第20話 戦闘準備


「めちゃくちゃ久しぶりじゃない?」


 そう言って出迎えてくれたのは、かつてNight Lilyで一緒に働いていたカナこと、西島香奈子だ。


 腰まで伸びた金色の髪をバッサリ切り落とし、顎の下で切り揃えた栗色の髪が揺れる。現役時代より少しばかりメイクはナチュラルになったが、相変わらず当時を彷彿とさせる体の線にぴったり沿ったブラックのワンピースを着ていた。


 ここは彼女の経営するネイルサロンで、美優の行きつけでもある。


 葡萄色の壁に、香奈子が現役時代に纏っていた香水によく似た香りが漂うこだわりのラグジュアリーな店内は、本人も自覚している通り万人受けする雰囲気ではない。けれど、彼女の丁寧な接客と確かな技術でリピートする客も多い。


 それから、同業経験者ならではの悩みはもちろん、時間やデザインなどの多少のわがままもきいてくれたりする。


 現役時代から知っている美優は特に相談に乗ってもらうことも多く、美優にとってはまさに姉のような存在でもある。


「なかなか時間がなかったんだ。でも、香奈子さんがこの前伸びてても目立たないネイルしてくれてたから助かったよ。お客さんからも褒めてもらったりして」


「今日はどうする?」


「冬っぽいやつ……って思ってたんだけど」


 美容院、ジム、エステ、新作コスメをひとしきり買い漁り、武装準備は徐々に整っている。ネイルも完璧にしておきたい。


 元々面倒くさがりな美優は、少しでも行かなくていい理由を見つけるとネイルサロンに通わなくなってしまうので、前回は香奈子のアドバイスを受けて伸びても目立たない根本がクリアなジェルネイルにしてもらった。


 年々シンプルなネイルが流行しているが、冬はやっぱり華やかなネイルの方が気分が上がる。今回は思い切り可愛いネイルにしてもらおうと少し前から考えていた。


 しかし、ここ最近のことを思い出すと気を引き締めて戦闘力の高いネイルにしたい。


「美優が迷ってるなんて珍しいね。最近流行りのデザイン見てみる?」


 香奈子は楽しそうにタブレットを開いた。オーダー通りのネイルより、デザインする方が好きらしい。

 

「人とあんまり被りたくないんだよね……あ、これ」


 淡いパープルのシュガーネイルに、ユニコーンやリボンなどのモチーフが散りばめられている。


「いくら被りたくないからって冒険し過ぎじゃない?」


「違うよ、こういうネイル見たなーって」


「これは美優とは別ジャンルで流行ってるんだよ。地雷系っていうの?可愛いけどあんまりおすすめしないかな、人によっては少し幼く見えるから」


 見てる分には可愛いけどね、と香奈子は笑った。


 香奈子は思ったことをズバズバ言えるタイプだ。Night Lilyにいた頃はそんな香奈子が苦手だったこともあるが、今はその真っ直ぐなアドバイスに助けられることも多い。


「私はしないよ、ただ……」


 香奈子は美優が何かを話したがっていることにすぐに気付いたようだった。


「話聞くよ、今日は夕方まで誰も来ないはずだから」 


 先にネイルオフしちゃおう、と香奈子の少し冷たい手が美優の手に触れた。


 美優は安堵した。ネイルはもちろん、今日は誰かと話したい気分だった。


「あのね、私のことずっと好きだって言ってくれた人がいたんだけど」


「客?」


 香奈子は驚いたように顔を上げた。


「んー……、まあそんな感じ」


 美優は曖昧に濁した。どうせ香奈子の方も話したこと以上の深追いはしない。だからこそ秘密の悩みを打ち明けやすかったりする。


「その人があんまり好き好きうるさいから、どこが好きなの?って聞いたら顔なんだって」


「聞く方も聞く方だけど、ストレートな人だね」


 香奈子は視線を落として少し笑った。


「結構長く一緒にいたはずなのに顔って……顔だけってこと? って思って」


「逆に顔以外で何を売るのよ?あんた昔っから色恋営業なんてしないんだから……酒の飲みっぷり?」


 あんまりな言い草に言い返そうとすると、香奈子はびっくりするほど軽く「ごめん」と笑った。


「最近Night Lilyに可愛い子が入ったの。若くて可愛くて……」


 おっぱいが大きい、口に出すとそのことを認めるようで嫌だった。美優はそっと口を閉じた。


「はーん。で、地雷系なんだ」


「そう!どうしてわかったの?」


(見てればわかるわ、そのくらい)


