第32話 駆け出し冒険者は師匠とお祭りの約束をする
「蝶子先生!」
白地に青い蝶が舞う柄の浴衣を着た女性が、手を振りながら近づいてきた。
トリステンの剣の師匠にして元勇者パーティの剣士、蝶子だった。
その姿はお祭り用なのか、いつもよりも華やかで艶やかで美しかった。
「蝶子じゃないですか。元気にしていましたか?」
「バードナこそ、今日は顔色がよさそうで何よりね」
蝶子の言葉を聞いてトリステンは首をかしげる。
違いが判らない。
いつものように病的に青白く、ふと気を抜くとゾンビと叫びたくなるような顔をまじまじと見る。
「そうでしょう。初めて会った時はゾンビかと思ったのに、今はこんなに顔色がよくなったのですよ」
オルコットが嬉しそうに話しかけ、それをにこやかな笑顔で見つめているバードナの顔をもう一度見る。
違いが分からないのは俺だけか? 全く変わりがないように見えるのだが。トリステンはもう一度首をかしげる。
「それにしても、女性恐怖症は克服できたみたいね」
「オルコット君のお陰で、少しはマシになったと思いますよ。さすが僕の弟子ですね」
バードナは、くぼんだ瞳を大きく見開いてドヤ顔をしていた。
この人もこんな顔をするのだ。いつも落ち着いて穏やかな感じなのに。トリステンが不思議がっていると、蝶子に後ろから抱きつかれる。
「何言っているのよ。うちのトリステン君の方だって、すごいのよ。素直でどんどん吸収しちゃうのだから」
「へぇー、蝶子のあの特殊な戦い方を? うちのオルコット君は基礎から順番に教えていますからね。まだ、経験値や魔力量に不安はありますが、どこに出しても恥ずかしくない魔法使いですよ」
「あなたのことだから、自分の魔法だけを教えていたのでしょうね。トリステン君なんて、私を倒すために独自でカウンターを身につけたのですからね。あなたも師匠なら、弟子の天井を決めずに自分を越えさせるくらいの気概で教えなさいよ」
「何を!」
「何よ!」
トリステンとオルコットは驚いた。お互いの師匠一緒にいるのを初めて見た。厳しくも優しいふたりの師匠が感情をむき出しにして、言い合っている。
その内容はお互いの弟子について。それも、相手の弟子を貶すのではない。自分の弟子がいかに相手の弟子よりも素晴らしいかを言い合っている。
当事者なのだが、兄妹にこの言い合いを止める手立てがなかった。というか、それどころではなかった。
ヒートアップする二人。
「こら! そこの親バカたち! いい加減にしなさい。周りがドン引きよ」
そこにはびしょ濡れ女神が帰ってきた。
「誰が親バカですか!」
「誰が親バカよ!」
「あなたたち、自分たちの愛弟子を見てごらんなさいよ。褒め殺しにあって顔真っ赤よ」
蝶子とバードナは耳まで真っ赤な兄妹を見て、エルシーの言葉の正しさを痛感した。
「だけどな……」
「でも……」
「ほら、ふたりとも、水でも被って頭を冷やしなさい」
エルシーは手に持っている水鉄砲を構える。
「やめなさい。僕はこれからミサなのですよ」
「やめてよ。これから人に行くのだから」
「じゃあ、余計に頭を冷やしなさいよ」
エルシーが二人に問答無用で水をかけると、バードナはシールドで水をはじく。
蝶子は持ち前の俊敏さで避ける。
「冷たっ!」
蝶子の後ろに居た男性が声を上げた。
茶髪のさわやかな顔の男性。年のころは蝶子より少し若く見える。体つきからして冒険者だろう。
「あ! ハッピーサマー!」
エルシーは慌てて水をかけたときの合い言葉を言う。お祭りだから許してね、という意味も兼ねている。
「蝶子さん、ひどいな。急に避けるなんて」
「しょうがないわよ。エルシーが急にかけてくるのだもの」
蝶子はその茶髪の濡れた男に親しげに話かける。
「お蝶ちゃん、その人は?」
「ああ、今、私が入っている『神々の雷』のリーダーよ」
「じゃあ、先生が言っていたプラチナランクの?」
トリステンが確認する。いつかは蝶子をパーティに迎え入れたいトリステンは、将来的に引き抜く先の相手を知っておく必要があった。蝶子がこのパーティに加わったときは自分たちとランクが四つ違っていた。しかし、平和の鐘は一つランクが上がった。ランクの差は三つ。先はまだ、長いが確実に背中を追いかけている自負がトリステンにはあった。
「蝶子さんが入ってすぐA級に昇格したんだよ。少年」
トリステンは絶句した。
ランクが上になればなるほどランクは、上がりづらくなる。
A級に近いB級とは聞いていた。そうは言っても最低でも一、ニ年は掛かると、高をくくっていた。
それに対して、F級からE級までは思っていたよりも、早く上がれた。うまくいけば、蝶子達がA級に上がる前に、C級に上がれるのではないかと楽観視していたのだ。
それなのに……。
「おめでとう! A級なんてすごいじゃない。蝶子ちゃんも良かったわね」
戸惑うトリステンを尻目に、エルシーは祝福の言葉を口にする。
心底、嬉しそうに蝶子と神々の雷のリーダーに笑顔を向ける。
「ありがとうございます。そういえば、名前を言っていませんでしたね。ぼくはアランと申します」
歯をキラリと光らせて、さわやかな笑顔を見せる。
そしてアランは誰よりも先にトリステンに握手を求めた。
トリステンは慌てて手を握ると、すぐに長年武器を握っていた手とすぐわかった。
そして、ぎょっと強く握ってきた手は、蝶子を絶対に渡さないと意思表示をしていることにもすぐに気が付いた。
トリステンもそれに対抗するようにギュッと握り返す。
そんな男同士の熱い戦いに気がつかないオルコットが蝶子に話しかける。
「蝶子さん、お祭り一緒に行きませんか?」
「ごめんね。これからゾーゲン親方のところに行くのよ。そうね、明日なら大丈夫よ」
それで、今日はいつもより、おめかしをしているのだとオルコットは納得した。
オルコットの見たことがない異国の服、浴衣にアップした黒い髪は蝶子によく似合っていた。女であるオルコットでさえ、一目見たときドキッとした。
「蝶子さん、ぼくと行きましょう」
「先生、じゃあ明日一緒に回りましょう」
「最近はトリステン君とも会っていなかったから、いいわよ。リーダーはいつも会っているでしょう」
「やった!」
あたしも、あんな服を着たらお兄ちゃんは喜んでくれるだろうか? なんかずるい。
無邪気に喜ぶ兄を見て、少し複雑な気持ちになるオルコットだった。
背の高い建物の屋上に、ひと組の男女がいた。
女性はスタイルが良く、妖艶な大人の色気を醸し出していた。
ワインレッドの魔法服に身を包み、祭りに浮かれる街を見下ろしていた。
その隣で真っ黒なローブに身を包んだ背の低い男が座っていた。
「みんな、楽しそうね」
「……」
「明日の方が楽しみだって? そうね。この日のために準備してきたのだから」
「……」
「そうね。エルシーに感謝しないとね」
二人はお祭りに参加するでもなく、ただ街を眺めていた。
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