第25話 役者仲間2

 ゆっくり支度をして、いつもより少し早めだがモナの夕飯と散歩を終わらせてから、二人は歩いて駅へと向かう。

 普段は車での移動が主だが、外出する時の香乃は堂々と顔をさらしている。

 香乃曰く、「今は一般人だし、普通にしていればバレない」とのことだ。確かに電車の中でも、誰かに声を掛けられたりカメラを向けられたりということは起こらなかった。


 香乃の案内で店に着くと、そこは個人経営らしき居酒屋。


「ここのオーナーとテンちゃんが仲良しなの。お肉がめちゃうまなんだよ」


 洒落た和風の店構え。如何にも芸能人がお忍びで通っていそうだ。

 引き戸を開けると、出迎えに現れた店員が香乃を見て訳知り顔になる。ちらりと律瑠へ視線が移され、なんだか気まずいなと、律瑠は思った。


「やっさん、久しぶり。テンちゃんはいつもの部屋?」

「随分遅かったのね? 三人とも、もうかなり飲んでるわよ」

「うん。だって、急過ぎるんだもん」


 迷いのない足取りで香乃が向かったのは、店の奥の個室だった。

 襖を開けると、三対の視線が香乃と律瑠へ向けられる。


「やっと来たー! かのの~ん!」


 室内で唯一の女性が立ち上がり、香乃に向かって突進した。

 抱き付かれてよろけた香乃の背中を、律瑠が片手で支える。


「久しぶりー! 会いたかったよぅっ。どうして連絡くれないのぉ。ゆず、ずっと待ってた」

「特に用がなかったから」

「このドライっぷり! 間違いなく、ゆずの、かののん!」


 香乃に飛び付いたのは、八幡ゆずは。香乃の一つ年上で、香乃と同じく子どもの頃から芸能界にいる。

 十代の頃はアイドルグループに所属していて、現在は映画と舞台を中心に活躍しているのだと、ここへ来る道中、香乃が律瑠に教えてくれた。


「おいこらハチ! 入口でごちゃごちゃやんな! 後ろでやっさんが酒持って待ってるだろうが!」

「はーい! かののんは私の隣ね!」


 座っていても身長が高いことがわかる茶髪の男性に怒鳴られ、八幡ゆずはが律瑠のもとから香乃を連れ去る。

 少し迷った末、とりあえず空いていた席に腰を下ろすと、先ほど入口で出迎えてくれた店員が大ジョッキとお通しを香乃と律瑠の前に置いた。これは香乃が入口で頼んだものだ。

 店員の胸にある名札には、『店長 安田』と書かれていた。


 上座が空けられていたのは、恐らく、わざとなのだろう。


 出入口に一番近い席に八幡ゆずはが座り、その右隣りにいる香乃にべったり抱き付いている。

 八幡ゆずはと、香乃を挟んで座っているのが十文字天じゅうもんじそらだ。律瑠は彼の向かい側。

 そして、律瑠の隣にいるのは、この中で一番年上らしき男性。

 彼を知らない日本人などいるのだろうかと言われるほどに有名な歌手で、俳優としても活躍している人物。


「テンのやつがいきなり呼び出したりして、悪かったね。俺は、二瓶虎徹にへいこてつっていいます」

「いえ、お招きいただき光栄です。時任律瑠ときとうりつると申します。香乃の、婚約者です」


 向かい側から口笛が聞こえた。

 吹いたのは、十文字天じゅうもんじそらだ。


「いいねぇ! とりあえず飲もうぜ!」


 にかり笑った口元から、八重歯が覗く。学生時代、この八重歯が堪らないのだと女子たちが騒いでいたなと律瑠は思い出した。

 この四人の中に自分が混じっていることには違和感しかないが、香乃が家族以外とリラックスした様子で食事する姿は、珍しい。


「律、何食べたい? 私のお勧めはねぇ、ミスジ! あ、アワビ食べよ! べぇさんとテンちゃんが奢ってくれるよ」

「うん。好きな物を頼んでいいよ」

「おぅよ。そんかわり、根掘り葉掘り聞くかんな!」


 香乃と三人の関係性がわからない律瑠には口出しできず、香乃が選んだ物を一緒に食べるとだけ伝えておいた。


 食べ物の注文が済んだところで、男二人が体ごと律瑠へ向き合い、にっこり笑う。


「やぁっと会えたな、ヒーロー」

「ヒーロー……?」

「指輪の君、だよね?」


 十文字天からは『ヒーロー』。二瓶虎徹からは『指輪の君』。指輪については見当が付くが、ヒーローのほうは全くわからない。

 香乃へ視線を送るも、逸らされた。

 動揺しているということは、香乃には心当たりがあるらしい。


「かのんの人差し指の指輪は、共演者の中では有名だったんだよ」


 二瓶虎徹が、穏やかな笑みを浮かべた。


 毎日付けてくる指輪。外さなければならない時には小袋へ入れてポーチの中に仕舞われるそれは、大切な人からの贈り物なのだと周囲に話していた。

 恋人からのプレゼントではないかという噂も立ったが、白金かのんの近くに、それらしき男の影は皆無。週刊誌がこじ付けで報道したのが、十文字天だった。


「あの写真もひどかったよねぇ? みんなで飲んだ帰り道で、私もべぇさんも他の共演者もいたのにさ、上手い具合にテンちゃんとかののんだけを写真におさめちゃって!」


 大ジョッキは既に飲み干し、いつの間にやら追加注文した冷酒に口を付けた香乃の左手に絡みつきながら、八幡ゆずはが憤慨する。


「俺んところと、かのんの事務所の怒りを買って、向こうのが大変なことになったけどな」


 ざまぁみろとでも言いたげな笑みを、十文字天が浮かべ


