第7話 同期会

 週が明け、誰もが気だるい月曜日。

 定位置となりつつある食堂の席で、律瑠は篠田と向かい合って昼食をとる。


「昨日は何してた?」

「昨日ですか? 昨日は……モナを連れて近所の桜祭りに行きました」

「良いなぁ。結婚したら俺も、そんな幸せそうな日曜を過ごせる?」

「うちはまだ、結婚してませんけどね」

「もう良くね? 実質夫婦やん」

「本物に、俺はなりたい」

「結婚に向けて、何するの?」


 律瑠は定食の副菜である煮物を口に入れ、咀嚼して飲み込む。

 篠田は味噌汁をすすりながら、律瑠から視線を外さない。


「香乃の親御さんからは、随分前に結婚の承諾は頂いています。留美さんの結婚式で、香乃の親戚との挨拶も済ませました。式の日取りが決まったら、もう一度正式に、挨拶へ行くつもりでいます」

「挨拶かぁ……。婚約指輪は、渡してたよな?」

「身に着けてもらうことが目的だったので、一目で婚約指輪だとわかるデザインでも、ダイヤでもないですけどね。約束の形がないと、俺が不安だったから」

「そういえば時任の腕時計、婚約指輪のお返しって言ってたっけ」

「よく覚えてますね」

「まぁな~」

「買うんですか?」

「ん? ん~……あったほうが、いいもん?」

「香乃のお姉さんはなかったらしいですけど、今思えば欲しかったかもしれないと言っていましたよ」

「そっかぁ……そうだよなぁ」

「……俺は、渡して良かったです」

「サイズってさぁ、どうやって知るんだ?」

「懐かしいな。俺もそれ、すっごく悩みました」


 穏やかに、何の問題も無く、一週間は始まった。


 律瑠の帰国祝いだと言って、週の半ばに同期会が企画された。

 品川の駅近くで、ワインと肉がうまい店らしい。

 二年目から海外赴任となった律瑠は、同期よりも篠田とのほうが親しいのだが、久しぶりの日本の飲み会は楽しみだった。

 同期たちは本社勤務に慣れている。何か身になる話でも聞けるだろうかという、期待もあった。


「時任くんの彼女さんってさぁ、白金かのんだって噂を聞いたんだけど、それって本当?」


 だいぶ酒が入った頃合い。入社以来ずっと総務課にいる女性から、投げ掛けられた質問。

 二人の声が聞こえる範囲にいた同期たちが、にわかにざわついた。


「……呼び捨て?」


 静かな声で笑顔だったが、律瑠の周囲が静まり返る。総務課の女性は、「白金かのんさん」と言い直した。


「時任の彼女って、入社当時から変わってないの? 婚約者がいるって言ってたよな」


 律瑠が何も答えずグラスを傾けたため、話を聞いていた内の一人が口を開く。


「変わってないよ。もうすぐ、結婚するんだ」


 一瞬だが凍りそうになった空気が元に戻り、これはめでたいと、同期たちが祝いの声を上げた。律瑠も笑顔で、お礼の言葉を返す。


「白金かのん、さんってさ、あれだよな。震災予知動画の」

「あぁ、あれ! 私も見た」

「だいたいの時間も、起こることも全部当たったよね」

「最初は誰も信じてなくて、ワイドショーも『人気女優の闇』とか言ってバカにしてたけどさ。実際あの動画が話題になったお陰で、かなり多くの人が助かったんだよな」

「私の実家は東北なんだけど、彼女の動画をテレビで見て記憶に残ってたからって、両親は高台に避難して助かったの」

「確か、その少し前に吐血で入院ってニュースが流れたよな。死に掛けて、何か見たのかねぇ」


 答えを求めるように律瑠へ視線が集まり、だが律瑠は、何も答えない。

 誰にも悟られない心の中では、どうやって話題を変えようかと考えていた。


「予知能力があるならさ、あの時だけじゃなくて、もっと色々教えてくれたらよかったのにな」

「たとえば?」

「俺らが小学生の頃にも、大きな地震があっただろう? 他にもたくさんの人が殺された事件に、事故。どうして、あの震災の時だけだったんだろう。子役時代から有名人だったんだから、彼女の言葉ならきっと、大人たちだって耳を傾けたんじゃないか」

