第10話 リトライ
翌日、目を覚ますとミルはもう起きてなにやら仕事をし始めていた。
(ミルは随分働き者なんだな……)
伸びをしてあくびをしながらそう思った。
しばらくすると、朝食の準備が終わったようだ。ミルはまたテーブルに食事を置く。
俺はテーブルに乗って食べる。テーブルに乗って食べるのはいいのだが、すこし落ち着かない。
(こんなにのんびりした朝は初めてかもしれない……)
城では早くに起きて、食事もせずにまず仕事をしていた。そうでもしないと終わらなかったからだ。
そして、仕事をしながら食事をしていた。
それが、目が覚めてから何もせずのんびりするなんて滅多になかった。
(猫の生活も案外悪くないかもしれない……)
心の中で自嘲した。
あまり味のない食事も猫だからか、あまり気にならない。温かいミルクも美味しい。
そんな事をしていたら食事は終わった。ミルは「私は仕事してくるね」と言ってまた、せわしなく動き出した。
(今日はどうしようか……)
取り敢えず今やらなければならないのは、ミルに自分が人間だと伝えることだ。
(昨日、ミルが俺を使役できて嬉しかったと言っていたが。事実を知ったらどうなるんだろう……)
予想とは違う状況だ。驚くだろうしがっかりするかもしれない。
少し申し訳ない気持ちになる。
(でも、そんな事言ってられない。そもそも、伝えることが出来るかもわからないからな)
当面の目標はミルに俺が人間だとなんとか分かって貰うことだ。
まだミルと一緒にいる時間は短いがミルが、悪い事を考える人間ではない事は分かった。
ミルは食事が終わると、俺をちょっと撫でて、また仕事を始めた。昨日出かけていたが今日は家で作業をするようだ。
(取り敢えず家中を散策して……他になにか使えるものがないか探すことにしよう)
インクは昨日失敗してしまったから、他の方法も探ぐっておいた方がいいだろう。
早速、家の中を探索する。
この家は随分古い建物だったが掃除もされ、大切に使っているのが分かる。
ただ、綺麗にされているので使えるものもあまり見つからなかった。
(暖炉にあった燃え残った炭が唯一使えそうだったが、猫の前足では限界がある。やはりインクを使うほかなさそうだ……)
結局のところインクを使った方がいいと結論が出た。
俺は、インクが置いてあった部屋に入る。
今回は、なんとしてでもミルに伝えるぞと決意しながら。
**********
ミルが魔法薬作りがひと段落して、少し休憩しようとした時、奥の部屋で何かごそごそしている音が聞こえた。
「ん?なんだろう?」
見に行くと猫のローグが高い棚に、一生懸命登ろうとしているのが目に入った。
棚には昨日、ローグが落したインクが置いてある棚だ。
しかし、猫には登りにくい棚なので登れなかったようで半分ぶら下がった状態になっている。下には登るときに落してしまったのか棚に置いてあったものが落ちていた。
「ローグ、どうしたの?危ないよ」
ミルがそう話しかけると、入ってきたことに気が付かなかったのか、ローグはびっくりして落ちてしまった。しかも相当驚いたのか、猫なのに背中から落ちた。
「わぁ!大丈夫?」
ミルは慌てて駆け寄って抱き上げる。
ローグは少し気まずそうな表情をしたが、何か決意したような表情をするとニャーと鳴いた。
「どうしたの?何か気になる事でもあるの?」
「ニャー!」
ローグは返事をするようにそう鳴いて腕の中でもがいて、また棚に登ろうとする。
「もしかして、この瓶が気になるの?」
「ミャ!」
昨日落した瓶を指さしてそう言ったら、まるで分かっているみたいにローグが鳴いた。
「意味が分かってる?……まさかね」
それでも、瓶を手に取るとそれだと言わんばかりにローグはバタバタもがいた。
「もしかして、これで遊びたいのかな?でもまた中味がこぼれたら汚れちゃうしな……」
ダメだって言っても分からないだろうし、命令して止めさせることは出来るが、それはしたくない。
「あ、そうだ」
ミルは何かを思いついたのかローグを床に置くと、物置にしている部屋でなにか探し始めた。
「あった!使わなくなった似てる瓶を取っておいたの。これならいくらでも遊んでいいよ」
捨てるのももったいないが使い道も無かった小さな瓶が残っていたので、ミルは持ってきたのだ。
床でちょこんと座っていたローグの前に置いてみる。しかし、ローグはそれをチラリと見ただけで、インクが入った方の瓶が気になるのか、またそれがある方に登ろうとした。
「え?これじゃダメなの?」
「ミャ!」
慌てて登ろうとするローグを掴んで止めたが、それでもじたばたして登ろうとする。
