第21話 大学時代の二人2

 互いの家の事情について話した後でも、友人関係は変化することなく。

 だけど律瑠が一人でいる時なら、彼女のほうからも声を掛けてくれるようになった。


「今、帰り?」

「金城さんも?」


 頷いた彼女に、バイクで送ろうかと言ってみた。断られるだろうと思っていたが、予想外にも、彼女はバイクに興味を惹かれている様子を見せる。


「おー! 思ってたのと違う!」


 バイク置き場までついて来て、彼女は律瑠の愛車を見て、楽しそうに笑った。


「原チャだと思った?」

「思った! でも原チャでここまでって大変?」

「原チャはスピード出ないからね。近所ならいいけど」

「こういうの、好きなんだね」

「うん。好きだよ」

「バイクの免許って、何歳で取れるんだっけ?」

「十六歳から。俺は十六で取った」

「じゃあ二人乗り、できる?」

「できるから誘った。乗る?」

「乗りたい! けど、ヘルメットがないや」

「……実は二つ、ある。一度も使ってないから、きれいだよ」


 彼女には予備のヘルメットだと嘘を吐いた。

 本当は、彼女を後ろに乗せたくて、機会が来たら逃さないようにと用意していた、律瑠の下心が詰まったヘルメット。


「うちに寄ってもいい? 読みたいって言ってた漫画、貸すよ」

「百巻あるんだっけ? 漫画と一緒に運んでもらえたら、助かります」


 彼女の家の場所を聞き、大体の位置を把握した。

 バイクの後部座席に乗る時の注意事項を伝えてから、バイクに跨る。


 高校時代、友人を乗せることもあった。だけど男友達を乗せるのとは、全く違う。


 スキニージーンズを履いた彼女の両膝が、律瑠の腰を挟む。遠慮がちに両手が回されて、臍辺りの服が握られた。

 背中に感じる体温。心臓が、痛い。

 この緊張が彼女に伝わらなければいいなと願いながら、律瑠はバイクを走らせた。



 自宅に到着して、律瑠は部屋へと駆け込んだ。

 彼女には、停めたバイクの前で待ってもらっている。

 手近な袋に漫画を詰め込み、急いで戻った。

 浮かれて失念していたが、母がそろそろ仕事から帰って来る時間だ。鉢合わせは、まずい。


「あら? どなた?」


 玄関の外から聞こえた声。スニーカーを引っ掛け、律瑠は慌てて飛び出した。


「律瑠くんの友達の、金城香乃と申します」


 思わず、フリーズしてしまう。

 じわじわ顔に熱が集まり、にやけそうになる口元を、手の甲で隠した。


 律瑠くん――。

 はじめて彼女に、下の名前を呼ばれた。


「まあ! まぁまぁまぁ、金城さん! 香乃ちゃんね? 律瑠がいつもお世話になってます。母の寧々です」

「か、母さん、ちょっと!」

「あら、なぁに律瑠ぅ」

「やめて! その顔!」

「この顔は仕方ないわよー。香乃ちゃんよねぇ? 香乃ちゃんなんでしょぉ? 香乃ちゃんなんだものぉ!」

「やめて! まじやめて!」


 律瑠の想い人は、随分前に、母にバレていた。


 彼女が高校時代に主演を務めた恋愛映画。DVDを借りたからと母に誘われ見たのだが、律瑠は途中で席を立った。

 演技だとわかっていても、他の誰かと恋愛する彼女を、見ていたくなかったから。

 金城香乃は律瑠のものじゃない。画面の中の彼女は白金かのんで、だけど相手役の俳優に、激しい嫉妬を覚えた。


 そして、彼女が律瑠と同じ高校に通い、大学も同じだと把握していた母は、目敏かった。


「良かったらお茶でもいかが? ちょっと律瑠、茶菓子でも買ってらっしゃい」

「いいから! 貸す漫画取りに来ただけだから!」

「……ふふっ」


 冷や汗を掻きながら母を玄関へ押し込もうと奮闘していた律瑠の背後で、彼女が笑った。


「仲良し、だね」


 その笑顔はずるい。とてもかわいい。かわい過ぎる。


 彼女に見惚れた律瑠の脇をすり抜け、母が彼女の手を握った。


「律瑠が真面目に勉強を続けられたのは、香乃ちゃんのお陰なのよ。将来を見据えて大学をちゃぁんと選べたのも、香乃ちゃんが指針になったからだと思うの。会えたらお礼が言いたいと思ってたのよ。――ありがとう」

