第6話 愛の巣訪問

 休日は、駅前を歩く人々の服装や雰囲気ががらりと変わる。

 多くの人々が乗り換えに使用する駅のロータリーで、ギアをパーキングに入れた状態の運転席から、律瑠は行き交う人の波を眺めていた。

 半分開けた運転席と助手席の窓。春の風が通り抜ける。


「実用的な車だな」


 助手席側の窓から声を掛けられ、律瑠は視線を向けた。


「どこから現れたんですか? 駅のほう見て待ってたんですけど」

「んー? 手土産買いに行ってた」


 助手席のドアが開けられ、乗り込んできたのは私服姿の篠田だ。


「ほい。香乃ちゃんが好きなベリータルト」

「ありがとうございます。香乃がここのケーキ好きだって、話しましたっけ?」

「インターネットは便利なのさ」

「もう一般人ですよ」

「ちょっと出来心で、検索してみちゃった」

「まぁ、別に良いですけどね」


 篠田がシートベルトを締めたのを確認して、車を発進させた。

 数十分車を走らせ家の前に辿り着くと、律瑠はリモコンを操作して、ガレージのシャッターを上げる。


「なんですか、この、家族は俺が守るぜ感がっしりのお家は。プライバシーもしっかり守られそうだな」

「このシャッターの設置も、揉めたんですよ」


 篠田の言いようは大袈裟だが、通りに面した境界部分はレンガ色の壁に守られていて、鉄製の門扉か駐車場のシャッターを開けない限り敷地内へは入れないようになっているのだ。

 部屋の配置についてはほとんど口を出さなかった律瑠だが、外構や防犯に関わる部分については多くの注文を付けた。イギリスと日本でのやり取りは骨が折れたが、満足のいく出来になったと思っている。


「三十四歳の冬に、香乃は自宅へ押し入った強盗のせいで死んでしまうらしいので、何とか阻止出来ないかと」

「うっわ。それは阻止すべきだわ。ホームセキュリティは?」

「万全です」


 二台分ある駐車スペースへ車を止め、助手席から降りた篠田は興味深そうに辺りを見回した。


「ちなみに、このシャッターの設置はどうして揉めたんだ?」

「こんな大仰なものはいらないっていうのと、設置に納得させた後は、電動か手動かで意見が分かれました」


 突発的に、モナが玄関から飛び出すかもしれない。留美の子どもたちが遊びに来た時、大人を待たずに玄関から道路へ飛び出してしまうかもしれない。そういった恐ろしい事故を防げると説得した。

 電動を納得させたのは、モナと香乃が二人で出掛けた際に、モナを車内へ残す危険性を説いた。

 カーポートのシャッターは、停電時には手動へ切り替える事も可能だ。更に、太陽光発電パネルなどの自家発電システムを取り付けてあり、災害時にも安心の造りとなっている。


「防犯って言っても、このシャッター、敷地内が丸見えなのはいいの?」

「完全に視界を遮るほうが、不審者には都合がいいらしいので。家屋への侵入にかかる時間を少しでも長くして諦めさせるのが目的なんです。カーポートの屋根から二階への侵入対策も、俺が業者と入念に打ち合わせした部分です」


 真夏にモナを車に乗せる事を考えれば、車が直射日光に晒されることは避けたい。だがカーポートの屋根に上って二階へ侵入される可能性もある。二階へ侵入出来ないよう、ベランダとの距離や窓の配置と材質やデザインには、かなりこだわった。


「奥にもう一つガレージっぽいのがあるけど、あれは?」

「あれはバイク用ガレージです。俺がバイク好きだからって、香乃が作ってくれました」

「なんだかんだ言って、時任って香乃ちゃんに愛されてるんだもんなぁ」


 大学時代に自分で購入したバイクは、海外赴任が決まった時点で手放した。今ガレージの中にあるのはスタットレスタイヤなどの車用品だ。近い内にまた購入したいとは考えているが、まずは色々な事を片付けてしまいたいというのが律瑠の本音だ。


「第一段階の塀を突破しても、まだフェンスがあるのな。これはワンコ用?」

「そうです。こちら側は人を招いた時用の庭へ繋がっています。モナ用玄関とドックランは反対側にありますよ」

「お。そっち見たい」


 玄関ポーチを通り過ぎ、外壁と同色のアプローチを通って反対側へ向かう。

 駐車場の奥にあったのと同色のフェンスを開けると、人工芝が敷かれた空間。大きな窓の前にある床はタイル張りになっていて、タイルの上部だけ屋根がある。

 隣家との間は木製の柵で目隠しが施されていた。


「これって犬用の水場? 足洗う所? 作り的にシャンプーもできちゃいそう」

「お湯も出ますよ」

「すげぇ! ワンコ様だな!」

「これだけで驚いてもらったら困りますね」

「なになに? 他には何があるの?」


 得意げに笑った律瑠が鍵を取り出し、足洗い場の隣にある玄関のような引き戸の鍵を開ける。


「この一角はモナ専用の玄関兼トイレとして使っています。一段下げてあるので、外の水場からシャワーを伸ばして水洗いが出来るようにしてあるんです。窓はモナが外を見られるように大きくしてあって、ブラインドで陽射しの調節が出来ます。隣の書斎にはモナ用の小窓があって、香乃が仕事中はそこから外を眺めているらしいですよ」


