第5話 酒豪姉弟2
金曜日の食堂は、そわそわした空気が漂うものだ。あと半日で今週の仕事が終わる。休日を前に、誰もが浮き立っていた。
「昨夜、何食った?」
篠田は普段と変わらず、前日と同じ質問を後輩へと投げ掛ける。
「トマト煮込みハンバーグと、アボカドのサラダと、チーズが色々出てきました。あとパン」
「それ絶対ワインのやつ」
「チーズとワインは香乃の弟くんの手土産で、二本空けてましたね」
「三人で二本? 時任ってそんなに酒強かったっけ?」
「ほぼ、香乃と弟くんが飲みました。二人はビールもしこたま飲んでましたよ」
「酒豪姉弟なんだなー」
いつも同じ場所が空いているのは、自然と誰もが同じ席に座るからだ。他部署の友人と食事をする場合には、場所が決まっていたほうが合流しやすい。
「俺もさぁ、そろそろ身を固めて家でも建てちゃおうかな。お前が家を建てた時のこと、教えてくれない?」
味噌汁をすすりながら、
「秘書課の彼女ですか。まだ半年も経ってないですよね」
「お前のとこと比べられると困る。俺はお前より年上だからね? 八年も待ったらアラフォーになっちゃう」
「なんか、腹立ちますね」
「香乃ちゃんの説得手伝うから、機嫌直してよ。ローンとか、どこがいいの?」
生姜焼きの大きな塊を頬張り、ゆっくり咀嚼する。白米と味噌汁を味わってから、
「現金で、香乃が買いました」
「うっそ。キャッシュで家買うって芸能人? あ、元女優さんでしたっけ? 家建てたぐらいに引退発表だったよな? そうだ。それでお前らも遂に入籍かぁって思ったんだよ、騙されたー」
「篠田さん、うるさいです」
「本気でイラっとさせて、ごめんなさい」
「わかっていただけて良かったです」
しばらく二人の間には沈黙が続き、生姜焼き定食を完食して冷めたお茶を飲んだ
「家建てる時、揉めますよ」
「お前らって、結構、揉めるのな」
「香乃は自分の生き方を決めちゃってたのに、俺が必死にそこへ割り込んだんです。揉めて当然の経緯ですね。――うちは、犬を飼う前提で家を建てました。犬専用の部屋にドッグラン、床の材質に扉の種類、窓に至るまで、一階は全て犬が生活しやすいように考えて作られてます。家具も、リビングのソファは犬と一緒に寛げるようローソファですし、そのソファの材質も毛が付きにくく掃除がしやすい物になっています」
「え、やだ詳しく」
「香乃のお姉さんが喘息持ちなんですよ。だから遊びに来やすいようにっていう配慮で、犬用スペースが作ってあります。お義姉さんが泊まることを考慮して、二階には犬を連れて行きません。階段下がモナの寝室とモナ専用の収納スペースになっていて、隣接する六畳がモナのためだけの部屋になっています。香乃の仕事部屋とモナ専用スペースは繋がっていて、俺がイギリスにいる間、香乃とモナはほぼその二部屋だけで生活していたみたいです」
「つまり?」
「香乃ははじめ、それだけ狭い家を建てようとしていたんです。本気で、それだけあれば十分だと考えてましたね。危うく俺の居場所がないところでした」
「あれ? お姉さんへの配慮は?」
「香乃を説得するために俺が提案したものなんですよ。モナのドックランだって作れるよって。予算オーバー分は俺が出すから、もっと広い家にしようって。そのほうが、子どもが出来た時にも安心じゃないですか。それで……香乃からは何て言われたと思います?」
「えー? さすがにわからん」
「離婚した時に困るから、折半は嫌だと」
「結婚する前から離婚の話ししてんの? 時任お前、かわいそうが過ぎない?」
「絶対と永遠は存在しないそうです。最終的には、新居の家具家電の購入費と入籍後の生活費を俺が払うことは、何とか納得してもらえました。家の修繕が必要になったり、子どもが出来た時には都度相談です。ちなみに、今の生活費は折半です」
「いらないって言われてるのにお金払いたいだなんて、時任って変わってるな」
「高校時代、最初に告白した時に言われたんですよ。人生の伴侶として価値があると思えなければ、そういう存在は不要だって。だから俺は、香乃にとって価値のある人間で居続けないとならないんです」
「俺が知ってる二人って、既にラブラブいちゃいちゃしてたから、逆にその頃のお前らを見てみたいわ」
「あの頃の香乃の特技は、同級生との間に見えない壁を作ることでしたからね」
「……でもさぁ、香乃ちゃんがお前に価値を見出したのって、金じゃないんじゃないの?」
「それは……俺も、わかってるんです。でもやっぱり俺は頼られたいし、香乃を守る側に立っていたいです」
「守ってるし、頼られてると思うけどねぇ。
「聞き捨てなりませんね。俺は
「そのプロポーズの言葉、もらっていい?」
「プロポーズの言葉含め、俺と香乃の話は篠田さんの参考にはならないと思いますよ」
「確かに。言うとおりだ」
篠田と
二人の会話はそれほど大きな声ではなかったが、聞き耳を立てていれば拾えない事もない。自分たちの会話をおざなりに、彼女たちは聞き耳を立てていたのだから。
だが今は、律瑠と香乃の話を聞きたくて堪らない。
「白金かのんって、言ってたよね?」
「最近見ないなぁって、思ってた」
「私、子役時代から好きだったんだよね」
「高校生の映画、泣いたわ」
「どれ? 何本か出てたでしょ」
そこから映画とドラマ談義に花が咲き、昼休みの終わりを告げるチャイムで彼女たちは、慌てて仕事に戻ることとなった。
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