第12話 同級生2

 駐車場は、上手く停めれば三台入る。香乃と律瑠が買い物やドライブに使用している車を詰めて停めておいたため、二台分の空きが出来ていた。

 電動のシャッターを上げ、律瑠は運転手に声を掛ける。


「二台って言ってなかったか?」

「後続はもうすぐ着く。そこ、停めていいの?」


 七人乗りのミニバンが駐車スペースへ収まったタイミングで、二台目がやって来た。

 律瑠の誘導で二台の車が駐車場へおさまると、十五人の男女がわらわら降りて来る。

 自動で下りるシャッターを見て、車好きの数人が感心していた。


「庭のほうに直接案内してもいい? 玄関だと、靴を脱いだり履いたりが面倒になるから」


 律瑠の言葉に、友人たちは頷いた。

 駐車場の奥にあるフェンスの扉を開け、最後の人に閉めるよう頼んでから、玉砂利を踏みしめウッドデッキへと向かう。


「うわ、何この素敵空間」

「これ自宅なの? カフェとかじゃなくて?」


 大きな窓に面した細長い空間。木製の階段を二段上った先のウッドデッキは、遠出せずともアウトドア気分が味わえるよう、律瑠が主体となって作り上げた。

 半分は日当たりが良く、もう半分は開閉式のシェードが五月の日差しを遮っている。

 日陰部分にはテーブルと椅子が並べられ、備え付けのベンチは二人掛けと三人掛けが二か所。ベンチには低い背凭れがあり、撥水加工が施された白いクッションが置かれていた。


「なぁ時任。長年の疑問をぶつけてもいいか?」

「どうぞ?」

「こういうのってさ、雨の日ってどうするの? 出しっぱなし?」


 香乃からも、同じことを質問された。

 雨ざらしのクッションなど使いたくないし、テーブルや椅子は台風の時に危ないじゃないかと。


「使わない時は全部仕舞うよ。ここの下に隠し収納があるんだ」


 ベンチの座面が跳ね上げ式の収納となっているため、クッションは全てそこへ片付けられる。

 机と椅子は折り畳み式で、不要な物はウッドデッキの下にある収納スペースへ収められるのだ。業者と相談して、雨が収納スペースに入り込まないようにもしてある。


「俺が時任のお嫁さんになりたーい」

「結婚しようぜ、時任。俺、料理得意」

「私も時任くんと結婚したーい」

「大手だもんねー。そんなにお給料いいの?」

「中学の時にツバつけておけば良かったー」

「女子共が言うとシャレにならないことになるから、その辺でやめとけ?」


 律瑠と婚約者を喧嘩させたいのかと窘められ、女性たちは口を噤んだ。

 律瑠も反応に困り、後頭部を掻く。


「香乃ー? みんな来たよー」


 事前に鍵を開けておいた窓から友人たちを招き入れ、律瑠は香乃を呼んだ。


「いらっしゃい」


 ドッグランで遊んだモナのグルーミングをしていたのだろう。香乃は、モナの部屋にいた。

 腰の高さの柵をスライドさせて開け、モナの部屋から出て来る。

 香乃の指示でお座りしていたモナは、大人しく柵の中へ留まった。


「彼女が婚約者の、金城香乃さん」

「はじめまして。お会い出来て光栄です。律の子どもの頃の話が聞けるの、楽しみにしてたんです」


 仕事用の顔だなと、律瑠は思う。

 ナチュラルメイクで動き易い服装。律瑠の友人に対する好感度が意識されている。


 香乃を前にした友人たちは、同じ高校に通っていた三人以外、驚きが隠せないようだった。


 律瑠は家に犬がいることは伝えたが、香乃の以前の職業については全く触れていない。気付かなければそのまま、金城香乃として接してもらえればいいという考えからだったのだが、彼女の知名度が、それを許さなかった。


「綺麗な嫁さんだなぁ! 羨ましい!」


 ただ一人だけ動じなかったのは、新垣だ。


「金城さん、久しぶり。覚えてる?」


 一歩前に出て声を上げた女性は、高校一年の時に香乃と同じクラスだったという一ノ瀬このみ。


「一ノ瀬さんだよね? 久しぶり」


 まるで前から知っていたかのように接した香乃だが、実は一ノ瀬のことは、全く覚えていなかった。

 嫌な予感がしていた律瑠が高校の卒業アルバムを引っ張り出し、事前に教えておいたのだ。他の男二人とは接点がなかったため問題ないが、クラスが同じで接点があったはずの一ノ瀬のことは、知らせておいたほうがいいだろうと判断した。