「私あの件で、景子さんだけは敵に回しちゃいけないなって思ったよ」


 香乃は苦い笑みを浮かべながら、当時のことを思い出しているようだ。


「んでお前ら、結婚まで随分時間が掛かったじゃねぇか。しかも、式は来年なんだろ? のんびりし過ぎてないか?」

「本当だよぉ! かののんの指輪に気付いてから……あれ? 何年だ? ……五年以上? 経ってる気がする」

「俺はてっきり、かのんが芸能界を引退したのは結婚のためだと思っていたのに」


 三人に詰め寄られ、律瑠は苦く笑いながら事情を説明する。


「仕事で、俺がイギリスにいたんです。今年やっと、日本に戻って来られたので」


 イギリスという言葉に、十文字天と八幡ゆずはが反応した。

 何故だか心底嬉しそうに、二人が笑う。


「やぁっぱり! りっつーがかののんのヒーローくんなんだね!」

「ふぅーっ、良かったぜ! 実は別のやつなんじゃねぇかって、言っちまった後で、ちょっと心配したじゃねぇか」

「あの……さっきから『ヒーロー』って、何のことですか?」

「トキお前、よくこんな面倒臭い女のそばに居続けたなぁ!」

「トキ……?」

「りっつーは、ちゃぁんとかののんの本質をわかってくれたんだよね? ツンデレじゃなくてツンドラなのに、よくもまぁ支えてくれました!」

「ツンドラ……」

「トキトーくんが根気強い人で良かったね。いつか俺がお嫁さんにもらうつもりだったのに、取られちゃったな」

「え!?」


 バンッと机が叩かれて、室内の視線を一身に集めた香乃の顔は、真っ赤に染まっている。


 役者仲間を一人一人睨み付け、口を開いた。


「呼び方がバラバラ!」

「…………香乃。そこはどうでもいい。もしかして、照れてる?」

「うっさい、おばか!」


 酒が足りないと言いながら、香乃が席を立つ。「トイレ」と一言告げて、出て行った。

 逃げて行く背中を見送り、律瑠は笑みを零す。


「本当は、少し心配していたんです。香乃は人に心を開くのが、とんでもなく苦手だから。でも、良かったです。彼女が面倒臭い性格だって理解した上で、こうして一緒に酒を飲める友人がいたんだって知れて」


 一人一人と目を合わせて告げると、三人は、穏やかに表情を緩めた。


「だって付き合い長いもん。七歳の頃からだから……二十二年か! でもまぁ、仲良くなったのは、お互いに成人してからだけど」


 昔を懐かしむように、八幡ゆずはが頬杖をつく。


「俺は、十六年か。かのんの兄貴役に恋人役、色々やったからな。もう妹だ、妹!」


 豪快に笑いながら、十文字天は酒を煽る。


「一つの作品を一緒に作り上げるから、付き合いも濃くなるよね。俺は十五年かな? 中学生のかのんは、かわいくない子どもだったな」


 手元のエイヒレをかじりつつ、二瓶虎徹が優しく目を細めた。


「そうっすか? なんか猫みてぇって思ってたけど」

「警戒心が強過ぎて? その強い警戒心がさ、大人にはかわいげなく映ったんだよ」

「私は、べぇさんの言うことわかるなぁ。子どもの時、この子とは仲良くなれそうにないやぁって思ったもん」

「そのわりにはハチ、今はかのんが大好きだよな?」

「うん! かののんが本当は優しい子で、不器用なんだなぁって、気付いちゃったの。そしたらなんか段々、この子カワイイ! ってなった」

「ゆずはの言うとおり、本質に気付くとかわいく思える。かのんが結婚なんて一生無理だろうって、彼女を知ってる人はみんな思ってたんだけどね。――トキトーくんは、どうやって婚約を承諾させたのかな?」


 再び律瑠に注目が集まった。

 指輪を渡した日のことを思い出して、小さな笑みを零す。


「ただ……必死に。みっともなく、懇願したんです」


 襖がそっと開けられる気配。だけど誰も入っては来なくて、自然と全員の視線が、微かに空けられた隙間に集まる。

 香乃の片目が、室内を窺っていた。


「恥ずかしい話、終わった?」

「いやお前、まだこれからが本番だったんだぞ? でも待て、俺もトイレだ」

「そういえば、かののん、お酒頼んだの?」

「うん。トイレ帰りにやっさんのところでグレハイを一杯飲んで、一升瓶もらって帰ってきた」

「いい酒もらってきたじゃないか。トキトーくんはイケる口かい?」

「律はあんまり飲めないよ。これの代金は私が払うから、余ったら持って帰ってもいい?」

「好きにしていいよ。代金はテンが出すけど」

「テンちゃんは二児のパパで、べぇさん独身じゃーん。ゆずも出さないけどぉ。タダ酒おいし~い」


 一升瓶を抱えた香乃が歩いてきて、二瓶虎徹と律瑠の間に割り込み、腰を下ろす。


「かののんが逃げたー」

「だって私、今日はとことん飲むから」

「それで、どうしてそこなのかな? 俺はトキトーくんをいじめるつもりだったんだけど」

「べぇさん、人を潰すの得意だから。律が潰れたら帰れない」

「香乃は、潰れるほど飲むつもりなの?」

「もう既に結構、酔ってる。律がいると気が緩んで……だめだぁ」


 珍しいものを見たと香乃の友人たちは喜び、律瑠は口元を緩ませた。


 若い二人を祝い、からかうために催された宴会は深夜まで続き、思い出話が宴会を彩っていた。

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