第3話 必死の逃亡

袋に詰められた俺は必死にもがいた。


(おい!何だ!なにが起こったんだ!)


しかし、うまく手に力が入らなくて、麻袋を揺らすことぐらいしかできない。

しかも、よく見ると毛だらけになった自分の手には肉球と爪が生えていた。爪と言っても小さなもので袋を裂けるほどではなく、むしろ袋に引っかかって身動きが取れなくなってしまった。

体も毛むくじゃらで体全体が変えられたのか、声もなんだか変だ。グギャーとかミギャーみたいな声しかでない。


「ミ“ー!」


止めろと叫んだつもりだったが出たのはそんな声だった。

袋が大きく持ち上げられてどこかにどさりと置かれた。車輪が軋む音と馬の嗎が聞こえる。馬車に乗せられているようだ。

さっきから移動しているなとは思ったが、どこか別の場所に連れていかれている。

それに突然現れた妖魔はいったいどうなったのか。


「上手くいったか?」


馬車が止まると、俺を攫った兵士とは違う声が聞こえた。


(なんだ?仲間か?)


「ああ、成功だ。乗っていた馬も持って来た」

「作戦通りに進められたようだな……」

「それにしても、本当にこんな事をして大丈夫なのか?」


俺を攫った兵士が、少し心配そうに言った。


「ああ、心配ない。後はお前が黙っていればいいだけだ」

「っ!!!ぐ!」


突然ぐもったような声がして、俺は硬直する。音しか聞こえないが、明らかな断末魔が聞こえた。

俺を連れ去った奴は殺されてしまったようだ。


「これで、もう喋れないな」


殺した男は何の感情もない声で言った。


(口封じか?仲間じゃないのか?)


そして男は俺が入っている麻袋を掴み持ち上げ、中に入った俺を掴んで取り出した。


「……これはまた、可愛らしくなって……」


男は怪しげなマントを着ていて、顔も仮面を付けている。顔が分からないので何者なのかも分からない。

しかし、のんびりしてはいられない。何が起こっているのか分からないが、このまま捕まったままではダメだということは分かる。


「まあ、いい……後は……っ!こいつ!」


俺はなんとか逃げないと思い暴れ、男の手に噛みついた。男は苛立ったように俺を地面に叩きつけた。衝撃で息が止まる。起き上がろうとしたら足に鋭い痛みが走った。


「ギャ!!!」


足を見るとナイフが突き刺さっている。

一瞬体が硬直したが逃げるのが先決だ。俺はなんとか起き上がりやつの手を引っ掻く。

そうして、奴が少しひるんだ隙を見て逆方向に走った。


(よし、なんとか逃げられた)

「くそっ!」


男は苛立ったように言う。


「ハッ……ハッ……」


しばらく走っていたら息が苦しくなって頭がクラクラしてきた。刺された時はそこまで痛くなかったのに、段々と足の痛みが燃えるような痛みに変わっている。


(体が……うごかなくなってきた……)


しかし、止まるのは恐ろしくて、なんとかはしれている。ほとんど気合いだけで動いているような状況だ。

ゼェゼェと息を吐きながら、なんとか周りを見渡す。

どこかは分からないが、森の奥深くに着いてしまったようだ。

刺された場所から闇雲に走ってきたから、どこまで深さなのかもわからない。

それでも男はなんとかまいたようだ。


(俺は、どうやら何か小さな動物になったようだな)


グルリと周りを見渡すと、相変わらず周りの木や石が軒並み巨大化したままだ。

やはり、俺が小さくなったのだ。

森は薄暗く鬱蒼としている。いつもなら、何とも思わない木々が恐ろしく感じる。


「う……」


足を止めると、足の痛みがさらに増してきた。

歩くスピードが遅くなってくる。そういえば必死に逃げていたから気が付かなかったが自然に四つ足で歩いていた。

下を見ると相変わらず手は毛むくじゃらだ。いや今は前足か。

その時、小さな水溜りを見つけた。

恐る恐る覗き込んだ。


(……!どう見ても猫だな……)


