第27話 子役時代2

 株式投資の元手を稼ぐため、十三歳未満の子どもでも労働でお金を稼げる唯一の道にチャレンジしてみることにした。


 何年も掛け、中学生になるまでに溜まったお金で株を買うという計画だった。

 行動があまりにも遅いと、彼女の持つ記憶の活用期限が過ぎてしまう。働ける年齢になってからでは、全てが遅い。


 新聞の広告で見つけた芸能事務所のオーディションを受けたいと両親を説得して、彼女は母と二人、オーディション会場へ向かった。

 容姿は平凡だが、元は大人で色々な仕事の経験がある。中学生の頃は演劇部に所属していて、一時は役者を目指そうかと考えたくらいだ。何も知らない子どもよりは、演技も多少はできるはず。


 気合を入れて臨んだオーディション。


 未来が変わる、最初のきっかけだった。


 芸能事務所に所属してからの日々は、ただただ、必死だった。

 挫折は許されない。彼女が諦めれば、家族全員の救われる道が断たれてしまう。


 一度した経験は全て捨て置き、仕事に打ち込む毎日。

 前の時に諦めた大学には行ってみたかったから、仕事をしながら勉強も頑張った。


 稼いだお金の管理は、母に頼み込み、彼女自身がしていた。

 母は良い母親だったが、箱入り娘の世間知らず。お金の管理については信用してはいけないと、経験上、知っていたからだ。


「香乃。お前、稼いだ金を全部自分の物にして、どういうつもりだ? 育ててやってるんだ。もっと親にも還元したらどうなんだ」


 久しぶりの、父からの攻撃の言葉。


 子役の仕事と勉強に忙殺されていた彼女が、父と関わる時間をあまり取れなかったために忘れかけていた、彼の本質。

 前の時には散々心を痛めつけられ、大人になってからは何度もぶつかり合い、最終的には折り合いが付けられるようになっていたもの。


 頭が真っ白になったのは一瞬で、彼女はすぐに、頭の中で対策を練りはじめた。


 「もっと」と言ったということは、生活費として毎月母にお金を渡していることは知っているようだ。

 事務所の社長の力で、彼女の想定以上に稼げてしまっている現状。お金を渡してしまうのは簡単だ。だが彼女には、家族全員の一生は重過ぎて背負えない。

 当然、両親の老後を背負う覚悟は、前の時からしている。

 だが今の父はまだ若い。家族を作った責任を果たしてもらいたいと思うのは、子どものエゴだろうか。


 父は基本的に、努力と労働と、先を考えることが苦手なタイプの人間なのだ。

 そして彼もまた、母と同じで金勘定ができない。


 お金を渡すのは、簡単だ。だがきっと、人間としてダメになってしまう。

 父が働かなくなれば、しわ寄せは家族にくる。

 誰よりも――真面目な母が、子どもたちへ負担を強いることを良しとしない母が再び、全てを背負おうとしてしまう。


 考えた結果、彼女は父の敵となる決意を固めた。


 中学一年生となった姉が、部活で不在の土曜日を選んだ。


 父が背負う一億の借金。

 借金によって崩れる、父と祖母の関係。

 祖父からの、父への殺意。


 前の時に起こった家族の問題を回避するためには、祖父母とは別々に暮らすほうがいい。彼女は手を尽くし、言葉を尽くして父を説得した。

 新築を建てて祖父母の家から自立する。彼女の提案に同意する条件として、父は告げたのだ。「香乃もいっぱしに稼いでいるのだから、費用を負担しろ。親孝行だ」と。


 予想はしていた。


 だから彼女は、差し出した。


「ここに、千五百万ある。これは、私の人生を親から買い取るためのお金。これまで私が稼いだ、ほぼ全部。中学から先、学費も生活費も、自分で払う。独り立ちした子どもが稼ぐお金は、親には関係のないもの。うちが裕福じゃないのは、理解してる。だから私が抜ける分、るぅちゃんと秀平に使ってもらえませんか」


