第1話 平穏が終わった日

 世界はいくつかあるらしい。

 いわゆる異世界というやつ。なんでもそこにいる人々は、オレらが暮らしている歯車よりも何百倍も大きい大地の上に暮らしているんだとか。まあ正直どうでもいい。

 どうせこっちから向こうにはいけないみたいだし、特に歯車の大地に不満があるわけでもな。しかし、大した興味はなくとも異世界に感謝はしている。


「お、熱い」


 異世界から流れ着くものがたまにある。人であったりものであったり。まあどちらにせよつまりは文化が流れてくるわけだ。

 オレが今しているパチンコもその文化の一つ。過去にこれをこの世界に流してくれた人には感謝したい。最初は訳わからなかったけど、システムを理解すれば結構楽しい。金は吸い取られるが、どうせ使い道もないしいい暇つぶしになる。


 「え、おい。マジかよ。90%ぐらいだろ確か。これで外れんのかよ」


 ようやく当たるかと思ったら外れた。今日はダメそうだ。

 荷物を持って席を立った。便意があるので先にトイレに行く。なかなかの大物を出し終えて、店を出ようとしたところでさっきまでオレが座っていた台に座っているおっさんが、大当たりしているのが視界に入った。


 「…………」


 ちょっと腹が立つけど仕方ない。確率の話だ。運が良ければ当たるし運が悪ければ当たらない。というわけでさっさと店を出る。


 「帰るか」


 部活には入っていないし友人もいない。行くところもなければ、やることもないし、やりたいこともない。飯を買って帰ろう。


 「──待ってください」


 弁当を買ってコンビニを出る。そして帰り道を歩いていたところで背後から止まるように声をかけられた。

 他に人はいないしオレのことを呼んだらしい。


 「……どなた?」


 振り返ってオレの視界に入ったのはちっこくて綺麗なお嬢様って感じの雰囲気のある金髪の美少女。背丈的に一瞬小学生かと思ったけど、着ている白い制服的にオレと同じで高校生か中学生だと思われる。が、知らない制服だな。この辺にある学校のものじゃなさそうだ。なんなら高そうだし上の階層にある学校な気がする。


 「私はアネラです。その黒い髪に黒い瞳……あなたはノア・グランデ。そうですね?」

 「え、あ、はい。そうです」


 少女──アネラは見た目よりしっかりとしているようだ。言葉から威厳というか、自信というか、まあなんかそういうのを感じた。大人って表現が適してるか。気圧されて思わず敬語になってしまった。


 「では一緒に来てください」

 「……? なんで?」

 「お話があります」


 そりゃお話はあるんだろうけど、嫌な予感しかしないなぁ。


 「断る」

 「何故?」

 「何故って、そりゃめんどくさそうだから。んじゃ」


 こういうのは関わらないに限る。


 「拒否権はありませんよ」

 「知りません」

 「──あなたのお母様に関わることでもですか?」

 「ああ、面倒ごとからは極力逃げろってのがその亡き母親からの教えなんでな」


 そう言い捨ててその場から歩き去る。切り札だったのだろうけど残念ながら母親のことを出されてもオレの気は引けない。無駄だ。


 「……ついてこないでくれる?」


 オレの切り札も無駄だったらしい。少女はずっと背中をついてきている。流石に立ち止まって、やめてくれと言ったが帰ってきたのは言葉じゃなくて年相応の可愛らしい笑顔だった。なんか馬鹿にしてるようでムカつく。

