第3話

 

 この国では基本的に玄関で靴を脱ぐのだということを4人に伝え、靴を脱ぐよう強めに迫ってみたら、存外大人しく従った。

 シリルに至っては、申し訳なさそうな素振りまで見せ、この子何か変なものでも食べたのかなと一瞬心配になるくらいだった。


 この不義理な義弟も小さい頃は可愛かったのだ。

 姉さま姉さまと私の後ろについて回って、まるで親ガモを追う子ガモの様だった。

『姉さま一緒に寝よ?』と言ってよくもぞもぞと私のベッドに潜り込みに来ていたし、『姉さま、そのケーキ僕にも! あーん』と私が食べているものは必ずと言っていいほど欲しがっていたのは、今は昔。

 そんなことは最初の内だけで、数年経ったらすぐに私を無視する様になったのだけども。



 ……食べ物のことを考えたら、お腹が減った。

 パーティーではただでさえコルセットのせいでご飯がうまく食べられないのに、婚約破棄の断罪ショーが始まって余計に何も食べられなかった。

 というか考えてみれば、この体は私が転生する直前の体なのだから、少なくとも3日はまともな飲食をしていない。

 これはいかん。

 道理で体が重い訳だ。


「とりあえず今日はもう遅いので、まず夕飯をとりましょう。その後皆さんに使ってもらう部屋に案内します。とりあえず……夕飯を注文するので待っててください」

「注文?」


 みんなの頭の上にハテナが浮いている。

 宅配とか出前とかっていうシステムは、あっちにはないもんね。

 転生するまでずっと引きこもっていたから、我が家に食材は何もない。

 彼らに不審に思われるかもしれないけど、やむなし。


「せっかく戻ってきたしすごくお寿司が食べたいけど……ナマモノは抵抗があるだろうし、Aber頼むのも……探すのがちょっと面倒だな。箸も上手く使えないだろうし……。んー、良いやピザで」


 スマホですすいとピザを選ぶ。

 この17年振りの感じ、すごくいいな。

 やっぱりスマホは便利。

 シリルが興味深げにスマホを見ている。

 魔導士としては魔道具のようなこれが気になるのだろう。


「何か嫌いなものとかあります? 私皆さんのこと全然知らないので。あ、シリルはナスが苦手だよね。今も?」

「う、うん……」

「はっ! 白々しい。これまで散々俺の好みを聞いて回ってたじゃないか」


 トラヴィスが嘲りを含んだ声で言い放つ。


 だってしょうがないじゃん。

『婚約者なんだから贈り物はきちんとしなさい』と、あのクローディアのことなど何も気に留めていない父がわざわざ言ってくるんだもの。

 何が好きかなんて何も知らないのに、贈らざるを得ないじゃん。


「いやーだって形ばかりの婚約者とは言え、誕生日の贈り物は無視出来ないですし。好みじゃないものを贈られたら義理でも不快じゃないですか」


 シリルがハッとしたように私を見た。

 良いのだ弟よ。何も言うでない。



 シリルの隣でトラヴィスが何故か狐につままれたような顔をしている。

 なんだあの間抜けな顔は。

 間抜けな顔なのに美しいとか逆に腹が立つわ。


「義理……? しかし、お前は俺を好いているだろう。だからミシェルに嫌がらせをしたのではないか」

「あははは本当に殿下って想像力が豊かですね? なんで17年間も婚約者を放置するような男を好きになるんです? 交流なんて、アカデミーに入る前は誕生日の贈り物ぐらいですよね? 殿下は何回かすっぽかしましたけど。好きになる要素ゼロですよゼロ。イケメンなら義弟で間に合ってるんで、殿下のことは全然好きじゃないです」


