第9話 姉妹
玄関の呼び鈴が鳴り、大きな腹を抱えて立ち上がる。
「るぅちゃん。香乃だよ。家政婦しに来ましたよ」
インターホンの画面に映った妹の姿。玄関の鍵を開け、招き入れた。
「順調かい?」
「順調だよ。寝るのすら大変だけど」
「これだけ大きいと大変だよね。でも、楽しみだね!」
本当に楽しみだと言って微笑む妹を見て、留美の顔にも笑みが浮かぶ。
「どこか行ってたの? オシャレなんかして」
普段は薄化粧の妹が、今日はばっちりメイクをしている。
洋服もよそ行きで、アクセサリーも付けていた。左手の人差し指にある指輪だけはどんな時でも身に着けているが、それ以外の装飾品を付けるのは、珍しい。
「結婚式のことで、景子さんの所に行って来たの」
留美はほとんど会ったことはないのだが、景子といえば、妹が幼い頃からお世話になっている人物だ。
「結婚式! 決まったの?」
「まぁ、随分前から予約されてたし」
言いながら妹は、左手の人差し指へ、視線を落とした。
「いつ? 私も絶対行きたい! でも、行けるかな……」
大きくなった腹を撫でる留美へ、妹が大丈夫だと言って笑う。
「るぅちゃんとハジメさんにも参加して欲しいから、来年にしたの。知り合いの情報だと、式場に相談すればベビーベッドとかもあるみたい。るぅちゃんがその子と安心して参加できるようにするつもり」
「わぁ、嬉しい! ドレスも一緒に選びに行きたい!」
会話しながら妹は、慣れた様子で洗面所へ行って手を洗い、次に洗濯機の蓋を開けた。
中には洗い終わった洗濯物が入っている。洗剤を入れてスイッチを押すところまでは、留美がやった。
「白無垢がいいんだよね」
「えー、ドレス着なよぉ」
「仕事で着たことあるよ」
「そうだけど、意味が違うと思う」
洗濯物を干すためにベランダへと向かう妹の後を追い、留美は話し続ける。
「神前式がしたいの。るぅちゃんも着物着る? お母さんの着物も借りないと」
「着物着たい! 伯母さんのところで借りられそうじゃない?」
「そういえば、そうかも。律と挨拶に行く時、聞いてみようかな」
「お父さんも、着物?」
「う~ん……嫌がりそうだよね?」
「着物姿なんて想像出来ないもん。でも、律瑠くんから話せば素直に応じるんじゃない?」
「だね。父は律に任せよう」
洗濯物を干し終えると、妹は掃除を開始する。
3LDKのマンションだ。そこまで大仕事でもないが、大きなお腹では重労働。妹が来てくれるようになって、とても助かっている。
結婚式の話をしたくて後をついて回っていたら、大人しく座っていろと怒られた。
「まだお医者さんから『今だ! 運動しろ!』って言われてないんでしょう?」
「そうだけど、退屈なのよ」
「手作りでおままごとセット作るって意気込んでたのは?」
「まだ途中」
トイレと風呂場まで掃除して、次に向かうのは台所だ。
「今日のリクエストは?」
「こちらにレシピが。お昼はねぇ、香乃が作るオムライスが食べたい」
「はーい。スープもいる?」
「いる~」
留美と妹の昼食と、留美と旦那の夕飯を作るまでを毎日やってくれている。
留美が差し出したスマートフォンでレシピを見てから、妹は冷蔵庫の中身を確認しはじめた。
「式場はどこにするか、決まったの?」
「まだ。とりあえず日取りが決まったから、どうしても呼びたい人が来られるかを確認してるところ」
「芸能人、たくさん来る?」
「そうねぇ。仕事関係は留美さんが招待客リストを作ってくれるって言ってたけど、友人、いないな」
「大学の友達は?」
「律と共通の五人だけ」
「高校は?」
「いない、かな」
「小中は?」
「いないね」
「じゃあ仕事関係!」
「仲良くしてた人はいるけど、引退してから連絡取ってないなぁ」
「香乃……」
「私はるぅちゃんみたいに、人付き合いが得意じゃないの!」
「よく長年役者のお仕事を出来ていたね?」
「その場だけの付き合いはきっと、るぅちゃんより上手いよ」
「香乃ぉ」
「そんなに心配しなくても、私は楽しく幸せに生きてる」
「まぁ……昔から、そういう子よね」
ふわとろ卵のオムライスと、野菜たっぷりのコンソメスープ。完成した昼食が並べられ、姉妹で向かい合って食事する。
「名前は決まったの?」
「候補はいくつか。男の子か女の子かわからないから、産まれて顔を見たら決めるって」
「早く、会いたいね」
「そうだね」
昼食の後は少し休憩を挟み、妹は昼食の後片付けと夕飯の支度を始めた。
「そういえば、香乃の家のほうが広いじゃない? 自分の家の掃除とかは大丈夫なの?」
「一階では二台、二階には一台のロボット掃除機くんたちが働いてくれてるのさ」