 もういい。それならこっちも徹底してやろう。無視だ。


 「一応言っておきますが、私はあなたの家までついていく気です」

 「…………」

 「ちなみに走って撒こうとしても無駄ですよ。そもそも家は知っていますので。突き当たりを右ですよね」

 「わかった! わかりました。聞くだけ聞いてやるからさっさと言え」


 どう考えてもオレの方が不利だ。諦めた。

 「ええ、最初からそれでいいんです」と勝ち誇った表情をしてきたが、深呼吸をしてなんとか耐えた。偉いぞ、オレ。


 「全てを燃やし滅する炎の刃、S級魔器の一つ──『スルト』。その在処を教えてください」

 「……お前、アポストルの人間か」


 見た目に騙された。そういえばワルキューレを育成する学校が上の階層にはあるとか聞いたことあるしそこの学生か。嫌な奴に捕まっちまった。


 「理解していただけたようで何よりです。では教えていただけますか?」

 「頑張ってオレを探して見つけたんだろうけど悪いな。無駄足だ」

 「無駄足?」

 「あの剣は奈落に落ちてる」

 「え?」


 余裕の態度が崩れたようだ。表情を見て少し気分が晴れた。


 「どういうことですか?」

 「そのままの意味だ。第八階層でスルトを使った場所ごと奈落に落ちてる。おっさんも回収できなかった。そっちでも消失したみたいな扱いになってるだろ? それは事実だ」


 宙に浮かぶ歯車の大地の下には文字通り何もない。落ちたものを拾うことは不可能だ。


 「その瞬間を、見たんですか?」

 「見た。真っ逆さまだ。諦めて帰れ」


 断言できる。このアネラとかいう少女が探してるものは既に存在していない。


 「……いいえ、諦められません」


 強い意志があるようだった。声には力がこもっている。複雑な事情がありそうだ。そんなところを見せられたら力になってやりたい気もしてきたけど、これに関してどうしようもないんだよなぁ。


 「はぁ、とりあえずオレに聞いたところで無駄だ。一旦帰れ」

 「そう、ですね。一度仕切り直します」

 「それがいい。そんでもって二度と俺に──うるさ」


 突如鳴り出したサイレンの音が鼓膜を激しく揺らす。不快な音だ。しかし、これはこのエリアが危険だと知らせる警報。なくせとは言えない。


 「こんな時に」

 「戦いに行くのか?」

 「いいえ。見ての通り大した装備がないですし、そもそもこのエリアのワルキューレではありませんから大人しくしておきます。あなたの方こそどうなんですか?」

 「残念ながら血を引いてるわけじゃないんでな」

 「そうですか。では避難しましょう。近くのシェルターは?」

 「オレの家の方が近いからそっちに来い」

 「わかりました」


 サイレンは空間に亀裂が入ったことを知らせるものだ。亀裂がから危険が這い出てくるまでは少し時間がある。今のうちに一般人は自宅かシェルターに隠れなければならない。位置的に自宅の方が近いためそちらへと走った。


 「……! 下がって!」

 「うおっ!?」


 後ろを走っていたアネラに引っ張られた。何事かと思ったが、その直後にオレがいた場所に何かが飛来した。


 「……魔物」


 煙が晴れて現れたのは真っ黒な四足歩行の化け物。シルエットは犬そのものだが、顔に目や鼻や耳はなく、あるのは人を喰らう歪な牙の生えた口だけ。

 次元の裂け目から現れ、人々を無差別に襲う存在──魔物だ。


 「速すぎないか?」

 「ええ。警報が遅れたか、あるいは既にいた漏れの個体か」


 魔物は獲物である俺たちを見据えていた。目も耳も鼻もないが俺たちという存在を確実に知覚していることが伝わってくる。不思議で不気味だ。


 「仕方ありません。私がやります」

 「武器ないって言ってなかった?」

 「心許ないだけでないわけじゃありません。見たところD級以下でしょうし、この程度なら問題ないです。下がっていてください」


 と自信ありげに言ってアネラは制服から銃型の武器を取り出した。ただの銃ではない。見た目も弾丸なんて打てるようなものじゃない。魔物と戦うワルキューレだけが使えことを許された『魔器』と呼ばれるものだ。


 「ガゥッ!!」


 アネラを喰らおうと魔物は口を広げなら彼女の方へ跳んだ。狙っているのはおそらく首。急所を理解しているような動きだ。けど、それはアネラも同じ。魔物の行動に特に驚くことなくも下に入り込むように姿勢を低くして躱し、そのまま腹部に銃を向けて間も無く引き金を引いた。銃口から射出されたのは光の弾丸。それは魔物の体を貫き、一撃で地に伏せさせた。