 前の時を含め、初めての土下座だった。


 父以外、家族は全員、彼女の味方だった。その構図は、前の時と同じ。だけどそれではダメなのだ。

 自分のせいで家族は壊せない。前の時にはギリギリ、壊れなかったのだから。


 家の中に不穏な空気が流れないよう気を使い、姉と弟と母が不快に思わない程度に父の機嫌を取る。

 彼女がいなければ家の中に問題はないのだと気付いてからは、これまで以上に仕事へ打ち込み、家族と関わらなくて済むようにした。


 家の中が、居心地悪い。

 前の時も、同じ時期にそうだった。彼女と父は似ているからこそ、反発し合う。


 変えられたものがあれば、変えられないものも存在する。


 高校は、前の時と違う学校を選んだ。


 前の時は特に何も考えず普通科に通ったが、今回は商業について学びたくて、商業高校へ進学した。レベルの高い学校で、仕事と勉強の両立は厳しいのではないかと周囲からは心配されたが、幸い、彼女の特技は勉強なのだ。


 友人は作らず、学校には勉強のためだけに通った。

 放課後は現場へ直行して、家には寝に帰るだけ。


「かのん。あんた……大丈夫?」


 彼女を売れっ子として育ててくれた事務所の社長が、心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。


「何も問題はないよ? 勉強は移動中とか待ち時間で済ませちゃうから、夜更かしは絶対にしないし、睡眠バッチリ。ご飯も三食、栄養バランス気にして運動だってしてるから、体型維持も完璧なはず。あ、新しいドラマの台本のこと? セリフ量多いけど、なんとかなると思うよ」

「さすがだわ。褒めてあげる」

「えへへ。ありがと~」

「でもね、違うの。私が言っているのは、心の健康のほう」


 見つめ返した社長の表情は、真剣だった。


「友達いないの、心配してる?」

「それも心配だけど、家のほうが、すごく心配。……あんたのお母さんが私を訪ねて来たのよ」

「お母さんが? なんで?」

「高校に通う三年間が、将来を決める一番重要な時期なのは、私からも話したわよね? お母様は同じことを心配してらっしゃるの。それと、一足飛びに大人にならなくちゃいけない環境を作ってしまったことに、責任を感じていると仰っていたわ」


 数秒の沈黙の後で、彼女は微笑んだ。


「私が将来どうなりたいかは、景子さんには、話したよね。学生生活は、大学に行けたら楽しむ。お母さんにも私の考え、伝えるようにするね」

「そうしなさい。あんたはしっかりし過ぎてるから、ある時ふっと折れてしまうんじゃないかって……私も、心配してる。なんでも話せる友達でもいれば、また違うかもしれないわよ」

「うーん……残念だけど私、人間を信用するの、苦手」

「知ってる」

「あ! でも、景子さんは信用してる!」

「そうね。懐かれてるなっていう自覚は、私にもあるわ」

「それに私には、心の支えが未来にいるから」

「……モナだっけ?」

「そう! あの子に会うまで、私は折れない」


 楽屋の扉を叩く音がして、撮影準備が整ったと告げられた。

 スタッフについて楽屋を後にする彼女の後ろ姿を見送りながら、社長は、溜息を吐く。


「モナに会えた後、そのモナを失えば、あんたは簡単に折れちゃうってことよね」


 彼女本人も、自覚している未来。


 誰にも話していないし、これからも誰にも話すつもりはないが、彼女は、今度こそ愛犬を自分の手で幸せに出来たのなら、愛犬の最後を看取った後は彼女自身がどうなろうと構わないと考えている。

 家族の窮地を救い、犬を飼い始めた責任を取る。それが、やり直しを強いられた彼女に与えられた役目なのだろう。


 役目が終われば、生きることから解放されても、いいだろうか。


 本当は、前の時からずっと、生きているのがつらかったのだから――。

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