第12話 その話については


「話……?」


 美優はとぼけてみせたつもりだったが、顔に出やすいタイプだと自覚している。


「はい、あの夜の約束についてです」


(ついに来てしまった……)


 動揺を悟られないようになゆから背を向けた。クローゼットを整頓するような素振りで顔を隠す。

 

「なんのことか私にはちょっと……そうだ、このブランケットみたいなの使う? 袖を通して着れるんだけどあったかいから」


 それは以前女の子の客から貰った物で、"着るブランケット"という奴だ。洗い替えで二着、うさぎかクマの耳が付いている。うさぎの方は耳が少し邪魔になることがあるので、なゆにクマの方を差し出した。それに茶色の方が汚れも目立たなくて良い。


「美優さん」


 なゆはクマのブランケットを受け取りつつ、真剣な眼差しで美優を見つめている。おもむろにスマホを手に取った。


『なゆが夜を上ったら……』


「わかった、止めて止めて」


 録音された自分の声を聞くのは気恥ずかしい。なゆは少し不満そうな顔で音声を止めた。


「……で、何してほしいの? ヤンニョムチキン? それともデカ盛りラーメン?」


「それも魅力的ですけど、私は美優さんときちんとお付き合いしたいんです」


「きちんと……お付き合い?」


(……"お付き合い"って、なんだっけ?)


 美優の思考は完全に停止していた。


「できることなら、結婚を前提に」


「結婚……」


 想像を超える提案に、美優はカタコトで繰り返すことしか出来なかった。


「私は美優さんに常に誠実でいたいと思ってます。酔った勢いでOKしてくれたのもわかってます。ただ、美優さんの心の中に、選択肢の少しでいいから私を入れてほしいんです」


(酔った勢いって……なかなか人聞きが悪いこと言うのね)


 記憶が曖昧になるほど酔ったのは初めてで、美優は未だにあの夜の酒のことを引きずっている。"酒豪の美優"と呼ばれたこともあったのに、プライドはズタズタだった。なゆは知らないだろうが、翌日に迎酒をする元気もなかった。

 

「……待って待って、じゃあ本当に? いや、それは置いておいて。確かに酔った勢いだったし、なんのことかわからなかったし……」


 未だに半分くらいは冗談ではないかと疑っている。だが、なゆはそう言うことを冗談で言うタイプにも思えないし、何より真剣な表情だった。


「でもね、なゆ。あんたも酔ってた」


 美優は仕方なくなゆの正面に腰を下ろすと、同じように膝を揃えて姿勢を正した。


「酔ってません」


 なゆは食い気味に答えた。


「……酔ってたの」


「いえ、酔ってませんでした」


「いいの……! とにかくなゆは酔ってた。だから、この話はナシ」


「そんなのずるいです」


 なゆが抗議の声を上げているが、とりあえず無視して話を進めることにする。


「その方がいいでしょ、これから長くても半年は一緒にいるんだよ。なゆが早く部屋を見つけられれば別だけど……」


「こんな話をしてもまだ部屋に置いてくれるんですか?」


 なゆは大きな瞳を潤ませながら美優の顔を覗き込むように見た。こんな顔されたらますます追い出し辛くなる。


「……まあね。いいよ」


「ありがとうございます」


 なゆは頭を丁寧に下げた。


「あんたって結構……したたかだよね」


「美優さんは本当に優しいですよね。優しすぎて少し心配になります。変な奴にすぐ騙されたりしそうで……」


ーーお前が言うなよ。


 思わず口に出し掛けたが、すんでの所で口を噤む。言葉で言い合っても簡単に勝てる気はしない。そんなことより、話すべきことが他にも沢山ある。


「私たちはお互いのことを知らなすぎるでしょ。そもそも、なゆの本名だって知らないんだから。ちなみに私は本名のままだよ。最初はひらがなで"みゆ"だったけど、漢字にした。なゆは?」


「雪乃です、永島雪乃。"なゆ"は店長が付けてくれました。名字と名前の最初の一文字ずつ取ったんです」


「綺麗な名前だね」

 

 永島雪乃、本当の名前を聞いた途端に彼女を身近に感じる。よく本名を聞いて来る客がいるが、今ならその気持ちがわかる気がする。この先もしも聞かれることがあっても、絶対に教えることはないけれども。


「……なんだか照れますね」


 雪乃は少し俯いて微笑んだ。その名に恥じず、透き通るような白い肌は雪のようだ。これから少しずつ、"Night Lilyのなゆ"ではなくなっていく。


「改めてよろしくね、


「諦めた訳じゃありませんからね」


 なゆはにっこりと微笑んだ。


 彼女と暮らす理由は優しさと少しの罪悪感と、宝の山沢山の服とバッグのシェア、あわよくば美味しい食事……。


 家賃の話し合いの際、安くしてくれたお礼に食事を作ると言ってくれたのだ。もちろん、なゆの負担にならないようにしてほしいとは念押しした。だが、美優はそれが楽しみで仕方なかった。


(我ながら本当にほだされやすいな……)


 なゆには他にも聞きたいことは沢山ある、はずだった。でも、彼女の本当の名前を知ったら急に満足してしまった。彼女のことを知るのは少しずつで構わない。


 美優は小さくくしゃみをした。リビング以外はあまり使っていないため、クローゼットや今のなゆの部屋は冬場は特に寒くなる。


「大丈夫ですか?」


「少し風邪引いたかも。でも大丈夫、なゆもあったかくしてね。うう……寒い」


 美優は両肩を抱き締めるようにさすった。風邪を引いたかもしれないと思うと急に背中がゾクゾクするから不思議だ。


 


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