第3話 下僕になりました

 魔物の鋭い爪がノアの鼻先から入り込み、後頭部まで貫通した。即死だ。手を引き抜かれ、顔の中央部分がなくなったノアの体はその場に力なく倒れた。


 「あ……」


 死んだ。あれで生きていられるわけがない。


 「あぁ…………」


 また、まただ。

 知っている。似た光景を少女、アネラ・フォルティナウスは見たことがある。


 「…………また、だ」


 全く同じだ。動くことができなかった。見ていることだけしかできなかった。


 「なん、で……?」


 何故こうなる。何故変わっていない。

 力を手に入れた。あの時よりも強くなっている筈だというのに、2度と目の前で人を死なせないと決意した筈なのに……どうして?


 考えて、考えて、考えて。

 気づけば視界がぼやけていた。涙だ。

 自分が未だ無力であるということを理解して、彼女の瞳からは涙が溢れ出ていた。


 「コレデ、イタル。オウノクライニ」


 魔物は地に伏せたノアの死体に手を伸ばした。

 知性を持った魔物の行動だ。無意味なものではない。止める必要がある。止めなければならない。これ以上、死者を増やさないために。


 「く、ぅ……っ!」


 全身に走る痛みに耐えながら、体を起き上がらせて銃口を魔物に向けた。狙うは魔核。人型のそれは基本的に人間の心臓と同じ位置にある。

 狙いを定め、彼女は引き金を引いた。が、


 「!? 弾が……!」


 光の弾丸は魔物の体に当たりはしたものの、貫通することなく弾かれた。威力が圧倒的に足りていない。


 「……ジャマダナ」


 待ちに待った時間、傷すらつかないにしても邪魔をされたことには変わりない。魔物は不機嫌そうに体の向きをアネラの方に変えた。


 「サキニコロスカ」


 一瞬で殺せる。ならば邪魔をされないように殺した方がいい。魔物の判断は早かった。

 もちろんアネラがそれを大人しく待つわけがない。なんとか立ち上がって銃を構えた。


 「モード変更、第二段階……」


 もうすぐ救援が来るはずだ。アネラ自身が呼んだ方か、それともこのエリアのワルキューレか。この際どちらでもよかった。ただ時間を稼ぐ。


 「ムダ。ソノテイドデハ、トドカナイ」


 わかっていた。魔物の言葉は真実だ。第一段階の光の弾丸が簡単に弾かれた時点で察していた。現状の武器でこの魔物は殺せない。


 「だとしても……!」


 逃げることは叶わない。殺すこともおそらくできない。ならば何もしなくていいのか。いいや、そんなことはない。まだ何かできるのに何もしないなんて選択肢は彼女にない。


 「シネ」


 回転する銃身。狙いを定めて──


 「──テメェが死ね」


 もう聞こえるはずのない声がアネラの耳に届いた直後、魔物の姿が視界から消えた。


 「え……?」


 その代わり、目の前には別の人物が立っていた。


 「死んだはずじゃ……」


 ノア・グランデ。アネラの前にいたのは死んだはずの少年だった。


 「死んでねぇよ。……いや、死にはしたか。死んだけど生き返った。それだけだ。それより休んでろ。オレがやる」

 「…………」


 頭部を貫かれていた。見間違いではない。だというのに今アネラの目の前にいる。血はついているが、魔物によってあけられた穴がない。綺麗さっぱり無くなっている。


 「ナ、ナゼ……!? イキテイル?!」


 アネラは捉えることができていなかったが、魔物は蹴り飛ばされていた。先ほどやられたことをノアはやり返したのだ。


 「あぁ? お前、オレのこと狙ってきたくせにオレの体知らねぇのかよ」

 「ナンダト……?」

 「オレは死なない。死ねない。いくら殺されようと元に戻る」

 「……! ソレガ、ダイヨンノチカラ!」


 到底信じられる言葉ではない。けど、事実として死んだはずの彼は立っている。


 「まさか、あなたは……『魔人』、なんですか……?」


 噂を、耳にしたことがあった。

 魔核を取り込んだ人間がその魔物の力を手にして『魔人』になることがあると。だが、実際にそんな人物が現れたという話は聞いたことがない。だからそれはただの噂……そのはずだった。


