第29話 役者仲間3

「かののんはねぇ、ゆずの恩人なんだぁ」


 一升瓶に入った日本酒を新しく運んでもらったグラスに注ぎ、ちびりちびりと飲み進めながら、八幡ゆずはが語りだす。


「私、こんなじゃん? 中学と高校の時はアイドルグループに入ってたんだけど、アンチが結構、多くてさぁ……このまま芸能界で頑張るか、一般人になるか、進路に迷った時期があったわけよぉ」

「あぁ。確かに俺、アイドルやってるお前を見て、頭弱いバカかと思ってたわ」

「でっしょぉ? ゆずもテンちゃんのこと、顔だけの演技ド下手新人だと思ってた~」


 並んで座っている八幡ゆずはと十文字天が、互いの腕を笑顔でつねり合う。


「俺の演技力は、かのんに引き上げられた。多分、最初の共演がかのんとじゃなきゃ、俺は、あのまま消えてたかもな」

「ちょぉっと待ちんしゃい。今、ゆずが語るターンだから」

「おぉ。わりぃ」

「二人とも語らなくていいんだけど」

「かのんがそう言うのなら、俺が語ろうかな。――俺とかのんの出会いは、音楽番組だった」

「べぇさんステイ!」

「わん」


 八幡ゆずはの号令に、一声鳴いた二瓶虎徹。

 堪えきれなくなり、律瑠は噴き出して笑ってしまう。


「皆さんのお話、全て気になりますが……まずは八幡さん、どうぞ」

「さすがりっつー、あざまーす!」


 香乃とゆずはの出会いは、香乃が六歳、ゆずはが七歳の頃。子役が多く出演する教育番組が初対面だった。

 面倒見のいい香乃に幼児たちは懐いていたが、年長の子どもたちは遠巻きに見ているだけ。ゆずはもその一人で、番組は数年続いたが特に親しくなることもなく、二人はそれぞれの道へ進んだ。


 再会したのは、ゆずはが二十歳の時だった。

 バラエティー番組の収録終わりで、ゆずはは落ち込んでいた。収録中、司会をしている芸人から心ない言葉を投げられて、上手く返答ができないどころか表情を凍らせてしまったのだ。

 収録が終わった後でその芸人が「あの子はダメだ。面白くもなんともない」と、ゆずはを評していた言葉を聞いてしまった。


 芸能界は向いていないかもしれない。

 だけど一般人になって、やりたいこともない。


 一人ロビーで落ち込むゆずはの前を、白金かのんが通りがかった。

 背筋をまっすぐ伸ばして、前を見て。

 何かの収録終わりなのか、ロビーを通り抜け外へ出て行く彼女を、ゆずはは追い掛けた。

 彼女はゆずはの一つ下。今は大学に通っていて、仕事をセーブしているのだと聞いたことがある。

 歳の近い彼女に、参考になる話でも聞けないかと思ったのだ。


「そんでぇ、かののんって冷たい態度で意外と親切でしょぉ? なんか話しやすくて色々話しちゃったわけよぉ。その時のアドバイスがまた的確で! 今、私が女優として成功してるのは、かののんのおかげって言っても過言じゃないと思うの」

「違うよ。頑張ったのも選んだのも、ゆずはでしょう?」

「そうだよ。でも、背中を押してくれたのは、かののんなんだよ」


 香乃の顔が赤いのは、酒のせいだけではないだろう。


「んじゃ次、俺な!」

「なんなの? どうして私との思い出語りが始まったの?」

「そりゃぁ、トキへの自己紹介を兼ねてだよ」

「みんな有名人じゃん!」

「トキ! 素の俺らを知ってくれ!」


 満面の笑みの十文字天と、不満顔の香乃。二人の顔を見比べてから、律瑠は口を開く。


「喜んで」


 律瑠が笑顔で頷くと、場の空気を壊せないと諦めたのか、香乃が黙ってグラスを傾けた。


「俺はモデルから芸能界に入ったんだけど、事務所の意向で映画に出ることになって、十二歳のかのんの恋人役に抜擢されたんだ。だけど演技なんて経験のないド素人。事前にワークショップにも色々参加したけど、右も左もわからねぇ」

「あの時ね。読み合わせで、すっごい背の高いイケメンが端っこで縮こまってたの。今じゃ全く想像できないよね」

「今は偉そうにど真ん中に座ってやるぜ! まぁ、そうなったのもさ、あの時のかのんの扱きがあってこそだ」


 初めて尽くしの現場。作法も何もわからなくて、挨拶が終わって共演者が全員揃うまでの空き時間。

 マネージャーもどこかへ行ってしまい、そらは途方に暮れていた。

 そこへ中学生くらいの女の子が寄って来て、話し掛けてきたのだ。「もし良かったら始まるまで、一緒に練習しませんか」と。


「うっわ、白金かのんだ! 本物ちいせぇマジかわいい! なんて感動はすぐに吹き飛ばされたよ。練習が既に本番同様の演技で、俺は全く足元にも及ばない。頭抱えた俺の練習に、空き時間の度にかのんが付き合ってくれたんだ。そこから演技の楽しさを覚えて病みつきになって、今の俺がある」