 スマホをいじりながら視線だけ上げて私は答えた。

 やっぱりそう思ってたんだなー。

 女はみんな自分に夢中になるとでも思ってんのか? この浮かれポンチ。

 元の世界に帰ってきて少し気が大きくなっているかも知れない。

 こんなに長く会話をするのが初めてということもあるけれど、今まで言いたくても言えなかったことがすらすら出てきちゃうな。



「ほ、本当に殿下を愛していないと……? そうおっしゃっているんですか……?」


 信じられないという表情でウォルトが見てくる。

 あなた頭脳派じゃないの? なんだその間抜けな顔は。

 間抜けな顔なのに美しい(以下略)。


「ええ、全く。だからリリーさんを虐める理由なんてないって言ったのに。全然話聞かないから」

「そんな……」

「大体、王妃ってめっちゃ大変じゃないですか。お妃教育サボると怒られるから一応ちゃんとやってましたけど、正直モチベゼロ通り越してマイナスですよ。だったら私は田舎の領地に引っ込んで羊とか飼いたいです。やってみたかったんですよね。羊の毛刈り」

「モチ……? いやなに言ってるか分からんが……羊……」


 トラヴィスとウォルト、ニコラスが間抜けな顔を並べている。

 間抜けな顔(以下略)。


 すると、ふと横で肩を震わせているシリルが目に入った。



「どうしたのシリル。急な心臓発作?」

「あははは。羊って! やっぱり姉さんは面白いな」


 シリルは目に涙を溜めて爆笑している。

 今度は私が間抜けな顔をする番だった。

 私は間抜けな顔をしても、ただの阿呆面になるだけなのに。


「シリル……あなたそんな風に笑えるんだ?」


 シリルは普段割と無表情がちで、あまり自分の感情を前面に出さない。

 だから、こんな風に笑うのは子どもの時以来初めてだ。


 私の言葉に、シリルはヒイヒイ言いながら涙を拭った。


「はぁはぁ……面白すぎたので、つい」

「そ、そう……」


 義弟に面白がってもらって良かった。

 うん。



 そうこう話しているうちにピザが来た。

 みんなチャイムの音にビビってしまい、またニコラスが剣を抜こうとしたからめっちゃ威圧しておいた。

 今回は一応耐えたようだ。

 17年も経ってしまったから、お金の計算とか出来るか一瞬不安に思ったけれど、意外と大丈夫だった。

 フロース王国での計算も日本円に置き換えて考えたりしていたから、ちゃんと覚えていたようだ。

 あと、日本語でのやりとりも問題なかった。

 先程からシリルたちと話している言語と違いはないはずだし、彼らも日本語で普通に話せるかもしれない。

 異世界転移に良くある『聞いたことのない言葉なのに何故か日本語に変換されて聞こえる』系ではなさそうだ。


「さ、とりあえずご飯食べましょ。これはピザという食べ物でして、平たくしたパンの上にトマトやチーズを乗せて焼いた物です。美味しいですよ」

「美味そうな匂いだ……。見たことはないが……」


 ニコラスが鼻をヒクヒクさせ、ピザに釘付けになっている。

 やっぱり体育会系はよく食べるようだ。

 アカデミーの食堂でも信じられない量を食べていた。

 ……L3枚で足りるかな……。


「先程これを運んできたのはこの家の料理人ですか? にしては金銭の話をしていた様ですが……」


 ウォルトが顎に手を当てて首を傾げる。

 うん、やはり言葉が理解出来たようだ。

 第一関門クリア。


「あの人はお店で作った料理を運んできただけですよ」

「注文はどうやったの? まさかその板で?」

「そうだよ。あー電波とかネットとかはまた今度話すから。冷めないうちに食べよう」


 食器棚から食器を取り出し、みんなに取り分ける。

 フォークとナイフはどこだと騒いでいたけれど、「これは手に持って食べるものだ!」と豪語し私は一口齧り付いてみせた。