 「…………」


 問いかけに答えることなくノアは魔物の方へと歩き出す。


 「ニンゲンガ、ウツワノブンザイデチョウシニノ、ルッ……!?」

 「うるせぇな」


 あったはずの距離がなくなり、いつの間にかノアは魔物の首を掴んでいた。アネラも魔物も誰も彼の動きが見えていない。


 「面倒なことにしやがって。オレが欲しいのは平穏なんだ。でもお前はそれを壊した。今のオレの気持ち、わかるか?」


 静かに、しかし確かに怒りの込められた声には圧があった。とても先ほどまでの少年と同一の人物が発してるとは思えない圧が。


 「ウ、グッ……」

 「最悪だ」

 「ニン、ゲン……!」


 魔物は首を掴まれたまま鋭利な爪をノアの頭に突き刺した。殺すための一撃。難なく命中したそれは確かにノアを絶命させた。その証拠に首を掴んでいた手からは力が抜けている。しかし、死んだのは一回だけ。


 「バカ、ナ!?」


 ノアの頭部は即座に再生を開始し、突き刺した魔物の腕はそれに巻き込まれる形で飲み込まれていく。魔物はすぐに自分の腕を切り落として距離を取った。


 「死なねえって言っただろうが」

 「フザケルナ!」

 「……はぁ、お前はオレを不機嫌にさせるためだけに生まれてきたのか?」

 「ヒィッ……!」


 殺意の視線を受けて魔物が抱いたのは生まれて初めて感じた恐怖。目的を逃げることに切り替えるまでにそう時間はかからなかった。


 「逃すわけねぇだろうが。借りるぞ」


 返事を待たずにアネラから魔器を奪ったノアは、逃げていく魔物の背にそれを向けた。


 「大人しく言うこと聞いて全部力出せよ」


 魔器に向かってそう言葉を発すると、銃身が分かれて回転し始めた。しかもさっきよりも速い回転速度が早い。


 「消し飛べ」

 「ァ────」


 引き金を引かれた魔器から射出された光線はアネラが使った時よりも圧倒的に太い。

 間も無くして、光線は逃げる魔物を発しようとした言葉ごと飲み込んだ。


 「上出来だ」


 残ったものはない。跡形も残さず蒸発した。


 「返す。じゃあな」

 「ま──」


 魔器をアネラの足下に放り投げてノアはすぐに立ち去ろうとする。アネラとしてはそのまま帰すわけにはいかない。話すことべきがある。だが、


 「もう2度とオレの前に現れんなよ」


 何も言わせないよう言葉を被せて彼は姿を消した。あっという間だった。

 残されたアネラは魔器を拾い上げて、その場に座りこむ。


 「魔人……、魔物の力……」


 そう独りごちて少女は暗くなった空を見上げた。


 

******

 


 平穏だ。平穏でさえあればいい。それが唯一の望み。他に望むものはない。

 だから今日もいつものように起きる。そして支度をして、学校に行くために家を出た。


 「──おはようございます」

 「…………」


 ドアを開けると知っている顔が笑って挨拶してきた。

 これでこいつの顔を見たのは3日連続だ。


 「もう来んなって言ったよな?」

 「言われましたね」

 「なら来んじゃねぇ」

 「そうはいきません」

 「しつこい。オレは学校に行かないといけないんだ」


 そう、オレは17歳。学生だ。学生は朝から学校に行かなければならない。そういうものだ。邪魔をしないでほしい。


 「──私はアポストルにあなたの存在を報告していません。ここはアポストルの及ぶ力が弱いですし、直接監視もされていないでしょう。つまりあなたはまだアポストルに見つかっていない」

