第18話 今日は本当にツイてない日

 結愛は高らかに宣言すると、美優の小さな顎を掴んでグッと視線を合わせた。

 ゆっくりと挑発的にポッキーの端を咥えると、少しずつだが確実に近付いてくる。


 彼女は恐らく覚悟を決めて"勝ち"に来ている。


 美優も結愛の勢いに負けないようにジリジリと近付いていく。

 3センチ程残った所で、結愛がふと動きを止めた。美優もうっすら目を開くと、珍しく真剣な結愛と目が合った。


 なんとしてでも一万円を勝ち取りたいという強い意志を感じる。


 美優は彼女の意志を汲むと、行き場のなかった両手を結愛の細い腰に回して引き寄せた。


「……んっ」


 イブ・サンローランの口紅の味と、甘いチョコレートの香り。二人は唇が触れ合うのも構わずに、絡み合うように夢中で食べ進めた。荒い吐息を随所に挟むことも忘れない。


 余韻までも楽しむように、二人はゆっくりと離れた。


(……一万円)


(完璧に貰えるわ、これ)


 二人はそれぞれそんなことを考えながらオジサンの方を見た。オジサンは既に千円札を握っていた。


「……は? これで千円?納得いかないんだけど」


「わざとらしすぎる」


 オジサンは渋い顔で首を横に振った。結愛がまた何か文句を言おうと口を開いた瞬間、ニナが脳天気な声を上げた。


「あー、いいところに来た。新人、おい。しんじーん」


 ニナは珍しく声を張り上げて寧々を呼んだ。チンピラみたいに呼ぶのやめな、と結愛が諫めるが全く聞く耳を持たない。しんじーん、と呼び続けている。


 寧々はニコニコと微笑みながらテーブルに近付いた。さっきまでのことが嘘のように涼しい顔をしている。ニナの説明を頷きながら聞くと、少し困ったような顔で笑った。


「いいですよ、ポッキーゲーム」


 寧々はグラスからポッキーを一本取り出した。ほっそりとした綺麗な指先は、淡いラベンダー色のネイル。偏光のホログラムが光に当たってキラキラと輝いていた。


「ニナさんとですか? それとも結愛さんと?」


 寧々は思ったよりも乗り気で、ポッキーを弄びながら小さな歯を見せて微笑んでいる。もしかしたら寧々も少し酔っているのかもしれない。陶器みたいな真っ白な頬が薄ら桃色に染まっている。


「決まってるじゃん、美優と寧々だよぉ」


 ニナは呆れたように笑った。結愛の方は一仕事終えてすっかりくつろいでいる。


「……は? 私と寧々?」


 ふと、結愛と目が合った。オジサンの隣で両手を叩きながらドスの効いた低い声で「キース、キース」とコールしている。すっかり他人事だ。


「え、え〜……私と美優さんが、ですか?」


 寧々はニコニコと受け答えしているが、頬が引き攣っている。


「だってほらぁ、やっぱり新鮮味?がないと」


  ニナがしたり顔で言うと、オジサンは深く大きく頷いた。

 わかってくれるか、といつの間にか新しく注文したドリンクを二人で乾杯している。


「わー、緊張しますね」


 寧々はそう言いながらポッキーを美優に差し出した。本当にやるのか、美優に委ねているようだった。その目は既に死んでいた。

 お互いに、断れる雰囲気では無いと分かっている。


 ーーここは覚悟を決めるしか無い。


 美優は余裕ぶって微笑むと、ポッキーを受け取った。チョコのついている方は寧々に譲ってあげる。


 二人は静かにポッキーを咥えた。向かい合ってまじまじと寧々の顔を見つめていた。彼女の長い睫毛が頬に影を落としている。よく見るとアイラインはガタガタだった。


 二人は淡々と、リズムを崩すことなく食べ進めた。空気を壊さないようにお互いに顔は楽しそうにしているものの、ポッキーを通して相手が嫌がっているといたことがわかってしまう。


 唇が僅かに触れると、二人はパッと顔を離した。顔を見合わせて楽しそうに笑ってみせる。

 ニナも結愛もオジサンもきっと気付いていないだろう。二人は"無の境地" にいた。


 どうせ、千円。美優も、おそらくニナもそう思っていた。


「2万……?」


 オジサンは美優と寧々にそれぞれ2万円を差し出した。ニナは身を乗り出して並べられた4枚の札を見た。


「えー、嘘。なんでぇ?」


 何がお気に召したのか、正直美優にも分からなかった。寧々も困惑した様子で美優の顔を覗き込んだ。

 美優からすれば寧々とのポッキーゲームに一円も価値を見出せない。いや、二度と御免だと言うことで希少価値がつくとも言えるのだろうか。


「嫌々やっている所に興奮した」


 一万円の価値について、オジサンは正当な理由を述べているつもりだろう。だが、その場にいる全員、納得のいくものではなかった。


 オジサンはそんな美優たちを尻目に満足そうに笑うと、さっぱりとその場を切り上げた。


 ニナと結愛がエレベーターにお見送りに行く。寧々と美優もお小遣いを貰った手前、二人からは一歩下がって最後まで見送った。


 扉が完全に閉まった後、美優はずっと気になっていたことをニナに聞いてみた。


「今日はアレでいくら稼いだの?」


「1万千円だよ。渋いねぇ」


 ニナはミニバッグを開けてこっそりと見せてくれた。美優と寧々は交互にバッグの中を見せてもらう。シワシワの札が束になって丸まっていた。


「その半分くらいは私の稼ぎだけど」


 結愛はニナにもたれ掛かるようにして立つと、恨めしそうに言った。

 彼女は自分の席にニナがヘルプで付く時は、自身が貰ったお小遣いとして貰ったお金は基本的には全てニナにあげているようだった。

 今日みたいに結愛がどんなに体を張ったとしても、それはヘルプのニナの稼ぎになる。


「ありがとう、結愛」


「……持ちつ持たれつ、だからね」


 結愛は自分に言い聞かせるようにそう呟くと、大きく豪快に伸びをした。セパレートのミニドレスから引き締まった腹が見えた。


 美優も固まった筋肉をほぐすように小さく肩を回した。もうすぐ店を締める頃合いだ。






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