 みんな驚いていたけれど、向こうの世界の食べ物でも平民が屋台で買うものは手で持って食べるものも多い。

 一応納得したのか何とか見様見真似で食べ始める。


「な、何だこれは……!?」

「美味い!! 美味いぞ!!」

「この短時間でこのような味が出せるとは……よほど腕のいい料理人なのでしょう」

「まだ温かいですね。店がすぐ近くなのかな?」


 皆思い思いに話しながら、あっという間にL3枚のピザが消えた。

 10代男子の食欲恐ろしい。

 でもこんなに一瞬で消え去ったのに、みんな食べ方が上品。

 あの勢いで食べて何故口元に一切ソースが付いていないのか。

 何か腹立つわ。



 食後に紅茶(ティーバック100個入お徳用)を4人に振る舞い、一様に渋い顔をされながらもひと心地つく。

 うん。

 少し落ち着いた。

 よし。やるべきことをやってしまおう。



「では、これから皆さんが使う部屋に案内しますね。私について来てください」



 このアパートをお父さんが購入してすぐ、私たちは元居た家からここに引っ越してきた。

 3階建てで、2階と3階は1フロアに3戸、計6戸入るようになっている。

 一階はお父さんとお母さんが暮らしていた大家部屋で、私は2階の左角部屋を自室代わりに使っていた。

 このアパートは私の部屋含め、全て単身向けの1DKになっていて、眺望良し、家具家電付き、バストイレ別が売りだった。

 私は一度大家部屋に行って鍵を取ると、4人を連れて3階に上がった。


「このアパートで一番いい部屋は、3階のこの右側の角部屋です。日当たりもいいですし。と言うわけで、殿下はこちらをお使い下さい。

 この世界で殿下を護衛する必要はないと思いますけど、落ち着かないでしょうからセロシア様はその隣で。

 ハイドレンジア様は殿下とは反対側の角部屋をお使いください。

 シリル、悪いけどあなたは私と同じ階ね。角部屋にするから許して」


 ウォルトの部屋を見本に、簡単に部屋にあるものの使い方を教える。

 使うとしたらトイレとお風呂くらいで、あとはとりあえず平気だろう。

 奇しくも季節は秋。

 空調も必要ない。


「何と言うことだ……魔法がないのに、ボタン1つで湯が湧いて、水が流れるなんて……」


 トラヴィスが驚愕の表情で固まる。

 確かに、彼らからしたら理解不能だろう。

 その気持ちめっちゃ分かる。

 私も転移した時そうだったから。


「こういう技術を『科学』と言うのですけど、この世界には『十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない』という言葉があるくらいです。向こうの世界でも17年過ごした私からすると、何かしらの道具さえ使えば、向こうの世界の魔法でやっていることの多くは、この世界の科学で実現可能だと思いますよ」


 向こうの世界に魔法があると言っても、漫画のように魔物との戦いや魔法大戦みたいなのがある訳ではなく、あくまで日常の生活の中に魔法が溶け込んでいる。

 この世界に当然のように科学技術があるのと同じように、魔法がある。

 そんな感じ。

 シリルは桁違いなので別として、魔導士とは科学者や技術者に近い存在で、主な仕事は魔道具を開発したり、作成したりすることなのだ。

 私は色々な創作物で魔法について触れていたからまだ理解できたけれど、彼らにとっての科学はそうじゃない。

 本当に、全く未知の技術に触れているのだもの。

 戸惑うのは当然だ。



「もっと詳細については明日また話しますから、とりあえず自室にお入りください。着替えもないので、舞踏会用の礼服のままですけど、今晩はそのままでどうにか頑張ってくださいね。ベッドはあるけどシーツとかないんで……あとここ最近は掃除もしてないし……申し訳ないんですけど、あとでありったけの毛布とか持ってくるので、今日はそれで許してください。シリル、悪いけど手伝ってくれる?」