「次は俺だね」

「べぇさんとのエピソード、何かあったっけ?」

「ないこともない」

「無理矢理探した感じだね?」

「まぁいいじゃないか。俺も語り仲間に入れてほしい」

「わかった。どうぞ」


 苦笑を浮かべた香乃が促すと、二瓶虎徹は静かに口を開く。


「君が大学を卒業して、女優として本格始動した最初の映画に、俺も一緒に出ただろう? その時、気付いたんだ。白金かのんは天才じゃない。秀才なんだって。台本への書き込みに、驚かされたよ。……君との共演はとても楽しかったのに引退だなんて。もう、復帰はしないの?」

「……しないよ。演技は好きだけど、それより大事なものが、私にはあるから。私は器用じゃないから、全部は手に入れられない。それに、同じ理由で律のことを随分待たせちゃったから」


 こつんと肩をぶつけられ、律瑠は曖昧な笑みを浮かべる。

 律瑠とのことがなくとも香乃は、同じ時期に芸能界を引退しただろう。


 律瑠には、香乃の意志を動かす力はない。


「そんじゃぁ次!」

「りっつーの番ね!」


 そらとゆずはの二人から律瑠へと、期待の眼差しが注がれた。


「俺ですか?」


 隣にいる香乃が止めようとしないから話してもいいのだろうと判断して、何を話そうかを考える。長い付き合いだ。色々なことがあったなと、思う。


「出会いは、高校ですね。三年間、全く相手にされませんでした」


 一方的に追い掛けていたから、背中ばかりを見ていた。

 勉強を頑張ったのは、名前を憶えてもらったきっかけだったから。風景の一部じゃない何かに、なりたかった。


「大学は、香乃が行くって聞いたから決めたようなもので」

「え? バカなの?」


 目を丸くした香乃の言葉に、律瑠は「言われると思った」と言いながら苦笑を浮かべる。


「だって、そうしないと接点が切れただろ? 元々候補の一つだったし、受験のいいモチベーション維持になったよ」

「やだ、りっつー。そんなに、かののんラブだったのぉ? なんでなんでー? きっかけは?」


 机に両肘をつき、上向けた手のひらへ顎を乗せたゆずはの言葉で律瑠の脳裏を過ったのは、高校時代に見た、香乃の背中。


「きっかけは些細で。興味本位で近付いて、話してみたら会話が楽しくて。最初は、ただの幼い恋心で。もしかしたら、意地になっていた部分もあったのかもしれない。でも……決定的にのめり込んだのは、隠れて一人、泣いている姿を見てからです」


 壊れそうに、泣いていた。

 心細そうに、震えていた。

 同じ年の、女の子。


「あの時の俺は、声を掛けることすらできなかった」


 助けてと、声にならない叫びを聞いた気がした。


「一人で泣いて、一人で涙を拭って立ち上がって。この子は、何にこんなにも追い詰められているんだろうって、気になって。近付きたい。知りたい。助けになりたいって、思ったんですよね」


 甘えるように、香乃の頭が律瑠の肩へともたれかかる。

 視線を向けた先、真っ赤な顔で目をとろんとさせた香乃は、眠たそうに見えた。


「……香乃? 飲み過ぎた?」


 頭を撫でれば、気持ち良さそうに目を閉じる。

 そのまま力が抜け落ちた香乃の体をゆっくり横たえて、頭を己の膝へと乗せた。


 その様を、三対の視線が追っていた。


「諦めの悪いヒーローか」


 静かに落とされた、そらの声。

 律瑠は視線を持ち上げ、言葉の意味を問う。


「かののんがね、言ってたんだよ。イギリスには、かののんだけのヒーローがいるんだよって」

「どんな奴かって聞いたらさ、諦めが悪いやつって言ってたな」

「でもでも、そんなりっつーだからこそ、かののんのヒーローになれたんだよ。だからね、私はりっつーに、ありがとうって言いたかったの」

「そうだね。いつかは壊れるんじゃないかと心配していた矢先の、吐血騒動だったし。俺たちは仲間だったけど、この子にとっての救世主には、なり得なかった」

「あの時はなぁ、ついにぽっきり折れたんじゃねえかって、心配した。どうやっても連絡取れねぇし、血の気も引いた。だけど復帰した時のかのんは憑き物が落ちたような顔しててさ。トキがいなければ、かのんはきっと、壊れたまま戻れなくなってたんだろうよ」


 友達がいないというのは、香乃の主張で。実際、学校での香乃の友人で律瑠が知っているのは、片手で数えられる程度。それはきっと、香乃が臆病だからだ。信じて、失うことが怖いから。人間関係を築くことを、拒絶していたからなのだろう。


「今日、十文字さんから電話がきた時の香乃の応対を聞いていて、俺、驚いたんです。家族にすら気を遣いまくる香乃が、全く気を遣う素振りも見せずに自然体だったから。信頼してる人なんだろうなって、思いました」

「まあ、付き合いだけは長えからな」

「下手したら、家族よりも濃密な時間を過ごしてるかもぉ」

「役者仲間って、そういうものなんじゃないかな」


 人は、出会いに支えられる。


 この頃、香乃のことでよくお礼を言われる律瑠だが、香乃が今幸せそうに笑えているのは、律瑠だけの力ではないことを理解していた。


「今日、お誘いいただけて、よかったです。お会いできて、よかったです」


 酔いつぶれて眠ってしまった香乃の頭を撫でながら、律瑠はその後長い時間、三人から多くの思い出話を聞いた。

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