「うーん、そんなにこれがいいの?……でもな」
中味が入っているので万が一こぼれてしまったら危ない。昨日のように汚れるくらいならいいが、舐めてしまったら絶対に体に悪い。
「あ、そう言えば昨日……」
ミルはまた何か思い付いたのか、何かを取りに行った。
「これ!昨日、村で買ってきたの。こっちの方が面白いよ」
そう言ってミルが持ってきたのは子供が遊ぶような小さなボールだった。
ミルはそれをコロコロとローグの前に転がした。それは藁で編まれたもののようで、変則的にコロコロと転がる。
しかし、ローグはそれを前足で思いっきり横殴りして叩いた。ボールはどこかに飛んでいく。
「ミャー!!!」
ローグは怒ったように尻尾を膨らませた。
「わ!ご、ごめん、ごめん。やっぱりこれがいいの?」
流石にそこまでされると怒っているのは分かった。ミルは置いてあったインクの瓶を手に取りそう言った。
「ミャ!!」
ローグはそうだと言わんばかりに鳴いた。
「やっぱり言葉が分かってるんじゃ……」
ミルは困惑気味に言った。
「まあ、いっか。私が見ていれば危険なこともないよね。危なくなったら止めよう」
あまりにもローグがインクの瓶にご執心なので、ミルは諦めた。
「ローグ、こぼしても舐めたりしちゃダメだよ」
ミルはそう言ってローグの前にインクの瓶を置いた。これくらいの命令ならいいだろう。それに、頭のいい子みたいだから変な事はしないだろう。
「ミャオ」
瓶を置いたらすぐにローグはそう鳴くと、瓶を咥えてぴょんと飛んで机の上に乗った。
そしてガリガリと瓶のコルクを取ろうとし始める。
早速危なそうな事をし始めてしまったのでミルは心配になったが、何がしたいのか好奇心もあったので、そのまま見ていることにした。
「危ないことそうだったら、すぐ止めよう」
ローグは苦心しながらもなんとか爪で蓋を開けようとしている。
何度かひっくりかえりそうになったり机から落ちそうになっていたが、なんとか蓋を開けることに成功した。
もしかして、昨日机から落ちていたのはこれをしようとしていたのか。
ローグは蓋が開いたことに満足そうな顔をした後、キョロキョロ見回すと机に置いてあった書き損じの紙を咥えて引っ張り出した。
そして今度は机に転がっているペンを掴もうとする。
「インクと紙とペン?インクをなにに使うのか分かってる……?」
冗談で言葉が分かるかもと思っていたが、冗談には思えなくなってきた。
ローグはペンを両腕で抱えようとする。しかし、なんとか持ち上げてもヨロヨロして倒れてしまう。
何度か挑戦していたがどうしても倒れてしまった。何度か失敗して諦めたのか、ペンを持つのは諦めたようだ。
少し考えた後、今度は瓶に直接前足を入れ始めた。また汚れてしまうけど大丈夫だろうか。
ミルはそう思ったもののローグの表情は真剣そのものなので、見守る事にした。
ローグは汚れた黒い前足を瓶からそっと取り出すと、器用に爪一本出して紙に何か書き始めた。
「え?文字を書いてる……?えっと『タスケテクレ』『ワタシハニンゲンダ』?……え?……ええ?!」
**********
(やった!やっと伝わった!)
机をインクでよごしまくってしまったが、なんとか紙に伝えられた。
インクが使えればどうにかなるかと思ったが、ペンを全く使えなかったのは誤算だった。でも爪を使ってなんとかなった。
紙には酷く読むのがやっとの文字が並んでいる。それでもミルには意味は伝わった。
「こ、これは。明らかにこの国で使われてる文字……どうして猫が?」
ミルは明らかに驚いている。当然だ、拾ってきたただの黒猫が文字を書き出したのだ。
普通なら偶然だったと取り合わないか気持ち悪いと捨ててしまうかもしれない。
でも、ミルは魔法使いとしては落ちこぼれかもしれないが、頭は悪くないはず。
(部屋を見回ったとき見た。本棚にある本はどれも難しいもので他国の文字で書かれた本もあった。薬草も何百種類もあって全て把握しているようだった)
そもそも、若い女性が一人で薬草師として生きていくなんてそう簡単ではないはずだ。
「それに。に、人間って……助けてくれって……ほ、本当なの?」
ミルは混乱しながらもそう聞いた。
俺は力いっぱいニャーと鳴く。そして、ダメ押しにまた前足にインクをつけて『ソウダ』と書いた。
これで、言葉も分かるし言葉を書くことも出来ると伝わるだろう。
「えっと……じゃ、じゃあ、助けてくれって事は無理矢理猫にされたってこと?何があったの?」
ミルはまだ半信半疑のようだがおずおずと聞いた。やはりミルは頭がいいようだ。
少ない言葉だけでも状況を理解している。