 一段低くなった部分に犬用のトイレが設置され、窓の外の靴箱には男物と女物の履物が一足ずつ収められている。

 モナ専用玄関の向かい側には、引き出し付きのトリミング台があった。トリミング台の下の空間には掃除機が置かれ、壁には専用のドライヤーが掛けられている。


「もしかして香乃ちゃんって、自分でワンコのカットとか出来ちゃうの?」

「モナを他人に任せるのが嫌で、役者の仕事しながら勉強したらしいです」

「犬への本気度、半端ない!」

「ドッグランも、人工芝がいいかウッドチップがいいのか、ギリギリまで悩んでいましたよ」

「でもさ、シャンプー台は外でいいの?」

「シャンプー台まで室内に設置すると、モナの部屋が狭くなるから嫌だって。屋根さえあれば真夏はぬるま湯で、冬はお湯があれば何とかなるだろうとか言ってました。最悪、モナか香乃のどちらかが無理そうだと判断した場合は、風呂場にある洗面台で洗うから問題ないそうです」

「香乃ちゃんって、案外大雑把だよな」

「面倒臭がりですしね」


 おもちゃがいくつか転がった、すっきりとした室内には犬が一匹。会話する二人を見ながら尻尾を振っている。

 近付いてこないのは、見覚えのない篠田を警戒しているからだろう。


「お前がモナかぁ。いい場所に住んでるな」


 モナの目線に合わせて屈んだ篠田が片手を差し出し、じっと待つ。

 ゆっくり歩み寄ってきて篠田の手の匂いを嗅ぎ、モナの尻尾が揺れ始めた。


「篠田さん、犬好きなの?」


 突然聞こえた、女性の声。


 どこから聞こえたのかと顔を上げ、篠田は気付いた。

 篠田たちがいる場所の反対側に大人の腰ほどの高さの壁があり、頬杖を付いた香乃がそこから篠田と律瑠を眺めていた。

 香乃の声に反応したモナが弾かれるように駆け出して、激しく尻尾を振りながら、香乃と自分を隔てる木製の柵を引っ掻き始める。


「香乃ちゃん久しぶり~。モナ部屋が気になって、先に見せてもらっちゃった」

「モナ部屋、素敵でしょう? でも奥には行かないでね。洗濯物が干してあるんだ。篠田さんが平気なら、モナをリビングに出してもいい?」

「全然いいよ。むしろモナと遊びたい」

「あ、香乃。これ篠田さんからもらったベリータルト」

「わぁ! ありがとう、篠田さん! 玄関じゃなくて、そこから入るの?」

「いや。この後、玄関に案内するつもり」

「そう? 好きなだけ見学して、満足したら手を洗ってね。お昼ご飯出来てるよ」


 律瑠と篠田が揃って返事をすると、香乃が上半身を起こした。

 スライド式の柵が開放され、激しく尻尾を振りながらモナが飛び出す。

 モナを呼ぶ香乃の声と、犬の軽快な足音が離れて行った。


「あそこがモナの寝室か? ……へえ。柵越しにリビングが見えるんだな」

「モナからも俺たちからも、お互いの気配が感じられるようにしたんです。生活動線的に人が頻繁に行き来する場所でもないので、安心して寝られるみたいですよ」


 階段下のスペースだが、天井が低い部分は収納になっていて、モナの寝床の天井は高い。腰を屈めずとも掃除が出来る造りだ。


「この戸の向こうが香乃ちゃんの仕事部屋?」


 立ち上がりながら、篠田は右手にある明かり取りの小窓が付いた引き戸を指さした。


「俺の机とか仕事道具もあるので、二人で使う書斎ですけどね。香乃は昼間、ほぼこの部屋にいるみたいです」


 モナ専用玄関に立ったまま律瑠が手を伸ばして引き戸を開ければ、すぐ脇にガラス戸の付いた本棚があった。椅子とデスクは、二つずつ。

 大きな窓が二つある、明るい部屋だった。


「小窓って、あれな。お、モナの寝床発見」


 再び屈んだ篠田が、楽しそうに笑う。


「門越しに通りが見える位置なので、誰かが来るとモナの反応ですぐにわかるって、香乃が言っていました」


モナ用玄関を施錠してから、男二人は正面の玄関に戻った。


「お宅訪問、めちゃくちゃ楽しいな!」

「楽しんでもらえて良かったです。住宅ローンのことは、香乃が相談に乗れるって言ってましたよ」

「そうなの?」

「実家のほうを住宅ローンで買ったらしいです」

「そっちは現金払いじゃないんだ?」

「実家の名義は香乃の父親なので。融資はしたらしいですけど」

「ふーん。なぁ、後でバイクのガレージも見ていい? 篠田さんはこの家に興味津々です!」


 正面玄関から家の中へ入り、玄関ホールにある洗面台で手洗いとうがいをする。