濁った水には、真っ黒な毛並みで金色の目をした猫がこちらを覗き込んでいた。手の形状からそうじゃないかと思っていたが、はっきりと姿を見ると驚く。

信じられなくてしばらくじっと見る。


(本当になんてこんな事に……)


どうにか逃げられたものの、これからどうすればいいのかまったく分からない。

妖魔を退治してすぐに城に帰るはずだったのに、一人森で放り出されるはめになってしまった。

じわじわと事の重大さが重くのしかかる。

兄に知らせるべきなのだろうが、その手段さえ思い付かない。


「ぐぅニャー……」


言葉を喋ろうとしたら変な鳴き声が口から出た。知らせようにも、言葉も喋れない。

絶望感で目の前が暗くなる。足の痛みがまたひどくなる。


(刺された足が痛くて、まともに考えられない……)


その時、ガサガサと草が揺れた。驚いてそちらを見ると鹿がこちらを見ていた。不思議そうにこちらをしばらく見た後、感心がなくなったのか草を食べだした。

それで思い至った。


(そうだ森には他の動物もいるんだ。危険な動物にもし見つかってしまったら……)


想像してみるとあっという間に怖くなってきた。俺を猫に変えて捕まえた奴だけじゃなくそういった野生の動物にも気を付けなければならないということだ。

あまりじっとしていられないなと思って、歩き出そうとした時、鹿が何かに気が付いたように顔を上げた。

そして警戒したように周りを見回すと、あっという間にどこかに走っていった。


(何かいるのか?)


本能的に何かいるんだと悟ったのだろう。俺も逃げた方がいいかもしれないと動き出したその時、黒い影が飛び出してきた。


「ギャン!!」


早すぎて何をされたのか分からなかったが、鋭い痛みが体を襲った。

その黒い影は身体が大きく、俺は体ごと吹っ飛んで地面を転がる。

しかし、幸いな事に体が軽いおかげで致命的なダメージはなかった。


(くそ!逃げるしかない!しかし、こんな状況で逃げられるか?)



俺はなんとか体勢を立て直し、また闇雲に走りだす。

足が痛い。それでも恐怖でなんとか体を動かして逃げる。

背後から獣が追ってくる音が聞こえてきた。こちらの方が小さくてスピードがあるが徐々に距離を詰められている。

何度か鋭い爪で引っ掻かれた。


(っ……どうやら俺で遊んでいるみたいだ)


最初は分からなかったが追いかけてきているのは大きな狼だ。小さな猫になっている俺なんかすぐに捕まえられるはずなのに、明らかに本気で走ってない。


(遊ぶのに飽きたら終わりだ……!)


そう思った時、とうとう爪が体に食い込んだ。また地面に転がる。

慌てて起き上がろうとしたが、もう力が入らない。

やばいと思った時には遅かった。狼は一瞬で俺を押さえつけると首に噛み付いた。

ブチブチ!!と嫌な音がした。

息が止まる。痛みも感じる暇がない。冷たい牙の感覚がして体に食い込んでくるのだけわかった。

体が動かない。


「きゃあ!!」


意識が朦朧としてきたその時。突然女性の叫び声がした。

狼はその声に驚いたのか噛み付くのをやめて離れ。警戒するように後ずさりすると、そのまま逃げていった。

狼はいなくなったが体はもう動かない。視界がぼやけて叫んだ誰かの姿もあまり見えない。

女性が何か慌てたように駆け寄ってきた。

その女性は柔らかそうな白銀の髪の若い女性だった。

降り注ぐ太陽の光で髪が光っていてとても綺麗だ。

死者の国からの迎えでも来たんだろうか。しかし、どんどん視界が歪んでなにも見えなくなっていく。

そして、とうとうなにも感じなくなった。

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