「私は、何も……」

「律瑠が勝手に、あなたに憧れただけなんだけどね」

「母さんッ!」

「あらやだ、怒られちゃった」


 今度一緒にお茶しましょうと母に約束させられていた彼女をなんとか連れ出して、律瑠はバイクを走らせる。

 背中に感じる体温に、先ほどまでとは違うドキドキを感じてしまう。彼女は、不快に思ったのではないか……。


 この近辺でよく見掛ける、三階建ての建売住宅が彼女の自宅だった。


「……さっきは、母さんが変なこと言って、ごめん」


 謝る律瑠へ、ヘルメットを脱いだ彼女がいたずらっぽい笑みを向けた。


「時任くん、私に憧れてたの?」

「憧れというか……しっかり自分を持って、前を見据えてる感じが格好いいって、思ってる」

「若者には、そう見えるのかぁ」

「同い年、っていうか、金城さんは早生まれなんだから、俺のほうが年上だろ? 俺は十九、君はまだ十八」

「あれぇ? そうだっけ?」


 彼女の笑みが、徐々に陰っていく。


 ――あぁまずい。また、ふられる。


 律瑠の直感が、警鐘を鳴らした。


「私は、後ろばかりを見てるんだよ。私にとっての後ろが、みんなにとっての前なだけ」


 想定外の言葉に、困惑する。


 混乱する律瑠を、彼女が見上げた。


「時任くんの隣は居心地が良くて……困る」

「待って。どういう意味?」


 ヘルメットを返そうとして差し出された手を、律瑠は掴む。

 聞き逃せない。彼女の本音が、聞けるかもしれない。


「時任くんは、私の唯一の、友達なんだ」

「…………それは……光栄だな」

「無理、させてる?」

「してない」

「時任くんには、友達が大勢いる」

「……だから?」

「私も、その大勢の内の、一人がいい」

「それは、無理。だって金城さん、外面はいいけど誰にも心を許さないじゃないか。そんな人から唯一の友達認定されたら、こっちだって、君は特別になる」

「なら友達、やめる」

「はぁ?」


 怒りがこみ上げた。

 怒りの表情を浮かべた律瑠を見て、彼女は笑顔を作る。


「新しい生活に浮かれて、気が緩んでた。私は最低な人間だから、時任くんの友達にしてもらう価値がない」

「んだよ、それっ」

「君は普通の女の子と恋愛して、普通の幸せを手に入れるべきなんだよ」

「俺の幸せを、勝手に語らないでくれる?」

「どうしたら友達ってやめられるの? いつもみんな自然に離れていったから、自然消滅が普通?」

「何言ってんの?」

「自分勝手な理論を展開中」

「意味わかんねぇ。突然なんだよ!」

「イライラするでしょ? 友達、やめたくなるでしょう?」

「ならないね!」

「意外と強情だよね? 時任くんのそういうところ、嫌い」

「俺はッ、自分勝手だろうが訳分かんなかろうが冷たくされようが、好きだ! 友達もやめない!」

「なんでよ。やめよう? ほら、スパッと」

「馬鹿にすんな!」

「してるの! 怒らせてるの!」

「だから、なんで!」

「だって!」


 珍しく感情的になった彼女が、瞳に強い光を宿し、律瑠を睨んだ。


「もう他の子に移ってるものだと思ってた! 高校生の恋愛なんて、そんなものでしょう? 友達として、楽しかったのにっ。さっき、まるで私を好きって顔をするから!」

「だから、何? 好きじゃダメなのかよ」

「ダメ。困る」

「他に好きなやつ、いるの?」

「いない。私は誰も、好きにならない」

「なんで?」

「…………裏切られるのが、怖いから」

「あぁ、なるほどな。確かに自分勝手な理由だ」


 ハッと鼻で笑い、律瑠は彼女の手を解放する。

 ヘルメットを乱暴に奪い、開いた手に百冊の漫画が詰まった袋を押し付けた。


「俺は裏切らない、なんて安っぽいことは言わない。でも好きなのもやめない。友達もやめない。自分勝手な金城さんには、お似合いの友達だろ?」


 何か言い返そうとした彼女を制し、律瑠は言葉を続ける。


「漫画、重いだろう? そんなの持って電車に乗れないよな? 返す時、連絡して。取りに来る。金城さんの性格上、借りパクなんてできないだろ? ざまぁみろ」


 言い捨ててからヘルメットを被り、バイクへ跨った。

 発進させたバイクのサイドミラーで見た彼女は途方に暮れた表情で立ち尽くしていて、その姿すらかわいいなんて思う自分は重症だと、律瑠は心の中で己を嗤う。

 大学内で、彼女が律瑠から逃げ回るようになったって、見つけてやる。

 高校よりも大学の校内は遥かに広いが、彼女の活動範囲は決まっているし、律瑠はそれを把握している。それに彼女は有名人。聞き込みをすれば簡単に、彼女のもとへ辿り着けるだろう。


 嫌われていないという自信が、律瑠を突き動かしていた。

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