第19話 あの子、可愛いね?

 部屋の電気がついている。慣れない頃は忘れているとギョッとすることもあったが、今ではこの明かりにホッとする。


「ただいま、なゆ。まだ起きてたのー? 」


(あ、ちょっと酔っ払いぽかったかも)


 間の抜けた話し方に急に恥ずかしくなった美優は咳払いを一つした。


「おかえりなさい、美優さん。早かったですね」


 気配を察知したのか、それとも足音が聞こえたのか、美優が部屋の鍵を差し込む前になゆはいつもドアを開けて待っていてくれる。先に眠っていてと何度も言っても聞く耳を持たない。


 出迎える彼女はすっぴんに無地のスエットに美優があげたクマの着るブランケットを引っ掛けていた。艶々の肌は毛穴一つ見当たらない。このまま一緒に外出できるほど完璧だった。


 偶に芸能人の結婚報道を見る度に、帰ったら家であんな美人が待っているなんてどんな感じだろうと想像していた。


 今は少しだけ、その気持ちが分かる気がした。


「そう? 別にいつもと変わらないけど。普通じゃない」


 ーーそれは嘘だ。本当は早く真相を確かめたくて珍しくキャストの中で一番に店を出た。


 なゆは無造作に髪を掻き上げると、ふっと微笑んだ。


「嘘、ですね。美優さんは本当にわかりやすい。嘘をつく時の癖があるんです」


「えっ、どんな?」


「言ったら意識して直しちゃうじゃないですか。秘密です。」


「嘘が、商売みたいなもんなのに……」


 なゆの言い草に少し苛立った美優はいつもより乱暴にヒールを脱ぎ捨てた。


「大丈夫ですよ、他の人は気付かないと思います」


「……はいはい、わかった」


 なゆが自信たっぷりに微笑むのを見て、美優は苦々しく溜息を吐いた。


「そうだ、久しぶりのお仕事どうでした?」


「まぁまぁかな、色々あったし」


(寧々のこととか、寧々のこととか……)


 美優の頭の中は性悪ツインテールことでいっぱいだった。


「どうしたんですか? 話してください。珈琲淹れますよ」


 なゆは長い髪をくくりながらキッチンへと向かおうとしていた。


「新しい子、可愛いね」


 ピタリ、となゆの動きが止まった。少し考え込むような顔をしていた、すぐに誰のことかわかったようだ。


「寧々のことですか?」


「呼び捨て……!」


 美優は思わず、驚きの声を上げた。その反応になゆも驚いている。


「だって……! 彼女がそう呼んで欲しいって言ったんです。年下だし、後輩だからって……」


 先輩面したいわけじゃないんですよ、となゆは珍しく狼狽えていた。その顔を見て、ほんの少し申し訳ない気持ちになる。


「別にそういうんじゃないよ。……ただ、いつの間にか仲が良いんだなって思って」


「ヘルプについてくれたんですよ、飲みっぷりもいいんです」


 なゆは彼女の悪行に気付いていないのか、寧々には好感を持っているようだ。


「なんか……これまでにいないタイプだよね」


「そうなんですよ、声も可愛いですよね。私は声が低いから羨ましいです。あと、ピアスめちゃくちゃ開いてますよね。見ました? 私も開けたいけど勇気が無くて……美優さん?」


「見たよ。いっぱい開いてたね」


(でもさ、ちょっと度が過ぎない? 確かにキラキラしてて可愛かったけど……なゆはああいう子も好きなの?)


 美優は寧々の耳にぶら下がった重たそうなピアスの数々を思い出した。


(私は左の軟骨にひとつ、両方の耳たぶにひとつずつ……だめだ、数で負けたわ)


 そんなことを一瞬でも考えた自分に少し笑えた。何を張り合っているんだか。


「そうだ、寧々って舌にも開いてるんですよ」


 なゆは自分の口を大きく開けて小さな舌をベーっと出した。


「はぁ? なんで知ってるのよ……」


「見せてくれたんです。この前ランチした時」


 ランチ……それは十中八九インスタの写真のことだろう。


 さりげなく聞き出そうと思っていたが、なんだか癪に障る。


「へー、そうですか。ねぇ、あの子可愛いね?」


「可愛いですよね。いい匂いするし」


 あれ、どこの香水でしょうか。なゆは頬をさすりながら ぶつぶつと彼女の香水のブランドについて考察し始めた。シャネル、イブ・サンローラン……そんな上等な訳ないじゃない。


 ーー自分は一体何を期待していたのだろう。


 美優は深く溜息を吐いた。可愛くないと言って欲しかったのか、きっとそうじゃないけれど。


 何をこんなに苛立っているのか自分でもよく分からない。新人が生意気だから? そのことについてなゆが共感してくれないから?


「……もうお風呂入って寝る」


「えっ、一緒に珈琲飲まないんですか?」


 なゆはがっかりしたように肩を落とした。


 その顔にほんのりと罪悪感を抱く。でも、このまま一緒にいても苛々した気持ちををぶつけてしまいそうだった。


「ありがとう、でもいいよ。そうだ、明日は午前中にヘアサロンに行く……あとジムも。適当に家出るから」


 本当は予約していたのは美容院だけだった。だけど、今の美優は無性に燃えていた。ジムの他にネイルも新しくしよう。エステも行って、それから……。


「わかりました。じゃあ明日はお掃除して待ってますね」


 なゆはパッと顔を輝かせた。つい最近購入した掃除用品を試したくて仕方がないらしい。なゆは家事を何でも器用にこなすし、とても助かる。感謝することも多い。ムッとしたことを申し訳なく思いながらも、引っ込みのつかない美優は口を尖らせて小さく「ありがとう」と呟いた。






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