「うん……わかった」


 私とシリルは一階の大家部屋に行き、毛布やタオルを持って運ぶ。

 何となく、その姿が向こうの世界に居た時よりもずっと姉弟っぽくて、何だか笑えてしまった。


「姉さん、どうかした?」

「ううん、ごめん何でもないよ。あ、じゃあシリルはここの部屋だから、これ中に置いておくね」


 私は右側の角部屋の鍵を取り出し、鍵穴に差し込もうとした。

 すると、シリルがそんな私を制して言った。


「姉さん。もし良ければ、僕は姉さんの隣の部屋でもいいでしょうか」

「良いけど……。あんまり壁が厚い訳じゃないから。少し生活音とかしちゃうかもよ? しかも上の部屋はあのセロシア様だし」


 ニコラスのことだ。

 あの狭い部屋の中で鍛錬などしかねない。

 私だったら絶対にニコラスの部屋の下で寝たくない。


「確かにニコラス先輩は気になるけど……。今ここに女性は姉さん一人でしょう? 念のため、隣にいた方が何かと安心かなと思ったんですが」


 何と。

 シリルはこの姉を守ってくれるつもりらしい。

 彼らに限って私のことを襲う可能性は皆無だが、心配されて悪い気はしない。


 一応シリル(の睡眠)を心配して大丈夫だよと断ってみたものの、シリルが一歩も引かなかったため、仕方なく私の隣の部屋に入ることになった。

 いきなりどうしたのかしら。

 あっちでは見向きもしなかった癖に。




 シリルと他の3人の部屋に毛布やらを配り、シリルを彼の部屋に送って、一人になる。

 私はやっと一息ついた。

 けれど私は自室には入らず、一つ下の階の大家部屋へと向かう。




 この17年間。

 私がしたかったことは、ただ一つ。



 大家部屋の扉を開け、中に進む。

 入って奥の右手に、和室がある。


 和室はお父さんのこだわりだった。

『やっぱり日本人には畳がないとな!』よくそう言っていたお父さん。

『畳は良いわよね〜……ほっこりする』そう言って微笑んでいたお母さん。


 けれど、何故か2人の顔が思い出せなかった。



「……そうだね。こんな顔だった。良かった……また思い出せたよ……」


 和室には、2つの遺骨が置かれている。

 そこに、2人の遺影が飾られていた。



「お父さん、お母さん。ただいま」



 私は2人の写真を抱えて、涙を流した。

 本当はもうお墓に納骨しなければいけない。

 分かっていた。

 けれどそうしてしまうと本当のお別れが来てしまうような気がして、踏ん切りをつけることが出来ないでいたのだ。


 両親を亡くした悲しみは、クローディアとして生きてきた時間の中でだいぶ癒えた。

 もう今は、転移する前のように引きこもらずにいられそうだ。

 けれど、どうしても涙を流さずにはいられなかった。



「あのね、ホント夢みたいな話なんだけどね。私、別の世界に行ってたんだよ。その世界ではね……」


 私はお父さんとお母さんの写真にたくさん話しかけた。

 これまで経験した信じられないこと。

 それを2人にも聞いて欲しかった。

 誰にも話すことの出来なかった想い。

 最初はポツポツと、そのうち止まらなくなるくらい、たくさんたくさん話した。

 涙が枯れるまで、嗚咽まじりに、夜が耽るまで語りかけた。

 これまでの心の中の汚泥が、ゆっくりと溶けて流れていくような気がした。






「あ、そう言えば」


 ひとしきり話して心が落ち着いてきた頃、ふと思った。


 そう言えば、あのゲームは何ていうゲームなんだろう?

 ストーリーはありがちなものだったけれど、私には全く覚えのないものだった。

 私は両親の写真を遺骨の前に戻し、スマホで『クローディア・オーキッド』を検索をする。


「出てこない……?」


 思いつく限りの名前や単語で検索をしてみても、それらしい情報が出てこない。

 乙女ゲームではなくもしや悪役令嬢もの? と思い調べてみても、ゲーム、小説、漫画どれにも存在しない。



「もしかして……乙女ゲームじゃない……?」


 私は呆然とした。

 当然にそうだと思っていたものがそうではなかった時の、喪失感に似た感情が押し寄せる。

 しかしそれにしてはあまりにもテンプレなストーリー過ぎる。

 私は困惑していた。

 ぐるぐると色々なことが思い浮かんでは消えていく。




 それは、夜中に誤ってつけてしまったテレビにニコラスが驚き、「お前何者だ!? どこから入ってきた!!?」と大声をあげ大騒ぎになるまで、続いたのだった。


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