第二章:桜の舞い散る八百八町/01
第二章:桜の舞い散る八百八町
――――翌日。
小鳥の囁きが遠くに聞こえる中、朝の暖かな日差しを浴びながら……凛は縁側に腰掛け、ぼうっと境内の景色を眺めていた。
何もすることはなく、ぽかぽかとした日差しを浴びながら。ふわあっと吹き付ける、心地の良い風に前髪を揺らしながら……凛は縁側に座り、そこから見える来栖大社の境内をただ見つめている。
嘘のように、平和な時間が過ぎていく。
今日までの間、凛は色々な目に遭ってきた。とても現実とは思えないような、とんでもない出来事ばかりに襲われてきた。
それなのに――――それなのに今は、こんな風に穏やかな時間を過ごしている。今までの出来事が何もかも嘘だったみたいに、穏やかな時間を。
だからか凛は、妙に足元がふわつく感覚というか……奇妙な現実感の無さを覚えながら。ただこうしてぼうっと、縁側の景色を眺めている。
――――昨日は、咲弥に色々と迷惑を掛けてしまった。
今は泣いていい。咲弥の掛けてくれた一言が切っ掛けで緊張の糸が解けた凛は、ごちゃ混ぜの感情が胸の奥から一気に溢れ出てくる中、流れる涙を止められないまま、そのまま咲弥に抱き着いたまま……いつの間にか、眠ってしまった。
そんな悲しみと不安に揺れる凛に、咲弥は一晩中ずっと寄り添ってくれていた。彼女が傍に居て、守ってくれていたからか……今日は久しぶりに、よく眠れた気がする。
「……剣姫、か」
そんなことを思いながら、縁側に腰掛ける凛は……すぐ傍にある桜の木を見上げながら、小さく呟いてみる。
――――
魔を打ち払う特別な力を秘めた巫女、霊力という不思議な力を操る存在。それが自分であると……咲弥は昨日、話してくれた。
凛も、その剣姫というものが何なのかは……あくまで一般常識程度の話だが知っている。
剣姫は、その不思議な霊力を使うことで『霊術』という、超自然的な術式を用いることが出来るそうだ。分かりやすい例を挙げれば念力や、傷付いた人や動物を癒す治癒能力といったものがあるか。
また、あの夜に彼女が放った青い焔刃……
とにかく、剣姫が用いる霊力というのはそういったもので。そんな不思議な力を以て剣姫が戦う相手が、
妖怪という言い方もある。これは怨念や憎悪といった負の感情、または深い恨みのために現世に留まり漂う死人の魂、或いは魔の瘴気を浴びて凶暴な姿に変質した人間や野生動物といった……負のエネルギーによって変質した奇怪な存在。人に害をなす異形が、妖だとか妖怪だとか呼ばれている存在だ。
それは実体があったりなかったりと、姿形は実に様々だが……これと対等に渡り合える特別な力を持つ者こそ、咲弥のような剣姫と呼ばれる乙女なのだ。
そんな風に、咲弥が特別であるように……この来栖大社もまた、数ある神社の中でも特別な存在だった。
――――来栖大社。
何千万年もの長い歴史を持つ、この国で最も由緒正しい神社。それが凛の保護された、この来栖大社だそうだ。
ついさっき咲弥に聞いた話によれば、その起源は遙か三五〇〇万年前にまで遡るという。悠久の超古代に於いて、大いなる闇と戦い……それを打ち払った剣姫。それを祀っているのが来栖大社であり、その末裔が咲弥なのだ。
そんな長い歴史のある来栖大社だが、神社そのものはそこまで派手なものではない。
来栖大社は小高い山の上に建つ神社で、そこそこ広い敷地を持つ境内には本殿や社務所、そして凛が今居る邸宅……咲弥の生活スペースとなる家の他、小さいながら道場もあるらしい。
麓まで続く長い石段と、来訪者を出迎える大きな鳥居。境内には大きな桜の木が幾つも生えていて、春になると……ちょうど今のように境内が一面、綺麗な桜景色になる。
――――と、凛が匿われている来栖大社は、そんな由緒正しい場所だった。
「凛、具合はどうですか?」
そんなことを、凛がぼうっと思い返していると……咲弥がそっと声を掛けてきた。
「あ、はい。おかげさまで身体も……心の方も、少し楽になってきました。咲弥さん……その、昨日は本当に色々と迷惑を掛けてしまって」
「いえいえ、気にしないでください。私が好きでやっていることですから♪」
改めて礼をする凛に、咲弥は嬉しそうに微笑んで。
「それで凛、今日なのですが……少しだけ、私に付き合って頂けませんか?」
なんてことを凛に問う。
「……僕と、ですか?」
突然そんなことを言われて、凛がきょとんとしていると。すると咲弥はまた小さく微笑み。
「先日のことで、お奉行様が貴方に色々と訊きたいそうですから、まずは東町奉行所に参りましょう。それが終わった後で、気分転換に……そうですね、一緒にお散歩でもしましょうか」
「お奉行様が……そういうことなら、分かりました」
奉行所といえば、この国の警察機構そのもの。凛に事情聴取を求めるのも当然のことだ。だから凛はそれにコクリと頷いて、了承の意を示し。すると咲弥は、
「では、早速参りましょうか♪」
と言って、そっと凛に手を差し伸べてきた。
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