第20話 大学時代の二人1

 県内の国立大学で、彼女は経営について学びたいと言っていた。理由を聞いたら「将来のために必要だから」という答え。

 テレビでも、駅や街中の広告でも、彼女を見ない日はないというのに。人気商売の将来は不安定ということなのだろうと、高校生だった律瑠は考えていた。

 雑誌のインタビュー記事で見掛けた彼女の将来の夢は『貯めたお金で一軒家を購入して、犬を飼い、家でのんびり仕事をすること』らしい。飼う犬も飼う時期も決まっているという。

 将来の夢は大女優という言葉を期待していたのだろう。インタビュアーの戸惑いも一緒に書かれていたのが、印象深かった。


 芸能人という特異性を差し引いても、彼女は不思議な人だった。


 彼女が律瑠と話すようになったのは、律瑠が株式投資についての知識を持っていたからだ。

 彼女の買い方があまりにも考えなしに思え、はらはらしたのを覚えている。

 今は無名でも絶対に有名になるというのが、彼女が決まって口にする言葉だった。


「金城さん」


 見つけた後ろ姿。駆け寄ると、彼女は驚いた表情を浮かべていた。


「時任くん、同じ大学だったの?」

「先生から聞かなかった? うちの高校から、この大学に進学したのは、俺と金城さんの二人だけだよ」

「聞いてない」

「他人に興味ないもんね」

「そんなことっ……ある」

「あ、やっぱり、そうだったんだ」


 気まずげに逸らされた視線。

 律瑠は笑顔のまま、彼女の顔を横から覗き込む。


「俺は経済学部。金城さんは経営学部だよな? すぐ隣だね」

「そうなの? 自分の学部棟と、食堂と図書館は確認したんだけど。……大学って、広いんだね」

「ここは特に広いんじゃないかな。案内しようか?」

「時任くんだって一年生じゃない」

「金城さんより把握してる自信はある」

「きっと、そのとおりなんだろうね。なんか、ちょっと悔しいかも」

「じゃあ、行こう!」

「今から?」

「この後、仕事? 大学でも両立するの?」

「……ううん。大学は初めてだから、仕事はセーブしてもらうの」


 大学は初めて。何かの言い間違えかと思って、この時は、特に気にしなかった。


「それなら高校と違って、大学では学生生活を一緒に楽しめるんだね」

「時任くんと楽しむとは、言ってないけどね」

「俺たち、友達だろ?」

「友達……」


 内心、ひやひやした。

 律瑠が彼女に気持ちを伝えたのは、一昨年のこと。


「そう、ね。友達……だね」


 おずおずと浮かべられた、彼女の微笑。

 律瑠はほっとした。

 彼女への恋心は未だ胸の中にあるが、告白以降、慎重に秘めてきた。

 友達としてでもいい。彼女との接点を持ち続けていたかったから。


「経済学部かぁ……時任くん、確かに好きそう」


 友達としてでもいいから、そばにいて金城香乃のことが、もっと知りたい。


   ※


 高校時代からの涙ぐましい努力が功を奏し、彼女も律瑠の存在に慣れ、邪険にされることはなくなっていた。

 友人として声を掛け、学食で顔を合わせれば向かいの席へ座ることも許された。


「資格取得サークル? 入るなら演劇系かと思ってた」


 安くてうまい学食のカツ丼を前に、律瑠は彼女へ視線を注ぐ。


「演技は好きだけど、大学生活と役者の仕事は分けて考えたいなって」


 彼女はカルボナーラをフォークにくるくる巻き付けながら、律瑠の疑問に答えてくれた。

 これも、進歩だ。

 高校時代は律瑠ばかりが話し続け、彼女が口にするのは二言三言。ほとんど、聞いているのかいないのかわからない調子で、視線は常に手元の本に落とされていた。


「興味のある資格が、たくさんあるの。部室には、部費で買った色んな種類の参考書があるんだって。講師を招いた講演会も企画するらしくて、受験費用の団体割引も期待できるみたい」


