第24話 役者仲間1

 照明が絞られた薄暗い店内。


「かのん、復帰おめでとう!」


 他の客の喧騒が遠い個室で、それぞれが手にした飲み物を掲げる。


「ご心配お掛けしました」


 一人の年若い女性が頭を下げると同時に、宴が始まった。

 個室内の年齢層はバラバラで、何かしらの仕事の集まりのようだ。


「体調、もう大丈夫なのか?」


 乾杯の合図をとった青年が酒を手に移動して、頭を下げた女性の向かいへ腰掛ける。


「うん。イギリスで、のんびりしてきたから」

「あ、やっぱりイギリスだったんだ? ネットで話題になってたよ~。イギリスに親戚でもいるの?」


 右隣の女性からの問いに、かのんと呼ばれる彼女は、曖昧に笑った。


「私だけの、ヒーローがいる」


 人差し指に嵌められた、海色の宝石が付いた指輪を、彼女の右手が包む。


「男か」

「いやいやぁ、かののんのことだから、犬じゃない?」

「お! ついに飼うのか? 念願の」

「まだ。完璧に幸せに出来る準備を整えてから、迎えるの」

「もし恋人がいるなら紹介しろよ。俺様が見極めてやる」

「私も私もー! かののんって、男見る目なさそう! てか、人を見る目に自信がないから、他人を拒絶してるんだよね? 素直じゃなくてカワユス」

「ゆずはが私を理解し過ぎてて、怖い」

「何年の付き合いだと思ってるのよぅ」

「かのんは捨て猫みたいな子どもだったもんなー」

「テンちゃんと私って、そんなに長かったっけ?」

「まぁ、子役時代はテレビ越しにしか知らんけどな。監督から、そう聞いたってだけ。でも初対面の相手には警戒心バリバリで中々心を開こうとしないのは、今もだよな」

「警戒心バリバリを悟らせないように表面取り繕うのは大得意だよね、かののんは」


 二人に大きな声で笑われ、彼女は顔を微かに顰めた。


「んで?」

「ヒーローはどんな人ー?」


 無意識なのか、彼女の右手が指輪を撫でている。


「……諦めが悪いやつ」

「ほぉ」

「あとは?」

「今も、私は自然消滅を狙ってるんだけど」

「は?」

「かののん、ひどっ」

「だって、私にはもったいない。頭良くて、友達も多くて。私と違って、人間力がかなり高い。どうして私を望んでくれるのか、理解できない」

「おっまえはまた! ややこしいなぁ!」

「かののんって、ほーんと自己評価が低いよねぇ。超超、売れっ子女優なのに」

「女優としての自分には自信があるんだ。たくさんの人に育ててもらったから」

「プライベートは?」

「自信がないわけじゃない。ただ、待たせるほどの価値が私にあるとは思えない。私の優先順位は、もう随分前から、決まってるから」


 話を聞いていた二人は同時にグラスを傾け、酒を煽った後で盛大なため息を吐いた。

 そして顔を見合わせ、頷き合う。


「私、わかっちゃった」

「俺もー」

「ヒーローって言っちゃうくらいだもんねぇ?」

「本当にな。かのん、お前はヒーローをどう思ってるんだよ?」


 問われ、彼女は微笑んだ。


「ひみつ」


 その後、何年も彼女の人差し指で指輪が輝いていたことが、何よりの答え。



   *



 遊び疲れたモナは香乃の足を枕にして寝息を立て、香乃は律瑠の膝枕で昼寝中。一人と一匹のかわいい寝姿を存分に写真に収め終わった律瑠はローソファの背凭れに体重を預け、本を開いた。

 夕飯の支度をはじめるにはまだ早い、休日の穏やかな時間帯。

 静寂の中、左手で香乃の髪を撫でていた律瑠の耳にバイブ音が届いた。

 音の発生源に視線を向ける。

 床に放られた香乃のスマートフォンの画面が、着信を知らせていた。


「香乃。電話」

「…………だれ?」

「漢数字で『十』って表示されてる」

「あ~……出ないとウザいやつ」


 香乃が右手を伸ばし、スマートフォンを握った。通話の操作をすると、何故なのか、耳から離した位置で構える。


「かのんお前結婚するって本当か!」


 スピーカーにしていないはずなのに、はっきりと漏れ聞こえたのは低い男の声。早口な上に一息で、用件は発された。


「うるさ~い」

「あぁ? 声が遠くて聞こえねぇよ」

「うざ」

「聞こえたぞコラッ」


 くすり笑った香乃が、画面を操作してスピーカーへ切り替える。これは、律瑠も聞いていいということなのだろう。

 モナが「うるさい」と言うように鼻息で抗議してから、どこかへ歩き去っていく。方向的に、自分の部屋へ向かったようだ。


「とりあえず今から来い。いつもの店な」

「行かない」

「あ、そうだ。結婚相手も連れて来い」

「行かないってば」

「二と八もいるからなー」

「聞いて」


 一方的に通話が切られ、香乃が大きな溜息を漏らした。

 相手が誰なのかは全くわからなかったが、かなり親しい間柄というのは察せられる。


「香乃、浮気?」

「浮気相手との通話を堂々と聞かせるなんて、とんでもない性悪ね。……十文字天じゅうもんじそら。役者仲間。あの人って、いつも強引なんだよ」


 心底嫌そうな顔をした香乃は立ち上がろうとせず、律瑠の膝に頭を乗せたまま。

 うとうとと、再び目を閉じる。


「行かないの?」


 十文字天じゅうもんじそらなら、律瑠も知っている。実力派の若手俳優として、超の付くほどの有名人だ。

 白金かのんとは何度も共演していて、律瑠がイギリスにいる間に熱愛報道が出ていた。香乃から事前にそういう記事が出ると説明されていたため動揺せずに済んだが、嫉妬しなかったわけではない。

 二人の熱愛報道は、十文字天じゅうもんじそらが人気モデルと結婚したことにより、立ち消えた。


「……家で、律とモナとのんびりするほうがいい」

「俺もそうだけど……相手、待ってるんじゃないか? そうだ。ニとハチって?」

「二瓶虎徹と、八幡ゆずは。音瀬監督のお気に入りたち。ちなみに私は『シロ』って呼ばれてた。電話してきたうるさい人は『十』って書いて『テン』なんだけどね。どうして天井の『テン』じゃないのかは、呼び方を決めた監督本人にもわからない」


 穏やかな表情で、香乃は語る。口では拒絶の言葉を吐きつつも、香乃が好きな人たちなのだろう。


「そういえば、俺も呼ばれたの?」


 香乃が無言で、寝返りを打つ。もぞもぞ動き、律瑠の腹に顔を埋めた。両手は、律瑠の腰へと回されている。


「どうした?」

「なんかヤダ」

「何が?」

「律に職場モードを見られるのも、あの人たちに、律といる素を見られるのも。どっちもヤダ。切り替えが上手くいかなくてバグりそう」

「なるほどなぁ、うん。行こう!」

「言うと思ったぁぁぁ」


 そんな面白いもの、見たいに決まっている。

 律瑠に横抱きにされた香乃は、外出着が収納されている寝室のクローゼットへと連行された。

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