第13話 弱ってる時に優しくされたら恋に落ちるもの

「熱が出たのなんて……いつぶりだろう」


 微熱程度はあるものの、本格的に熱を出すほど風邪を引いたのは久しぶりだった。仕方なくかかりつけの病院に行くことになったのだが、あの病院嫌いのなゆも待合室まで付き添ってきてくれた。心の疲れもあったのか、妙に弱気になっていたので助かった。


「体温測りました?」


 なゆは美優のベッドに浅く腰掛けた。心配そうに顔を覗き込んでいる。

 昨夜お互いの本名を知ってから、美優はなるべく"雪乃"と呼ぼうとしていた。だが、もう長いこと"なゆ"という呼び方に慣れていたせいで上手くいかなかった。なゆは、"なゆ"はあだ名みたいなもので気に入っていると言うので、しばらくは"なゆ"呼びでも許してもらうことにした。


「なかなか下がりませんね」


「なゆ、あんたに移ったら困るから……」


 付き添わなくてもいい、そうさっきから注意しているのに、なゆはこうして数時間おきに様子を見に来てくれる。枕元の水分を確認したり、冷えピタを交換してくれたり……とにかく甲斐甲斐しく世話をしてくれる。


「平気ですよ。疲れもあったのかもしれませんね。この所ずっと眠れてなかったんでしょう」


 なゆは溜息混じりにそう言うと、再び美優の額に手を乗せた。ひんやりとした手が気持ちいい。


「今日はゆっくり休んでください。店長にはさっき連絡しました」


「本当に……? ありがとう……!」


「……と言うより、ちょうどタイミングよく連絡があったんです。共同生活どんな感じ? って」


 後で店に連絡しなくてはと思っていたので助かった。なゆの話によると、荷物を運ぶ際に男手が必要なら頼める人がいるという話だった。恐らくは店長の噂の彼氏とその友人たちのことだろう。二人で運んでしまったと言ったら笑われたそうだ。


「店長がすごく心配してました、美優さんが体調不良で休むことってあんまりないからって」


「……健康なのが取り柄だからね。私からも一応連絡しておこう」


 言い終わらぬ内になゆが携帯を差し出した。ワンコールですぐに繋がる。話が通じてるおかげでスムーズだった。


 なゆちゃんから聞いたよ、お大事にね。と、機嫌よく心配までしてくれた。


「そうだ、もし必要ならお客さんにも連絡しますよ。テンプレ通りみたいな内容になるかもしれないけど……」


「うう、それは助かる……。今日絶対来るって言ってた人が何人かいるの。リストに入ってるから、この携帯でお願いしてもいい?」


 わかりました、なゆは短く答えると無言のまま顔色ひとつ変えずに文章を打ち込んでいる。さすが同業者……いや、これはなゆだからこそ出来る気遣いだ。


「……こんな感じでどうですか? 一応普段の美優さんと文体も違うと思うので名前も入れておきました」


「すごくいい、完璧。なんなら普段の私よりちゃんとしてる……」


 今日は丁寧になゆの署名まで入れている。普段の美優はいわゆる塩営業で、特別なことがない限り連絡はしない。そんな数少ない連絡をするのも、一握りだった。きっと連絡が来て驚く客もいるはず。それでいて、別の女の子から連絡が来るなんて、と思うかもしれないが百合営業様様だ。むしろ都合よく解釈してくれる。


「あ、みなさん返事が早いですね……お大事にって。ちなみにジュンさんが一番でした。"どうしてなゆちゃんが知ってるの? 店に行くから詳しく"って」


 嬉々として返信を打つ彼の姿が目に浮かぶようだった。


「ごめんね、なゆは今日休みだったのに……」


「大丈夫ですよ、気にしないでください」


 店長の機嫌が良かった理由の一つに、ヘルプのキャストを探さずに済んだ

ということがある。なゆは美優の欠勤を伝える際に、とりあえず今夜は自分がヘルプで出ると言ってくれたのだ。

 

「そうだ、そろそろ薬飲んだ方がいいかと思って。ご飯は食べられそうですか? ゼリーとかプリン適当に買ってきたんですけど」


「プリン食べたい……!どうして食べたくなるってわかったの……?」


 まさに至れり尽くせりだ。熱の所為もあってか、感激のあまり涙腺が崩壊しそうだった。


「なんとなくです、喜んでもらえて良かった。今持ってきますね、冷やしてあるんです」


「こんなに高待遇でいいの……? 申し訳なくなる」


 体調が悪いからといってここまで優しくしてもらえたのは、子どもの時以来だった。


「こういうときは何も気にしないで、思いっきり甘えていいんですよ」


 なゆは困ったように微笑むと、ベッドが沈まないようにゆっくりと立ち上がった。


「ありがとう……さっきね、すごく怖い夢見たんだ」


「ああ、熱があると怖い夢みますよね。どんな夢だったんですか?」


 美優が話し始めると、なゆは再びベッドに浅く腰掛けた。


「それは……忘れちゃったけど」


 どうせくだらない話だったのに、わざわざ足を止めてくれたなゆに申し訳なくなる。不貞腐れたように答える美優を見て、なゆは声を上げて笑った。


「なんですか、それ」


「ただ、また見たら嫌だなって思って」


「……大丈夫ですよ。私がいるじゃないですか」


 なゆの声が優しく響いた。


「なんか怖い夢見てそうだなって思ったら、すぐに助けに来ますから」


 さて、プリン取ってきますね。なゆは小さく囁くと、再び美優から離れてしまった。妙に心細くなって、美優は思わずなゆを引き留めた。


「……ねぇ、私のどこが好き?」


 なんだか鬱陶しい女みたいだな、と思いつつも彼女の答えが知りたかった。その答えによっては、昨日の申し出を真剣に受けてもいい。そのぐらい、なゆには感謝していた。

 なゆはきっと美優が冗談で言っていると思っているだろう。困ったように眉を下げて微笑みながら、答えに悩む素振りもなく答えた。


「顔です」


「……は?」


「私、顔で選ぶタイプなので。そんなことより、プリン食べたら薬を飲んでちゃんと寝ててくださいね。私も支度しますから」


ーー顔?


 もっと他に言い方はなかったのだろうか。優しいとか、面白い、とか内面を表す一言がもっとあっても良かったのではないだろうか。


 美優は開いた口が塞がらないまま、パタパタと部屋を出ていくなゆの背中を見ていた。


 前言撤回だ、昨日の申し出はこのまま流しておくことにする。

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