モナの部屋だけは通れないようにして、他の戸を開け放って出掛ければ床掃除は問題ないのだという。
「床以外は?」
「洗濯機を回している内にさささっと掃除する」
「モナの散歩は?」
「朝、律の見送りがてら行くよ。私の運動にもなるし。あとは洗濯物を干してる間、すぐ横のドッグランで自由にさせてる。夜は律と一緒に行ってる」
「自分の家の夕飯も作るんでしょう?」
「朝は起きられないから朝ごはんは律が作ってくれるし、お弁当だって作ってないよ」
「仕事もしてるよね」
「ん~? まぁね。今は数時間だけ」
「……無理してうちに来てくれなくて、いいのよ? 私は助かるけど、また香乃が倒れたら困るよ」
「役者の仕事してた時に比べれば全然、忙しくないよ」
「お姉ちゃんは心配です」
「大丈夫だよ」
「香乃はいつも笑顔で嘘を吐くから、本当に大丈夫かわからないのよ」
「るぅちゃん……」
火を止めて、振り向いた妹の顔は、困っていた。
大丈夫。問題ない。私が何とかする。だからるぅちゃんもお母さんも、心配しないで。
幼い頃から妹は、そんな事ばかり言っていた。留美は何もわからないまま、母にもどうにも出来ないままに、妹が多くを背負い続けて来たのだろうと大人になってから、気が付いた。
子役として活躍する妹が誇らしかった。
テレビのCMで妹が映ると、嬉しくて友達に自慢した。
ドラマで見る妹は、知らない子だった。
家にいる時の妹はまるで、留美の姉のような存在で
『るぅちゃん。るぅちゃん。だぁいすき!』
好意を隠しもせず、全身で表現してくれた。
留美も妹が大好きで、大切な家族だと思っている。
留美が中学生で、妹と弟が小学生だった時、家族が崩壊しかけたことがあった。
きっかけは父の、心ない言葉。
『香乃。お前、稼いだ金を全部自分の物にしてどういうつもりだ? 育ててやってるんだ。もっと親にも還元したらどうなんだ』
いつも笑顔でかわいらしかった妹が、怒ることも泣くこともしなかった妹が、表情を凍らせた。
その日から家族の形が変わってしまったのだと、留美は、今になって思う。
「お姉ちゃんは香乃が大好きよ。だから、香乃が犠牲になるのは嫌なの」
「犠牲になんて、なってない」
「本当に?」
「本当に。私はただ、るぅちゃんが好きで……大好きだから、役に立ちたくて。問題なく、元気な子を産んでほしい」
「過保護ねぇ。そんなに心配しなくても、お姉ちゃんは大丈夫よ?」
「…………前はそんなこと、言わなかった」
「え?」
何でもないと言って、妹は作業を再開した。
留美もそれ以上は何も言わず、手元の縫い物に集中するふりをした。
いつもの作業が終わり、帰る時間。妹は不安そうに、留美を見る。
「明日も、来てもいい?」
「うん。いつもありがとう。でも、無理はダメよ?」
「大丈夫」
留美の家から妹の家までは、歩いて三十分。車でなら十分程の距離なのだが、近くに駐車場がないため、妹は運動だと言って行きも帰りも歩いている。
ベランダで妹の背を見送って、留美は室内に戻りスマートフォンを手に取った。
トークアプリを開き、少し迷ってからメッセージを打ち込んで、送信する。
数分後、メッセージを送った相手から、着信があった。
「メッセージ、読みました」
電話の相手は、妹の婚約者。
「仕事中にごめんね。でも、律瑠くんにしか頼めないなと思って」
「気にしないでください。香乃を傷付けたかもしれないって、何があったんですか?」
留美は、先ほどまでの妹とのやり取りを話して聞かせた。
「前はそんなこと言わなかった、ですか。そういえば留美さんは、『前の時』と聞いて思い当たることはありますか?」
「なぁに? 何かの合言葉?」
「そんなところです。香乃のフォローは俺がするので、留美さんは安心してください。それと、ご迷惑でないのなら家政婦の件、香乃の好きなようにさせてやってくれませんか?」
「来てくれるなら、私は助かるの。香乃が無理さえしてないなら、私のほうは問題ないのよ」
「夜、話してみます」
「悪いけど、お願いね?」
通話を切り、留美はほっと息を吐く。
彼との初対面は、妹が大学を卒業した年。既に実家から出て生活していた妹が、紹介したい人がいると言って連れて来たのが彼だった。
あれから、六年。
「お姉ちゃんだって、妹の幸せを願ってるんだからね」
泣かせる手紙でも書いてやろうかと、留美はうきうきしながら妹の結婚祝いについての計画を立て始めた。
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