第10話

 母親は夜まで帰って来ません。共働きなのでしょうが、いつも天使はひとりで遊んでいたのです。

 私には一般における母親の育児形態は未知の領域のため存じ上げません。私の家庭には母親は存在しなかったものですから、母親というものは子供と常に寄り添うものかどうかもわかりません。


 しかしテレビや漫画からの情報の限り、母親は家を守り、子供を迎え入れ、父親の帰りを待つ存在なのではないでしょうか。共働きなら子供をどこかに預けるべきではないでしょうか。


 ある時、いつものように天使がリビングでゲームをしていると、突然コントローラーを床に投げつけたのです。それはゲームオーバーになった悔しさではない、もっと破壊的な激情から来るものでした。そして大粒の涙を浮かべて、火がついたように泣き出したのです。


 その姿を見て、誰がじっとしていられるでしょう。誰が見て見ぬ振りをできるでしょう。私は一部始終を見ているのです。私しか見ていないのです。


 私はガラスの前に悠然と立ちました。身を潜める意思を持たずに立ちました。天使はそんな私の姿に気づいたのです。天使は驚いて泣くのをやめました。


 私はガラスを優しく二度ノックしました。恐れられる覚悟はあったのですが、天使は怖じ気づくことなく、ガラス窓の鍵を躊躇ちゅうちょなく開けたのです。私のために窓を開いたのです。私は迎えられたのです。感に堪えない私の痺れる興奮がわかるでしょう。


 私はおもむろに天使に歩み寄り、天使の涙を親指で拭ってあげました。そして私は天使の頭を撫でたのです。


 私は触れたのです!

 この世で最も高貴な創造物に触れたのです!


 蛍光灯に照らされた黒髪に白い輪っかが艶やかに輝いていました。私は間違っていなかったのです。やはり天使だったのです。


 私は誘われて一緒にゲームをしました。天使はとても喜んではしゃぎました。

 私はその時に宣誓したのかもしれません。この笑顔に身命を賭すると。刃向かう全てを駆除すると。

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