第16話 甘く見てると

 あれからどのテーブルを回っても、頭の中はなゆのことでいっぱいだった。どうして話してくれなかったのだろう。


(……やましいことがあったから?)


 なゆが仕事用のインスタを更新してないということは、なゆは完全にプライベートとして寧々と会っていたということ。


 連絡先を交換する為に携帯を手に取る。いけないことだとはわかっていても、寧々のアカウントをまた検索してしまう。複雑なユーザーネームもすっかり覚えてしまった。

 今時の若者らしく99%が自撮りだ。それに、結愛の言った通り全て加工されて背景まで歪んでいる。顔も別人だった。

 なゆと撮った写真は二枚だけだった。パンケーキの写真と、店内で一枚。珍しく加工は控えめで、なゆも綺麗に写っている。顔を僅かに傾けて、少しぎこちない微笑みを浮かべていた。


(今度はなゆと寧々で百合営業させるつもり? でも、なゆはもうすぐ辞めるはずだし……まさか、なゆを辞めさせない気? 駄目だ、考えてもさっぱりわからない)


「私、お手洗いに行ってくる」


 少し頭を冷やそう。せっかく団体客の一人が美優を気に入ってくれているというのに、いつものように上手く対応できない。


 トイレは少し並んでいた。誰かが酔って占領しているらしい。美優は一息付くと、再びスマホを手に取った。


(……まぁ、なゆにも友達だってできるか)


 そんな簡単なことにどうして気付かなかったのだろう。恋人の浮気を疑うような気持ちになっていた。これも百合営業の弊害なのかもしれない。


 気を抜いた途端、ヒールが床の木目に引っ掛かり、美優は少しバランスを崩した。トイレの前の床は酔っているとバランスを崩しやすい。一種のバロメーターにもなっている。勢いのまま、後ろに立っていた女の子とぶつかった。


「あー、ごめん」


「すみません……あ、美優さん」


 独特な舌足らずな甘えた話し声。後ろに立っていたのは寧々だった。

 

「あの、美優さん。怒ってますか?」


「え? 怒ってないよ。あれは店長からの指示で、別に私たちは本当に付き合ってる訳じゃ……」「石井社長のことです」


 寧々は間髪入れずに答えた。

 

「……ああ、そのこと」


 美優は咳払いを一つすると、乱れた髪を整えた。


「あの、なんのことだと思ったんですか?」


「……別に。あのね、そのことを話題にするってことは、いけないことって知ってた? 黒服から聞いた?」


 寧々はこくりと黙って頷いた。


「そっか……。あのね、寧々ちゃんにその気があったとしても、なかったとしても良くないことなんだ。下手すると店を追放になることもあるくらい。……だけど、ガッツがあるのはいいことだよ」


 最初のうちは、きっと誰もが指名を取るのに必死だ。それなのに上手く話せなかったり、連絡先の一つも交換できずに落ち込んだりすることもある。


「石井社長、いい人だったでしょ。……次から気をつけて」


 石井社長曰く、せっかく声を掛けてもらったからと指名したらしい。美優が出勤していることに気付くと、その場ですぐに美優を指名した。バツの悪そうな顔をしながら、快気祝いとのお詫びにシャンパンを下ろしてくれたので許すことにした。


「すみませんでした」


 寧々はそう言って美優に頭を下げた。若いのにしっかりしている、と素直に勧進した。自分に悪気はなかったから、とかお客さんから持ちかけてきた話だからとか、嘘を並べて自分を正当化するような女の子もいる。

 そもそも、その日は美優も休んでいた訳だから文句も言いにくい。


「大丈夫、まだ入ったばっかりで指名もらえるなんてすごいことだよ。これは寧々ちゃんの実力」


 もし、これと同じことをなゆがしたら発狂していたかもしれない。だが、相手が寧々だと思うと心に余裕が持てた。


(なゆは絶対にそんなことしないけど)


 実はヘルプが客と連絡先を交換するのはご法度中のご法度ではあるが、珍しいことではない。特に入ったばかりの、それも数ヶ月で辞めてしまいそうな捨て身のキャストはよくやる手でもある。

 その点、なゆは黒服からも事前に注意を受けていたのかもしれないが、キャバクラで働くのが初めてだと思えないほど場慣れしていた。暗黙のルールを破ることもなく上手く立ち回っていた。


「……嫌味な女」


 ぼそっと、寧々が呟いた。だが、ちょうど誰かの笑い声で美優には聞こえなかった。どこかのテーブルがかなり盛り上がっているようだ。


「ん?ごめん、もう一回言って」


 寧々はにっこりと微笑んだ。形の良い唇、よく見ると唇の左端にピアスホールがある。


「美優さん。私、なゆさんのこと本気です」


「……え?」


 言葉の意味を理解できずに眉を顰めた。


「なゆさんも、美優さんとのことは営業だって言ってましたけど、私の方が上手くやれると思います」


「……自分も百合営業したいってこと?」


 美優は思わず鼻で笑ってしまった。


「そんなの、勝手にすればいいじゃない。みんな多かれ少なかれやってるでしょ」


 そう言って美優はテーブルを見回す。彼女や店長の求める百合営業がどのレベルを求めているのかは別として、キャスト同士で仲の良いアピールをすることはよくあることだ。彼氏と暮らしてることの隠れ蓑にしたり、ポッキーゲームすればお小遣いくれる客だっている。  


「いいえ、私はなんです」


 寧々は相変わらずニコニコと微笑んでいる。でも、瞳の奥は笑っていなかった。ヘーゼルグリーンの綺麗な瞳だった。


「なゆさんに言いました。私がナンバーワンになったら付き合ってくださいって……あ、トイレ空きましたね。それじゃ」


 寧々はそう言い残すと、手に持っていたグラスを美優に掲げて見せた。



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