自問自答、あるいは思考のもつれ
授業内で勉強しなければいけないことを映し出した液晶画面が少年の顔を反射させた。特に感情は浮かんでいない。楽しそうでもつまらなそうでもなく、ただ先生の声をきき、内容を理解する。三時間前にあった脳内世界は発つ鳥跡を濁さず、消え去っていた。代わりに二人目の少年が彼と話すわけでもなく、少年の脳内は空虚に満ちていた。
(あの子は、僕が、純粋な自分について考えたことがないって、そう言ってた)
タブレットに対応しているペンを握りながら、少年は心を無にして問題を解いていく。
(純粋な僕ってなに? 議題は?)
周りが頭を悩ませながら解いている問題を、少年はするすると終わらせた。次のページに飛んで、また解く。
(何について悩めばいい?)
次の問題を解いている途中で急に少年の手が止まる。
(…もしかして、こういうところ? 周りに何かを突きつけられてから、僕は考えている。自分で議題を探さず、あの子が見るべきものを教えてくれることをただ待っている)
ペンを持った手を口元に持っていき、彼はまだ思案し悩む。
(僕は、自分で自分の考えるべきことを決めていない。そこを治さないといけないの?)
その思考は善悪の判断もつかない、あやふやで曖昧で輪郭のない幼な子のものとそっくりで、答えを切望している。しかし採点者は絶対に姿を現さない。いくら瞬きを繰り返しても、秒針が時を刻んでも、何も現れず、誰も話さない。ただ平坦で静かな思考のうみがあるだけだ。
後ろの方から他の生徒たちがひそひそと解き方を考えている声がする。それで少年の思考にいるうみは手を振って笑顔で沈んでいなくなった。次第に雑音が耳に届くようになってきた。
(そうだった。今授業中だ)
止まっていた問題を解く手をまた動かし、脱線していた頭を叩き直した。少年の眼前に広がるのは数学の問題で、自分の受動的な性質の解剖実験場ではなくなった。
「…よし、だいたい解き終わったか?」
先生の声が聞こえて、解いていた問題たちの答えに点数がつけられる。ついさっきまで解いていた問題にプログラムが触らないことを疑問に思っていると、それが次に解くべき問題群だったことを思い出す。息を口から引きずり出してゆっくりと自分の顔を手で覆う。
面白いことになってきたじゃねえか。
何一つとして面白くないよ。
そら、お前にとっちゃそうだろうな。だが残念、僕には最高のエンターテインメントだし安価な暇つぶしなんだ。僕の遊びの糧になってくれてありがとう、癪だけど感謝するよ。
何の用?
あると思ってんの? 遊びに来ただけだし〜。いやまあ、ずっと見てはいるんだけどさ。
来ないで欲しいんだけど、普通に邪魔。きみは表に立たないから楽だろうけど、僕はちゃんと勉強しないといけないんだよ。
数学の問題は全部あっている。ちゃんと勉強しないとって、帰ってからキッチリ一時間半勉強してるだろ。綺麗に優等生じゃんか。もう十分以上だとは思わないのか?
…十分じゃない。僕が僕自身の問題点について気づけていないのが一番の証明だ。もっと、もっと頑張らないと。
頑張った先に何があるんだ? 頑張って、お疲れ様でした、って。それで、結果は何になるの? 何が残されるの?
「ぁ、ぇ」
微かな呟きに、少年の右隣に座っている鬼族が視線を彼の方へと向けた。さっきの声以外に特段おかしいところはなく、ただ画面を見ているだけの少年に興味をなくして、すぐに視線は先生の方に向いた。
お前は結局、何がしたいんだ? 僕を作って、居場所を破壊して、それで、褒められたいと? お前のやることなすことが誉められるに値すると思っているのか? お前、相当身勝手だぞ。
や、やめて。
お前なんかの云々にぼ———
ジリリリリリリと、けたたましく鳴り響くタイムアップの声が、少年の脳髄をぶん殴る。空気が解放されて、急に授業外の音が鼓膜に流れ込んでくる。
「あれ、どうかした?」
隣にウヴが立っていることに少年は気がつく。粘液が物につかないよう手袋のはめられた手にはタブレットが持たれている。その後ろからダルカが顔を覗かせる。
「次のじゅぎょー理科室だよ〜。移動しないの?」
「あ、うん。移動するする」
急いで椅子から腰を上げ、タブレットを掴み、教室から出ていく二人の後を追う。早く行かないと、休み時間が終わってしまう。少年は二人と並んだ。
◆
あっという間に昼食が過ぎ、残りの授業も終わり、さあ解散だという時間を時計が示した。
授業が終わってすぐに帰る準備を終わらせたダルカは、自分の席から立たずに後ろを振り向いて、少年の様子を観察する。いつもと変わりないように思える彼に、ダルカは眉をひそめた。
(いつも通り、か? 本当に変わらない? 絶対に違う。どっかおかしい。けど)
自分の下唇を噛んで、ダルカは悔しそうに顔を歪める。
(オレにはわからない。きけない)
楽しそうにウヴと話している少年に、ダルカはなんて声をかけたらいいのかわからない。変人という肩書きを持っている彼は、その肩書きの属性以上に優しかった。自分が踏み込むことのできない領域を簡単に理解できるほどに。
「ダルカー帰るぞ〜」
「ういー。今行く今行く〜」
のっそりと立ち上がり、ダルカは教室から出て行く二人を追いかけて追い越す。雑踏の廊下を三人並んで過ぎてって、一人ひとり西日の出口をすり抜けていった。きっと二度とは戻ってこない飽和した時間が、瞬間が、少年の脳裏に濃く残る。
「すごい空」
学校のある丘の上から見上げた空は広く、空色が少しだけの橙と混ざり合って雲も染めていた。
(教会に行く頃には変わっちゃってるかな)
小さく微笑んでから少年は目を開いた。忘れ物をしたのを思い出したような顔だ。
「? どうかした?」
覗き込んでくるウヴに、彼はひょいと笑ってみせて首を横に振る。
「なんでもない」
「早くしろよ〜。帰るって言ったのお前ら二人だからな!」
「わかってるよ」
大きく開かれた校門のそばでぴょんぴょん飛び跳ねるダルカを見て、ウヴと少年は同時に笑う。どんだけ早く帰りたいんだよ、と呟くウヴに少年が、んね、と同意する。そんな彼を見て、ウヴは唐突に自分の手を少年の肩にぽすっと置く。
「どうかした?」
笑顔を崩すことなく、少年はきく。遠くのダルカが痺れを切らしそうに地団駄を踏む。
「や、たまには頼れよなって」
そんなウヴにめんくらったような顔を見せてから、安心したような表情で少年は目を伏せた。
「留年してるくせに」
悪態をつくが、その声色は柔らかい。めずらしい言葉を吐く彼を、ウヴはにま〜っと笑って眺めた。少し歩けば、二人はダルカにブーブー文句を言われる。それにまた二人は笑う。
学校にはまだ人がいるのに、少年には自分たち三人しかいないように思えた。
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