「言われてみれば、そうだよな」

「でも、入院の後だったでしょう? 予知には入院も関係してるとかなんじゃないの?」


 白金かのんの予知動画と律瑠は、深く関わっている。

 だがそれを、特に親しくも無い彼らに教える気はない。ただの興味本位でのぼった話題だ。彼らに真相を語る価値を、律瑠は見出せない。


 篠田と彼らには、決定的な違いがあった。


 食堂で篠田と香乃の話をしている以上、誰かに聞かれる可能性については考えていた。だが、考えただけだ。あのざわついた食堂内で、律瑠と篠田の会話を記憶に残るほど興味を持って聞く人間がいるとは、想像していなかった。

 これは律瑠の落ち度だ。


「もし自分が未来を知っていたとして」


 いまや同期の全員が、律瑠に注目していた。


「未来を教えたことにより、誰かが生き残る。だけど他の誰かが死ぬかもしれない。それはもしかしたら、自分の大切な人なのかもしれない。未来を変えるには同等の価値の対価が必要なのだという可能性に気付いてしまった状態で君たちは、見ず知らずの多くの命を救う行動を取れるだろうか。――話題が、悪いね?」


 苦笑を浮かべた律瑠が首を傾げると、誰かがほっと、息を吐く。


「そろそろデザートでも食べない? 俺、甘い物が食べたいな」


 メニューはどこだろうと探す律瑠へ、近くにいた女性がメニュー表を手渡してくれた。

 場の空気を変えようと努力する数人と共に、律瑠はデザートを選ぶ。

 酒とデザートの注文をしたところで、話題は移り変わっていった。


 飲み会はお開きとなり、何人かは二次会へ行くらしい。

 律瑠も誘われたが、次の日も仕事だからと断った。


 帰る方向が同じ人たちと共に、電車に揺られる。話題は、会社のことや仕事の愚痴。

 乗り換えの駅で、人数がかなり減った。

 律瑠と同じ路線は、女性が二人。彼女たちは、どうやら仲がいいらしい。

 三人は他愛のない言葉を交わす。


「時任くん」


 律瑠の降りる駅が近付いて、名を呼ばれた。


「彼女の大切な人は、元気で暮らしていますか?」


 実家が東北なのだと言っていた女性だと、気が付く。


「今のところは、大丈夫」

「そっか。それなら、よかった。もし伝えてもらえるのなら、ありがとうと、伝えてください」


 本当は、まだ生きていたはずの祖父母が亡くなっている。

 だけど香乃と律瑠はあの時、自分たちのために行動した。

 未来には、香乃が死ぬ運命が存在する。何もしなければ香乃が死ぬ。

 多くの命を見殺しにした香乃に、生き残る未来はやって来ないのではないか。得体の知れない恐怖心に駆られ、律瑠が、香乃を説得した。感謝などしてもらえる動機では、なかったのだ。