 香乃の卒業アルバムを、律瑠は見たことがない。


 幼・小・中・高の全て、香乃自身でもどこへ仕舞い込んだのかわからないほど、香乃は学校の思い出というものに興味がなかった。

 二度目ともなればそういうものなのかとも思ったが、高校は『前の時』とは別の学校に進学していたはずだ。

 香乃の性格を考えれば、そのことすら彼女らしいのかもしれないと律瑠は考えている。


「香乃ちゃん、コップってどこー?」

「ごめーん。今出すね! あと何が必要?」

「平皿が足りないかも」

「はーい」


 意外にも社交性があった香乃は、律瑠の友人たちとも問題なく打ち解けた様子だった。


「こんなに明るくていい子だったなら、高校の時、話し掛けておけば良かったなぁ」

「あの頃は仕事が忙しかっただけなのか? だからあんなに近付きがたかったのか?」


 高校が同じだった男二人に聞かれたが、律瑠は「どうだろうね」と曖昧に答えておく。

 香乃は、今この場にいるのが『律瑠の友人』だから友好的に接している。これが律瑠にとっても迷惑な相手だった場合は、全く違う態度となっていただろう。

 人間には誰にでもある二面性。他人との関係の取捨選択。

 香乃は、その判断がやり過ぎと取れるほどに、あからさまなだけなのだ。


「小学生の律って、学校ではどんな感じだったの?」


 期待で輝く瞳。明るい笑顔。

 これは演技だ。

 香乃の標準はクールで、基本、やる気がない。


「男子グループで休み時間の度に校庭でサッカーしてたよね?」

「運動神経抜群だったよね!」

「勉強も得意だったし」

「同じクラスになった女子は全員、一度は時任くんを好きになったんじゃない?」

「律ってそういうタイプかぁ。あの頃って、そういう男子が一人や二人いるよねぇ」

「香乃ちゃんの小学校にもいたの?」

「いたよー。私の学年は一クラスしかなくて、六年間ずっと同じ顔触れ。その中で人気の二人は、やっぱりサッカーが得意な男の子だったなぁ」

「あの頃って、サッカーが流行ってたもんね」

「そういえば香乃ちゃんって、どこ小だったの?」


 同じ市内で近い地域の出身だと判明して、女性たちは盛り上がる。


「香乃ちゃんは小学校の休み時間って何してた?」

「私は運動が苦手だから、休み時間は図書館で、趣味の合う友達と一緒に怖い話の本を読み漁ってたなぁ。七不思議とか学校の怪談にハマってた」


 食事しながら律瑠は、女性陣の会話に聞き耳を立てていた。

 香乃の小学校と中学校時代の話は、ほとんど聞いたことがない。


「中学校は? みんな中学も一緒だったの?」

「今日集まったのは、両方一緒だったメンバーだよ」

「中学といえば、時任って三島と付き合ってたよな?」


 瞬時に、場の空気が凍った。

 言い放った本人も失言だったと気付いたようで、顔を青褪めさせる。


「三島さん?」


 香乃の瞳が、自分の右隣に座っていた女性へと向けられた。


「はい。私が、その三島です……」


 三島由香。中学二年の一年間、律瑠は彼女と付き合っていた。

 元カノの存在などすっかり忘れていた律瑠は、今更ながら、まずい事態だと気付き冷や汗をかく。


「中学生の律って、どんな彼氏だった? どっちから告白したの?」


 興味津々の様子で香乃が、三島へ輝く笑顔を向けた。


「告白は、私のほうからだったなぁ。すごく好きだったけど、自然消滅。彼氏としての時任くんは、ちょっと冷たかったかも」


 三島の視線が律瑠へと向けられ、気まずくて堪らない。

 それは三島以外の友人たちも同様だったようで、皆、話題を変えようとあたふたし始める。


「思春期だったし、照れてたのかね?」


 気遣われている本人であるはずの香乃は、楽しそうに笑っていた。


「不安そうな顔しなくても、こんな事で怒ったりしないよ。過去が無ければ今の律だっていないんだから。誰にだって過去はある。私だって色々あったんだから、ね?」


 さてとと言って、香乃が立ち上がる。


「今日は暑いから、デザートにと思ってゼリーを作って冷やしておいたんだ。良かったら食べる?」


 凍った空気はすぐに弛緩して、女性たちが空いた皿の片付けとデザートを用意する香乃の手伝いのため動きはじめた。

 さすがに大人数で動く必要はなく、手持ち無沙汰となった者たちは、椅子に座ったままグラスに残った酒を傾ける。


「悪かったな、時任。俺たちが帰った後で、怒られたりしないか?」


 律瑠の中学時代の交際を暴露した友人が、申し訳なさそうに告げた。


「大丈夫だと思う。嫉妬するのはいつも、俺のほうだから」

「まぁ、彼女が相手なら、そうなるよなぁ」


 婚約祝いパーティーという名のただの食事会は、その後は問題なく、和やかな雰囲気で幕を閉じた。