 珍しく彼女が瞳を輝かせるものだから、つられて律瑠も、笑みが零れる。

 高校生の彼女は、こんな風には笑わなかった。


「へぇ……。俺も、そのサークル気になるな」


 途端に笑顔が立ち消えた。どうやら不満らしい。


「俺が一緒じゃ、迷惑?」


 これまでなら即答で「迷惑」だと返ってきた。

 だけど珍しく、彼女は言い淀む。


「迷惑というか……たくさん資格を持っていたって、就職に有利に働くわけじゃないよ? 時任くんは、自分が興味のあるものを選ぶべきだと思う」

「俺が何に興味があるか、金城さん、知ってるの?」

「知らないけど……」

「だろう?」


 ただでさえ学部が違うのだ。サークル活動の中で、他の男が彼女に近寄っては困る。そんな、邪な考えだったのは否めない。


「……何が好き?」

「え?」

「時任くんの、興味があるものって、何?」


 聞かれるとは、思っていなかった。


「俺、は――」


 君に興味がある。


 高校の時の二の舞になるのは避けたくて、結局、律瑠は本心ではなく無難な答えを口にした。

 会話を弾ませるため、女性も興味を持ちそうなものを上げ連ねる。

 漫画やゲームの話に彼女が興味を示したのは、意外だった。


 その他にも、大学生になった彼女は意外性を発揮していた。


 大学では、高校時代に発揮しようとしなかった社交性で人付き合いを円滑に進めているようだ。

 何かから解放されたように、楽しんでもいた。


「大学に入ったら、金城さんは一人暮らしするのかと思ってた」

「どうして?」

「電車通学、大変じゃない?」

「そんなことないよ。一駅だけ電車で、あとは大学のバスに乗るから」

「バイクだけど、俺も実家から通ってるんだよね」

「時任くんこそ、一人暮らししそうなのに。小学生の息子に株式投資を仕込んだお母さんから、何も言われない?」

「よく覚えてるね」

「うん。だって、印象深かったから」


 何気なく話したことが彼女の記憶に残っていて、うれしかった。


 口が軽くなってしまったのは、舞い上がっていたからかもしれない。


「俺が中学の時に両親は離婚してるから、俺が出て行ったら、母さんが一人になるんだ。社会人になれば、きっと一人暮らしを始めるし、学生の内は、まだ実家にいようかなって」

「お母さん想いなんだね」

「ん~……。うちの母親ってさ、つらくても、つらいって言わないんだよ。だから近くにいないと見逃しそうでさ」


 いつも気丈に振舞って、笑顔を絶やさない。

 父が不倫相手を連れて離婚の話を切り出した時すら、母は泣かなかった。

 取り乱すことなく、離婚に関わる手続きも淡々とこなしていた。もしかしたら前兆があったのかもしれない。だけど律瑠は学校と部活が忙しくて、父の異変に、全く気付かなかった。


「浮気も不倫も、最低だよな」


 父の顔を思い出したら腹が立ってきて、つい、零してしまった言葉。


「私もそう思う。離婚の原因は、それ?」


 気まずそうにするでもなく会話が続けられ、驚いたのは律瑠のほうだった。


「父さんが、不倫してさ。この人と再婚するから離婚してくれって、言いに来た。自分勝手で最低の親父だよ」


 こんな話をされても困るだろう。話題を変えなければと、律瑠が新たな話題を提供するより先に、彼女が口を開く。


「…………うちもね、お父さん、不倫してると思う」


 思いがけず吐き出してしまった。そんな雰囲気だった。


「そう、なの? お母さんは知ってるの?」

「高三の時、お母さんから聞いたの。でも、うちは離婚しないで、母は父を許そうとしてる」

「高三って……携帯見ながら泣いてたのって、もしかして、それが原因?」


 昼休み、彼女を探して向かった、高校の裏庭。

 人気のないそこで、彼女は一人静かに、泣いていた。


「見てたの?」

「……ごめん」


 気まずくなって、頬を掻く。狼狽えたのは律瑠のほうで、彼女は怒るでもなく、受け止めた。


「あの時は……お母さんからのメールを読んだら、泣きたくなって。なんだか、虚しくなっちゃったんだ」


 空きコマが出来て、時間を潰そうと部室に行ったら彼女がいた。

 今、部室には、律瑠と彼女の二人だけ。

 誰かに気を遣う必要もなくて、律瑠も彼女も、会話をやめようとはしなかった。


「それなら余計に、実家にいるの、つらくない?」

「お姉ちゃんと弟もいるから。それに、私も時任くんと一緒。近くにいないとって、思ってる。お母さんが助けてって、言いやすいように」

「……さっき『不倫してると思う』って言わなかった? お母さん、許そうとしてるんだよな?」


 彼女は口を噤んで、視線を逸らす。

 指を組んだり、解いたり。彼女は自分の手を見つめていた。


 しばらく沈黙が続き、律瑠の耳に届いたのは、小さな声。


「父は今、単身赴任というか、出稼ぎっていうのかな? 会社の寮を借りて、別の場所で生活しながら仕事してるの。それが相手の女性の、家の近くみたいなの。多分……まだ続いてる」


 一拍置いてから、なんだか重い話になっちゃったねと言って、彼女は笑った。


「俺で良ければ、いつでも聞くよ」


 場の空気を変えようとした彼女の意図は察したが、一言、伝えておきたかった。


「……時任くんって、優しいよね」

「優しい男には下心がある」

「なら私は、甘えたらダメだね」

「うそ。冗談。ごめん。俺も似たような経験してるからさ、誰にも話せないなら本当、話してくれていいから」

「ありがと。なら時任くんも、何か困ったら相談してくれていいよ。人間、ギブアンドテイクが基本です」

「わかった。でも今のは、お互いに言い合ったから貸し借り無しな?」


 彼女は頷き、微笑んだ。

 今度の笑顔は、空気を変えるために浮かべたものとは違って、自然な表情だった。

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