 「……だからなんだ?」

 「あなたの平穏が崩れる崩れないは私の匙加減ということです」

 「ならテメェを殺せばいいわけだ」

 「残念ながら今日は一人で来ていないのでやめておいた方がいいかと」


 他にこっちの様子を伺う存在の感知はできない。感知が得意じゃないせいでハッタリかどうかの判断ができない。


 「はぁ、わかった。話は聞いてやる。何の用だ?」

 「最初からそれでいいんです。それで用というのは単純で、あなたには今日から私の下僕になってもらいます」

 「は? え? げ、下僕?」

 「はい」


 はい、じゃない。なんだこいつ。とんでもないこと言い始めたぞ。


 「あなたには私の家の使用人になってもらおうと思います。人手不足なのでちょうどいい」

 「待てバカ。勝手に話を進めるな。なんでお前のとこで働かないといけないんだよ」

 「? 私はあなたの体について調べます。ですが、調べられるだけではあなたも暇でしょう? なのでついでに働いてもらおうかと」

 「調べるってなんだよ」

 「言ったでしょう。私は力が欲しいんです。なので魔人という特殊な存在であるあなたの体を調べて、新たな力を得る方法を探すんです。ああ、別に非人道的な実験をするわけでも無いし、あなたを戦わせる気は無いのでご安心を」


 そこじゃない。いや、そこも気にしてはいたけど根本的におかしい。


 「ふざけんな。そんな話──」

 「断れますか? 私はあなたの生殺与奪の権を握ってますよ?」

 「こいつ……」


 確かにアネラの行動次第でオレの平穏は終わる。従う他ない状況ではある。あるが……


 「……待ってくれ。せめて卒業してから決めさせてくれないか? あと一年半で卒業できる。せめてそれまでは今の平穏を──」

 「あぁ、それについてはもう片付いてます。もう行く必要はないですよ。あなたは今日をもって卒業です」

 「はぁ?」


 またとんでもないことを言われて間抜けな声が出た。


 「いや、3年制でまだ2年。あと一年半ぐらいある」

 「飛び級です」

 「そんな優秀じゃないし、真面目じゃないだけも」

 「とは言っても事実ですので。はい、卒業証書」


 一枚の紙を渡された。そこにはなんか色々と堅苦しい言葉が並べられていたが、要約するとオレの卒業を認めるというものだった。


 「偽物だろ、流石に」

 「いえ、本物です」

 「嘘言うなよ。ワルキューレつっても権力者ってわけじゃないんだからそんなことできないだろ」

 「できましたよ。お金を渡したら」


 金持ってるいいとこの子供なんだろうなとは思っていた。でもあり得るのか? 流石に無理やり卒業させるなんてできなくないか?


 「あと私が御三家の人間なのも大きいでしょうね」

 「……御三家?」

 「はい。この世界の守護者、アポストルの創設に携わった家系です。そういえばフルネームは言ってませんでしたね。アネラ・フォルティナウス。御三家フォルティナウス家の現当主です。よろしくお願いします」


 嘘って感じじゃない。これまでこいつの態度にも納得はいく。でも、ダメだろ。


 「そんな横暴が罷り通っていいのか?」

 「ええ、意外と頼めばなんとかなります」

 「なんとかなっちゃダメだろ……て、待て待て待て。学校勝手に卒業させられたらオレって、どうなんの……?」

 「だから言ってるじゃないですか。私の下僕になってもらうと」

 「お前、やばいな……」

 「はい。私、わがままなので。欲しいものは絶対に手に入れます」


 思った以上にイカれてる。勝手に卒業させられてるのは流石にわけがわからない。


 「ちなみにあなたの保護者であるダンテさんからは了承を得ています。あと伝言です。人が与えてやった生活費をギャンブルに使うようなアホはまともに働いてこい、だそうです」

 「えぇ……」


 まさかのオレが唯一頼れると思っていた人間が許可を出していた。もう逃げ場がどこにもない。


 「ということでよろしくお願いしますね、下僕さん」


 この日、オレはあっという間に学校を卒業させられ、同世代の少女の下僕になった。

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