 片付けまで手伝ってくれた友人たちは、夕暮れが訪れるより早く、暇を告げる。

 二台の車を見送ってから律瑠が家に入ると、玄関ホールでモナが尻尾を振って待っていた。

 珍しいこともあるものだと小さな体を抱き上げ、開いたままだったドアを抜けて書斎に入る。


「香乃?」


 人間の足が、律瑠用のデスクの下から生えていた。

 モナを抱いたまま屈んでみれば、覗き窓の前に置かれたモナのクッションに顔を埋めた香乃がいる。


「……久方ぶりに社交の能力を発揮し、わしゃ疲れた」


 老女のような声を出した香乃。律瑠はくすりと笑い、香乃の始めたおふざけに乗ることにした。


「ご老体にとって社交とは、それほど疲れるものだったのですか?」

「そうじゃのぅ若者よ。人というものはのぉ、笑いたくなくとも笑い、他人との関係が円滑にゆくよう努力せにゃならん時がある。わしにだってそれくらい出来るがなぁ、疲れぬわけではないのだよ」

「お疲れ様でした。今日は、本当にありがとう」

「…………ねぇ、律」

「どうした?」

「律たちが、駐車場で車の準備をしてる間、そこの門の前で繰り広げられた会話がね、興味深かったの」


 遊びの気配は消え去って、香乃の声が冷たく響く。


「私がここから覗いているとも気付かず、三島さんたち、何を話してたと思う?」

「……ごめん。全くわからない」


 深く大きく息を吸い、まくし立てるようにして、香乃は言葉を放つ。


「時任くんって昔と変わらず素敵だったね! ……婚約者、白金かのんだよね? ……女優って言っても普通だったよねぇ。やっぱり加工されてるものなんだね。……由香のほうが可愛いよぉ。……えー、そう? ……相手ただの婚約者でしょー。奪っちゃいなよ。……由香ならいけるってぇ。……そう? 私もね、そう思ってた。うふっ♪」


 さすが、演技力に定評のあった元女優。演じ分けが、特徴の捉え方が、とてつもなく正確だ。

 登場人物は三人。どれが誰の言葉だったのか、彼女たちの顔が浮かんできた。


「そうね。言うとおりだよ。確かに私の顔は平凡さ。腕利きのプロに化粧してもらって世間を騙していたよ」

「聞き捨てならない。香乃は世界一かわいいし美じ」「黙って!」

「……はい」

「律への視線に違和感があったし、やたら律に触れるし、一日ずっともやもやしてた」

「……」

「なんかこいつら嫌いなタイプだわぁとは思ったけど、ノリも合わせて大人の態度で頑張ったのに! 嫌な予感がしたからって覗かなければよかった! だけど、律にちょっかい掛けるようなら邪魔しなきゃじゃん!」

「……」

「招かれた家の前で家人の悪口言うなよ、性格ブスどもがッ」

「……」

「律のばか。女たらし」

「……ごめん。そんな人たちだなんて気付かなくて、不快な思いをさせて、本当にごめん。二度と、香乃には会わせないし、俺も会わない」

「この、イケメンモテ男がッ」

「え? ……ごめん」


 淡いグリーンのクッションを拳で殴りながら両足をバタつかせていた香乃の瞳が、ギロリと律瑠へ向けられる。


「何笑ってんのよ」


 自覚はなかったが、言われて気付いた。どうやら律瑠は今、喜んでいる。


「それってさ、ヤキモチも含まれてる、よな?」

「言わなかったっけ? 私はとんでもなく嫉妬深いって。男友達にだって嫉妬するくらいですよ。時任律瑠ときとうりつるは私のもんだ!って叫んで回りたい」


 真剣に、反省している表情を作ろうとしているのだが、香乃の言葉を聞けば聞くほど難しくなっていく。


「あ゛~もう! だから嫌だったのよ恋人なんて! まして夫なんて! 何かある度に嫉妬嫉妬嫉妬! 嫉妬で狂うかもしれぬわ!」

「何それ。すっげぇかわいい」


 律瑠の締まりの無い顔を見て冷静さを取り戻したのか、のそのそと香乃がデスク下から這い出て来た。

 床の上にぺたりと座った香乃は、モナを抱いて屈んでいる律瑠を睨む。


「元カノ連れて来るなんて、サイテー」

「ごめん。そんな存在、忘れてた」

「一年も付き合ったのに忘れるなんて、サイテー」

「それは言い訳出来ない。香乃と出会ってから、俺の頭と心は香乃でいっぱいだったんだ」

「誤魔化されないからな!」

「どうしたら許してくれる?」

「自分で考えろ! おばかっ」


 律瑠の腕からモナを奪い、香乃は引き戸を開けてモナの部屋へ入った。

 勢い良く閉められた戸を、緩んだ顔をどうすることも出来ないままで律瑠は見つめる。

 どうすれば許してくれるのかはわからないが、この表情でいては更なる怒りを買うことだけはわかっていた。だけど――


「あー、どうしよう。嫉妬、すっげぇ嬉しい」


 両手で自分の顔を覆い、律瑠は小さく、呟いた。

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