 最寄り駅で降りて一人になった律瑠は、深く長く、息を吐き出した。


 香乃は、人の感情に敏感だ。この状態で会う訳にはいかない。

 帰り道、坂を上っている内に、気分は晴れるだろうか。


「律」


 反射的に、振り返る。


「酔っ払いであの坂道はキツイかなぁと思って、迎えに来てみた」


 モナを抱いた香乃が、愛犬の右前足を使って手を振っていた。


「おかえり。……大丈夫? 飲み過ぎちゃいました?」


 モナの肉球で、頬が叩かれる。


「飲み過ぎて、食べ過ぎた。お腹パンパン」

「飲み会って楽しいもんね。車、乗れそう? 歩きのほうが良かったかな?」


 心配する香乃へ大丈夫だと答えて、律瑠は助手席に乗り込んだ。

 モナを後部座席の、シートベルトで固定された犬用のボックスへ乗せてから、香乃も運転席に座る。


「香乃は、今日は飲まなかったの?」

「うん。仕事を片付けてたの。休肝日も必要だからね」


 最初から、迎えに来てくれるつもりだったのかもしれない。

 律瑠は何も言わず、坂道の景色を眺めた。


 律瑠は知っている。


 香乃が、祖父母の死にどれほどの衝撃を受けていたか。

 モナとの再会に、どれだけ安堵していたか。

 姉の妊娠を知った香乃が涙を流して喜んだのは、心底ほっとしたからだ。


 車だと、最寄り駅から家まであっという間だった。


 駐車場で車を降り、律瑠はぼんやり、自宅を見上げる。

 香乃が知っている未来に、律瑠は存在しない。『前の時』の律瑠は、どこで何をしていたのだろうと、時々だが考える。


「律? 本当に大丈夫?」

「……ダメかも。香乃の愛で介抱してほしい」

「水飲んで、シャワーを浴びればすっきりするよ」


 モナを片手で抱いた香乃に手を引かれ、律瑠が取り出した鍵で玄関を開けた。

 玄関を施錠してチェーンを掛けると、モナが床へと降ろされる。

 書斎に入ってのろのろスーツを脱ぐ律瑠を、香乃が苦笑しながら眺めていた。手伝おうとしないのは、酔った律瑠の姿を見て楽しんでいるからだ。


「香乃」

「ん~?」

「スーツが皺くちゃだ」

「そうだねぇ。やっておくから、水を飲んで来たら?」


 足元にいたモナを抱き上げ、律瑠は玄関ホールの引き戸を開けた。

 壁面収納の側面に設置された給水機。いつも香乃が洗って置いておいてくれるコップを使い、水を飲む。


「モナ?」


 ぺろりと顎を舐められて、腕の中のモナを見下ろした。そのまま顔を舐め回そうとする動きを、慌てて止める。


「モナぁ。嬉しいけど、今、俺汚いから。後でして」


 モナを床へ下ろし、律瑠は風呂場へ向かった。


 シャワーを浴びて出ると、気持ちと体がさっぱりした。

 脱衣所の引き戸を開ければ、テレビの音がする。

 ぼんやり佇む律瑠に気付き、香乃がソファから立ち上がった。律瑠の手を引きソファへ導いて、肩にかかっていたタオルを使って濡れたままの髪をわしゃわしゃ拭いてから、モナを抱き上げ律瑠の膝の上へと乗せる。


「私もお風呂、入って来るね」


 律瑠は、弱くはないが、酒に強いわけでもない。他人がいる場所では平気でも、一人になると酔いが回るタイプなのだ。

 居づらくて、少し飲み過ぎてしまったかもしれない。

 膝の上で丸まって眠るモナの毛を撫でながら、律瑠は目を閉じる。


 眠ってしまっていたのか、風呂から出て髪も乾かし終わった香乃が、律瑠を揺り起こす。

 いつの間にか、モナは膝の上からいなくなっていた。


「いくら酔ってても、歯を磨かない人とはキスしないからね」


 香乃に促され、二階へ上がる。

 二階の洗面所で歯を磨き、ベッドへと倒れ込んだ。

 律瑠の体の下から掛布団が引き抜かれ、ふわりと掛けられる。

 香乃が隣へ潜り込んだ気配を感じて、律瑠は上半身を起こした。暗がりの中、香乃の体を抱き寄せ、唇を重ねる。

 深く口付ければ、香乃の手に後頭部を撫でられた。


「律、お酒くさい」


 優しく静かな、笑い声。


「律にこうしてもらうと、私はいつも、安心して眠れるの」


 だから今日は私がしてあげる。そう言って香乃は、律瑠の頭を抱き締めた。

 額へキスが落とされて、髪を梳かれる。


「おやすみ、律。大好きよ」


 眠たそうな声に答えることも出来ないまま、律瑠は穏やかな眠りに包まれた。

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