俺は『ソウダ』と書いた場所をテシテシ叩いたあと、『ダレカニ トツゼン』と書き加えた。
「誰かってことは、誰かは分からないのかな?猫にされたって事は魔法でって事だよね
?」
ミルは必死に考えながらそう聞く。するとローグはまた『ソウダ』と書かれた場所を前足で叩いた。
「魔法で猫……」
ミルはそう言って難しい顔をした。
俺は不思議に思う。
俺は魔法には詳しくない。どうやってこんな魔法薬を作るのかなんて知らないし分からない。聞いたこともない。しかし、魔法使いのミルならなにか知っているかもしれないし。作り方やなんなら治しかたも分かるかもしれないと思っていた。
しかし、ミルの表情はあまりおもわしくないようだ。
「あ、ごめん。これは魔法を勉強していないと知らないのかもしれないけど、人間を魔法で猫にするのは禁忌なんだよ」
ミルは俺の表情に気が付いたのか、そう言った。
(禁忌?確かに聞いた事がないと思ったがまさかそんな魔法だったとは……)
「魔法は色々なことが出来るわ。でも、それを正しく使えるとは限らない。長い歴史の中で研究され生み出されたけど、危険だからと禁止されている魔法が沢山あるの」
ミルは困った表情でそう言った。確かにその通りだ。人間をこんな風に猫にしてしまうのは、便利に使うことはできるだろうが、悪用することも出来る。
事実、俺は大変な目に遭っている。
「しかもね、この魔法はかけた本人しか、解けない魔法なのよ……」
ミルは言いにくそうに続けた。
(そ、そんな……)
誰が魔法をかけたのかもわからないのに、元にもどるなんて夢のまた夢だ。ミルはさらに続ける。
「しかも、この魔法は大昔に禁忌になったから、この魔法事体もあまり知られてなくて……資料もあまり残ってないの。もしかしたら他の人間でも解除できる魔法があるかもしれないけど……」
ミルは気まずそうに言った。
俺はただ呆然とする事しか出来ない。
「あ……でも、もしかしたら……」
ミルが何か思いついたような表情をしたあと、考え込みはじめた。
「……確か人間を動物にする魔法はあの原理を使ってるはず。確か少しだけ資料が……」
ミルはそう言うと、どこかの部屋に入って何かを探し始めた。しばらくすると大量の本や何かを書いた紙を持って戻って来た。
「たしか、ここに……あ、あった。詳しいやり方は書いてないけど……そう、この原理とこの素材を使ってるって事は……あの魔法の解除方法を応用したら……」
ミルは持ってきた本で調べたり、紙に書き込んだりし始めた。
そうとう没頭しているようで、ずっと独り言を言っている。
俺は専門外すぎて、何をしているのかもよく分からない。
「えっと……そうだとすると、あの魔法薬とあの薬草……それから……確かまだ残ってたあの素材と……」
しばらく何かを書いていたかと思うと今度は薬草やなにかよく分からない液体を持って来て、その重みを計ったり計算したりし始めた。
「これがこの重さだとすると、比重は……でもこれだと足りないから……こっちでバランスを取って……」
なにやら難しい事をしているようで、ミルは難しい顔をして紙に色々な事を書き込む。
数枚の紙がびっしりと文字で埋め尽くされたころ。
「よし……計算はこれで合ってるはず……あとは実際に作って……」
そう言ってミルは持ってきた色々な素材を使って何かを作り始める。
俺はミルのその勢いに圧倒されて、ただただ見ているしか出来なかった。
「出来た!」
しばらくするとミルは嬉しそうに言った。手には何か液体が入った瓶を持っている。
「これで人間に戻れるはず……はずっていうのは実験してないし私の計算に間違いがあるかもしれないから……」
ミルは自信がなさそうに言う。
「あ、でも。もし、失敗でも人間に戻れないだけで、これ以上変な事にはならないから」
俺はそれを聞いて嬉しくなる。さっきまで人間に戻れないかもと絶望していたからなおさらだ。
想像以上に、ミルは優秀な魔法使いだったようだ。
ミルは早速、作った魔法薬を俺に振りかけた。
「これで失敗しても、まだ材料はあるし、記録も取ってるから大丈夫…………」
ミルは言い聞かせるようにそう言う。
薬の効果は直ぐに出た。煙が俺を取り囲み、どんどん大きく大きくなってそれが人一人分の大きさになった。
「やった!成功した……よかっ……た……あれ?」
ミルは喜んだのもつかの間、人間になった俺の姿を見ると目を丸くさせて言った。
「え?え?うそ!……ロ、ローグ殿下!!!」
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