さて、次はどこを探すかな」
ダウンタウンは大して広くない。
見逃しているとしたら住居の中だ。
通路は一本道だし、薄暗いとはいえ顔ははっきり見える。
その上あの服装だ。
見間違うはずがない。
うん。やっぱり家の中だ。
「でもアルジェラを匿う人なんて地下に居るのかな?」
みんなアルジェラのこと嫌いだし、私もあんまり好きじゃない。
そういう好き嫌いの無い人・・・・・・居ても爺くらいなものだ。
「・・・・・・」
まさか、爺が?
「爺め。この私を騙したな」
私は立ち上がった。
「絶対爺だ。爺に違いな──」
い?
「静かにしろ」
いつの間にか、私は数人の男たちに囲まれていた。
角を曲がって逃げようとする私を男たちはひょいと掴み、ゴツゴツとした手で口を塞いだ。
「連れて行くぞ」
「おう」
ちょっと待って。
どうしよう。
どうしようどうしよう。
ヤバい展開になっちゃった。
「んー!んー!」
私は男たちの肩に担がれ、石でできた猿轡を噛まされた。
私が暴れているのもあるが、移動の振動で頭が大きく揺れて気持ち悪い。
どうなっちゃうんだ?
嫌なことは考えたくないのに、勝手に妄想が湧き出てくる。
幸せは目と鼻の先だったのに、これで全て失うのか?
それは嫌だ。
絶対に嫌だ。
こうなったら使うしかない。
私は、頭を熱くして、丹田に力を込めた。
でもアレを使えば、私は人殺しになってしまう。
こんな奴ら死んでもいいって地上の人なら思うのかもしれないけど、私たちは絶対そうだと言い切れない。
そう思ってる。
そう思ってるはずなのに、身体から力が抜けない。
無理だ。
私の夢だけは諦められない。
殺そう。
殺すしかない。
"魔法"を、使うしか──
「ん?」
突然振動が止まった。
目的地に到着したのか?
私には男の背中しか見えない。
「銀貨を渡した俺が悪かった。モノにすればよかったな」
こ、この声は・・・・・・!
「何だお前?」
「おい。あいつアルジェラじゃねえか?」
「こんな所に居るわけ無いだろ」
最高に・・・・・・!
最高にアツい!
「・・・・・・さっさと終わらせよう。平穏が待ってる」
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