第17話 今日はツイてない日
美優はしばらくの間、寧々の言った言葉の意味を考えていた。
テーブルに戻った後もなかなか本調子に戻ることができず、せっかく次回から本指名してくれそうな客がいたのに、チャンスを逃した気がする。エレベーターの前でお見送りを済ませると、美優は小さくため息を吐いた。
(……考えれば考えるほどイライラする)
なんだか今日はツイてない。コンセントが抜けていたことに気づかないまま充電していたらしく、店に着くなりスマホのバッテリー残量は残り50%。ヘアメイクの担当が休みでいつもと違う人にやってもらったせいか少し老けて見える気がする。そういえば、さっきコンビニに寄ったらお気に入りのラテも売り切れていた。
接客も、今日はイマイチ手応えを感じられない。
(極め付きはあの新人のこと)
足早に待機室に戻ろうとする美優を、ニナが言葉よりも先に強い力で引き留めた。危うくバランスを崩しそうになるほどだ。
「みーゆちゃん、ポッキーゲームしなぁい?」
普段やる気のないニナがやる気を出す瞬間……それはポッキーゲームでお小遣いを稼ぐことだ。
ふと、頭を抱えた結愛と目が合ってしまった。こちらを見て何かを訴えかけるような目をしているのだが、目と目で通じ合えるほど二人は親しくない。
(……断れってこと? 何なの、その目は?)
ジェスチャーを交えてさりげなく結愛に念を送るが、コップを持つような仕草をするばかりで要領を得ない。
「今ねぇ、オジサンが一番興奮するポッキーゲーム見せてくれたら一万円くれるって」
オジサン、というのはこの常連客のことだ。本当の名前は確か内山……だった気もするのだが、本人の強い希望で"オジサン"と呼んでいる。このことはNight Lilyのキャスト全員にも通告されている。
オジサンはもう何年もNight Lilyに通う常連客の一人だ。とにかく声が大きくて、豪快。そして、何かと気前が良い。基本的にはフリーだが、理由をつけては女の子たちにお小遣いをくれていた。
最近のオジサンにはある楽しみがあった。それが、ニナと結愛のポッキーゲームを見ること。最初はただ二人で酔ってふざけていただけらしい。客とポッキーゲームは昔からよくあることだが、最近では女の子同士の絡みを喜ぶお客さんも多い。オジサンだけではなく、Night Lilyでのプチブームになっている。
客からキャストに求める場合はやんわりと断ってしまうこともあるが、女の子同士なら大概は空気を壊さないためにも応じる。ほとんどの場合は致し方なくだが、ニナはこのことを"稼ぎ時"だと急に目を輝かす。
「……いいよ」
美優は仕方なく応じることにした。ニナはやる気の無さと、あまり男性ウケを意識しない化粧とスタイルの所為でフリーやヘルプにつくことが多い。
今はある海外ドラマにハマっているらしく、伸ばしていたハイトーンの髪をバッサリ切ってショートヘアにし、目の周りを真っ黒に塗っている。女の子ウケはバッチリだが、結愛たちと比べてもあまり稼ぐことが出来ない。
その為、客から貰えるお小遣いが彼女の貴重な収入源にもなっている。
(妙なタイミングで捕まっちゃったな……やっぱりツイてない)
声を掛けられるのは嫌じゃ無い。それに、その近くにでも団体客がいればその中の一人が気に入って次から指名してくれることもある。ただ、タイミングが悪かった。
「じゃあ、美優にチョコの方を譲ってあげるね」
ニナはほどよく酔っているようで、機嫌よくチョコの付いてないプレッツェルの方を咥えると、美優の方に顔を傾けて薄い瞼を閉じた。
黒の少し跳ね上がったアイラインに、ダークグレーのアイシャドウが綺麗なグラデーションになっている。
二口ほど食べ進めた所で、ニナが少し震えていることに気付いた。薄目を開いて確認すると、どうやら自分で切り出しておいて照れているらしい。梅干しみたいな顔で笑いを堪えている。それを見て、思わず美優もつられて笑ってしまった。残り4センチ程でポッキーは半分に折れてしまった。二人の顔もパッと離れる。
「もう……! あとちょとだったのに、ニナが笑うから」
「だって無理……笑っちゃうよぉ」
二人はひとしきり笑うと、オジサンの方をチラッと見た。オジサンは少し気難しいような顔をして、審査員気取りで千円札を一枚取り出した。
「えー! これでも千円なの?」
ニナは露骨に不満そうな声を上げた。彼女は本気で抗議してるようだが、妥当な気もする。美優はそんなことを思いながら苦笑していた。
「子供騙しだった」
オジサンはそう言って静かに頷くと、まるで冷えた日本酒でも飲むように乱暴にグラスを持つと、シャンパンを一口啜った。
「そんなぁ、結愛ー」
ニナが泣きつくように結愛を見ると、結愛はやれやれと首を横に振った。景気付けだろうか、一気にシャンパンを流し込む。
「どう、ほら。ポッキーちょうだい」
結愛は重そうな腰をあげると、ニナからポッキーの入ったグラスを受け取った。美優に少し近付くと、口の端を僅かに歪めて笑って見せた。
「美優、やるよ。そこ座んな」
空いているソファの端を顎で示す。結愛の目は完全に据わっていた。
店内はちょうど客が少ない為にできる自由だ。仲の良いキャスト同士がほんの少しだけ席に寄っておしゃべりをしていく。客が常連の場合はよくあることだ。でも、それはほんの少しの挨拶程度を想定して許されていることだ。
「え、えーっとね……私そろそろ休憩しようかなって思ってたんだけど」
オジサンに聞こえないように、美優は結愛に小声で囁いた。
「大丈夫、すぐ済ませるから。……だから"酒飲んどきな"って、やったじゃん」
結愛は再びコップを持つ仕草をする。
「あれそういう意味だったの……いいよ。わかった」
もうここまで来たら流されよう、美優は仕方なくソファに腰を下ろした。結愛は美優にプレッツェルの方を咥えさせると、美優の頬から顎を指でそっとなぞった。彼女の少し長めのネイルが頬を掠めると、同性でも思わずドキッとしてしまう。
「大人のポッキーゲーム見せてあげる」
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