 「やるな」


 下位の魔物でも今の弾丸を1発食らっただけじゃ絶命はしない。では何故1発で動かなくなったのかというと、アネラが撃ち抜いたのが『魔核』だったからだと思われる。魔核は人間でいうところの心臓だ。そこが砕かれれば魔物は死ぬ。


 「この程度、どうということはありません」


 喜ぶことなく当然のことだという態度、相当自信があるらしい。それに魔核だけを狙った無駄のない動き、1発で魔核を撃ち抜く的確さ。上級のワルキューレかもしれないな。面倒なことにならなければいいけど。


 「それにしても……」

 「なんかあったか?」

 「……いえ、なんでもありません」


 アネラは魔物の死骸を眺めて何かを気にしているようだった。

 それがなんなのかは検討がつく。魔物の知性についてだろう。

 D級程度の魔物が、人間の噛み切られたら困るところを真っ先に狙ってきたのは不可解だ。D級にそんな脳はない。ただ人間を食おうとしてくるだけだ。

 あとは結局この魔物がどこから来たのか、とかか。

 まあどっちも結局同じところに辿り着きそうだな。


 「すみません。やはり私はこのエリアのワルキューレと合流します」

 「好きにしろよ。オレには関係ない」

 「はい。また明日会いに──」


 会いに来なくていい。食い気味に返そうとしたところで視界にあるものが入った。

 正直放置してもよかった。でも、それだと目覚めが悪い。


 「ちょっと退け」

 「きゃっ!」


 オレはアネラを突き飛ばした。

 急にそんなことをしてくるとは思わなかっただろう。簡単に突き飛ばせたのがその証拠。


 「ちょっと、何を……え?」


 困惑を交えながら文句を言い出そうとしたところで、アネラは停止した。

 それもそのはず。何故かオレが腕から血を撒き散らしているのだから。

 こんなことにしてくれたのはさっき死んだはずの魔物……の体から伸びた手だった。鋭い爪に腕の肉を裂かれてしまった。結構深くまで抉られている。

 痛いし、服破けたし最悪だ。


 「どうして……?」

 「魔物は死んでない。それだけだ。早く立て」

 「……! はい!」


 切り替えが早くて助かる。アネラはすぐに立ち上がって銃を構えた。


 「あ、ぁ、ぁアぁァァ」


 一方で、犬型の魔物の背から出てきていた手は攻撃を止め、手を地面についていた。やがて穴から這い出るようにして、犬型の魔物の体から姿を表した。


 「人型……」


 出てきたのは明らかに犬型の体に収まらない人型の魔物。不気味に笑みを浮かべてこちらにその顔を向けている。

 完全な二足歩行の人型となるとB級はあるかもな。面倒な。


 「イヒッ!」


 気味の悪い笑い声を上げて、魔物はその場から近くの民家の屋根へと跳んだ。アネラは着地した瞬間を狙って銃を撃つが器用に体を捻って躱される。続けて3発撃つがそれらから逃げるようにして魔物は屋根から姿を消した。どうやら逃げたようだ。


 「すみません。私はあれを追います」

 「ああ」

 「腕に関しては後ですぐにこのエリアの……」

 「気にすんな。血はなんかすごい出てるけど、見た目ほど大きな傷じゃない。むしろ医療機関に連れてかれる方が死ぬほど迷惑だからやめてくれ」

 「……わかりました。ですが明日様子を見に来ます。いいですね?」

 「お好きにどうぞ」

 「では」


 焦った様子で魔物の逃げた方向に向かった。流石はワルキューレ、同じルートで追うらしい。普通の民家程度の高さなら当然のように跳躍できるようだ。

 でも身体能力があろうと無駄だ。あの魔物は隠密能力に長けてそうだからどうせ逃げられる。


 「面倒になりそうだなぁ」


 魔物につけられた傷がもうなくなった腕を眺めながら俺はため息をついた。

 オレはただ平穏に暮らしたいだけなんだ。勘弁してほしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る