 引き戸を開けてLDKに入ると、香乃とモナが二人を出迎えた。


「改めて、篠田さん久しぶりー! 元気だった?」

「元気元気! 香乃ちゃんも変わりない?」


 香乃と篠田が両手を繋ぎ、うきうきと体を揺らす。

 二人は四年程前にイギリスで初対面を果たし、色々あって、香乃は篠田に懐いている。

 年末年始の休暇を利用して律瑠と篠田が帰国した際には、三人で食事をするのが毎年の恒例行事となっていたくらいだ。


「篠田さんと会うのって九ヶ月ぶり? 律がるぅちゃんの結婚式のために帰国した時に会って以来?」

「そうだな。だってさぁ、時任が二人っきりで会うなって言うんだもん」


 キャッキャウフフと楽しそうな二人を眺め、律瑠が顔を顰めた。


「俺が香乃に会えないのに、篠田さんだけが香乃とそうやって楽しそうにするなんて許せなかったんですよ」

「律って篠田さんのこと大好きだもんね」

「え? 俺のほう? ごめんな、時任。俺には既に美人の彼女がおるねん」

「秘書課の彼女だよね? 写真見せて!」


 料理を温め直す間と、食事をしながらも会話は続く。


「彼女さんとは付き合って半年なんでしょう? 馴れ初めは?」


 律瑠から聞いたのだと香乃が告げると、篠田は照れ臭そうに人差し指で頬を掻いた。


「会社の飲み会でいい雰囲気になって、何度か二人で食事行って、付き合おうかって。君たちみたいな素敵な馴れ初めではないですよ」

「結婚するの?」

「このまま続けば、するかな。彼女はしたいって」

「篠田さんは?」

「そろそろ結婚しておきたいとは、思ってる」

「思った時がタイミングって言うからね。いいんじゃない?」

「え? いいの?」


 手にしていた箸を落とす勢いで驚いたのは、律瑠だ。

 信じられないものを見る目をして、律瑠は隣に座っている香乃へ視線を送る。


「律と私の話は別」

「言うと思った」


 がっくり肩を落とした律瑠の隣で、香乃が愉快そうに声を上げて笑った。


「彼女との未来を考えてる篠田さんの前で言うのもあれなんだけどね。私は結婚が、幸せを約束する切符だとは思ってないし、結婚にいい印象も持ってないの。だけど律が証として望んでるのは理解してる。だから、するよ。でも、それならその区切りは、意味のあるものがいいの」

「だから一年半後なの?」


 篠田からの問いに、香乃は苦笑を浮かべる。


「るぅちゃんたちが来られるなら、もっと早くてもいいけど。乳飲み子抱いて結婚式に参列って大変そうじゃない? るぅちゃんは私の結婚、喜んでくれるって知ってるから。気兼ねなく楽しんでもらいたいんだ」

「結婚式場ってベビーベッドとか、授乳用に別室の用意とかもしてくれるらしいよ。調べたら、半年くらいの子を連れて参列したって人もいるみたいだし」

「篠田さんって、そんなに真剣に今の彼女との結婚を考えてたんだね」

「ん? ん~……まぁ、そんな感じ? 俺は香乃ちゃんのウェディングドレス姿も早く見たいけどね」

「ウェディングドレスかぁ。撮影で、着ちゃったよ。律と私の結婚式は、白無垢が着たいかな。神様に報告しないといけないの。最初は恨んだけど、今はこんなに幸せになりましたって」

「俺も、幸せ」

「…………あの~。篠田さんここにいるんで、二人の世界に入らないでもらえます? 篠田さん、寂しくて泣いちゃう」


 食事の後で篠田は家の中を一通り見て回り、リビングでベリータルトを食べながら、住宅ローンや家を建てた時の詳細を香乃から聞いていた。

 モナとも存分に遊び、これから彼女とデートなのだと言って、日が暮れる前に篠田は帰って行った。


 行きと同様、律瑠が車で駅まで送り、帰って来た家の中は、やけに静かだった。


「香乃?」


 最愛の女性の姿を探してLDKに入ると、ローソファの背凭れの向こうで揺れる、尻尾が見えた。

 歩み寄ると、香乃の腕の中で尻尾を振りつつ、モナが律瑠の帰宅を歓迎してくれている。香乃はソファで横たわり、眠っているようだ。

 ふわふわの頭を撫でるとモナは満足げに鼻を鳴らし、香乃の腕の中で小さな身体を丸めた。

 律瑠は座面が低いソファの前の床へ腰を下ろし、眠る香乃の髪を梳く。


――幸せだな。


 柔らかな夕日に照らされた室内。

 ソファの座面へ頭を乗せ、香乃とモナの寝息を子守歌にして、律瑠も目を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る