と、香奈子は少し呆れた。美優は昔から客の愚痴は言うものの、そこから疑似恋愛にも発展することはなかった。プライベートな恋愛の話も聞かないのでドライな性格だと思っていたが、そんな彼女をやきもきさせる客に興味を持った。


「私の知らない所で2人でご飯食べたり、可愛いって言ったり、呼び方も誰にでもさん付けのくせに呼び捨てしたりしてさ」


(……これは客の話じゃないな?)


 客との関係をビジネスだとハッキリ線を引く美優が、長く一緒にいるという事実をこんな風に匂わせることはしないだろう。それに、同じ店の女の子が自分の客と知らない所で二人きりで食事していたなんてことをこんな風に穏やかに話せるはずはない。

 

「しかもね、舌にピアス開けてるの知ってたの」


「ヤッたかってこと?」


「やっ……」


 美優の顔がサッと赤くなった。その反応に逆に香奈子が慌ててしまう。現役時代に黒服が引くほどの下ネタで笑っていた女と同一人物だとは思えなかった。


「嘘、冗談だよ。舌ピアスなんて普通に話しててすぐ見えるもんじゃん」


 美優は小さく咳払いをした。まだほんのり耳が赤くなっている。


「でもさ、そんなにまじまじ見る? って思って……」


 美優は居心地悪そうに体を捩らせた。


「美優ってそんなに嫉妬するタイプだった?」


「嫉妬じゃない」


「じゃあ向こうが嫉妬させたいとか?」


「あー……」


 二人はしばらく顔を見合わせた。お互いこの手のタイプの客に散々悩まされたことがある。


(私に嫉妬させたいとか、そういう駆け引きするタイプじゃないからな……)


 いっそ、これが駆け引きだったら、こんな風に腹を立てることもなかったはず。


「そういうタイプでもないから怖いんだよね」


「怖いんだ」


 香奈子は意外そうな顔でこちらを見ていた。


「結構好きなんじゃん、その人のこと」


「前は大嫌いだったんだけど、今は嫌いじゃない」


 それだけ、と付け加えると香奈子はただ黙ってニヤニヤと笑っている。


「あとね、一度はこの私を選んでおいてその次があの女ってことが嫌なの。あんな地雷女」


「Night Lilyの地雷女といえば……寧々ちゃん?」


「えっ、香奈子さん知ってるの?」


「噂でね。顔は確かに可愛いよね、これまでにいなかったタイプだけど。さすがNight Lilyって感じ」


「……」


 香奈子の正直な意見でも寧々はやはり可愛い、わかっていたが少しだけガッカリしてしまう。


「えっ……、もしかして舌ピの彼女ってその子?」


「そう」


「なんかあの子さ、店移るって噂ない?」


「えー、知らない。そもそも本人に会ったのもまだ一回なんだけど」


「Night Lilyって元々姉妹店じゃん? 向こうをリニューアルするから、何人かそっちに移したいって話聞いたよ。まあ、美優には関係ない話かも。美優とか結愛とか、店長はお気に入りの子たちは手放さないでしょ」


「そんな話全然知らなかった」


「ただの噂だからね。それに、本当だったとしても店長はその話したくないだろうし」


「なんで?」


「Night Lilyより高待遇だったらそっちに行きたくなっちゃうでしょ」


「そうか……」


「まあ、私は店を移る云々の前にいつの間にか消える方に賭けるけどね」


 香奈子はなかなか辛辣なことを言うと、視線を落としたまま美優に尋ねた。


「そういえば、こんな話してて思い出したんだけどさ。同居人さんは元気?」


 同居人さん、聞き馴染みのない言葉に少し戸惑う。一瞬なゆのことだと思ったが、すぐに違うと気付く。


「あー、もう出て行ったよ。結構前にね」

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