第7話 美味しくて楽しくて、少し切ない
雪乃は定食屋の前で足を止めた。
この定食屋は、前から気になっていたが、昼も夜も混んでいて、なかなかはいれなかったのだ。今日は珍しく空席がチラホラ、時間的には何時もよりほんの少し早いからだろうか……比嘉は雪乃の気持ちを察したのか、
「このお店美味いんですよ。雪乃さんが平気ならはいりませんか?」
その一言に雪乃は思いっきり頷き
「はい! 入りたいです。結構来ては見るんですけど、いつも混んでて……」
「そうなんだ。女性を誘うと、結構え~みたいな反応しますよ」
「そうかなぁ、美味しいものを食べられたら幸せですけどね!あっ!でもデートなら
嫌って言われるかもです。私は気にしないけど」
「あっえっ、デートではなかったけども、そっかあ気にしない方もいらっしゃるんですね。
決めつけは良くなかったです。以後気をつけます」
比嘉の焦り具合が面白くて、雪乃はおもいっきり笑ってしまった。
お店に入りメニューを嬉しそうに見ている雪乃。
「さぁてと何食べようかな……喉渇いたから、生ビール中とそれから、枝豆と揚げ出し豆腐と鯖の味噌煮定食。竜さんは?」
あれ? 飲むの? あまりの勢いに、すっかり遅れを取る形になった比嘉も
「え~と、俺も生ビール中とゲソの唐揚げと和風サラダに角煮定食お願いします」
さすが定食屋。スピード感が良いよね。どんどん料理が運ばれてくるのに、雪乃は頰が崩れっぱなしだ。
「へ~いビールお待ちどおさま。あとお通しね。 おっとそれと枝豆だ!」
「はい! では! お疲れ様でした! そして、これから宜しくお願い致します! カンパーイ」
雪乃の大きな声が店に響く。グビッグビッグビッ~雪乃の豪快な飲みっぷりに釘付けの比嘉。
気取りのない雪乃は、今まで知っている女性とはまるで違うタイプで、比嘉は少々面くらい気味だが、ベタベタ感がないところが、更に好ましく思えてしまう。
「美味し~やっぱり最初はビールですよね~かぁっ~旨い!」
比嘉はおっさんっか!発言に思わず吹き出してしまった。
「あれ?おかしかったですか? いや~親父なんですよ。恥ずかし~」
「良いよ良いよ! 楽しくて」
「良かったです~楽しんで頂けて」
注文した品々が次々並び、雪乃は進められるまま比嘉の角煮、サラダも半分は平らげていた。会話は食べ物について盛り上がり、あとはただひたすら食べて完食したふたり。支払いは割り勘でと雪乃が譲らないので、仕方なしに自分が食べたものを払うことにした。
なんだか、帰したくい。もう少し話したい。そんな気持が高まってしまった比嘉は、
「雪乃さんはまだ時間大丈夫? もし良かったらコーヒーでも飲まない?」
「はい! 飲みたいです!」
やった! 誘って貰えた。定食屋での振る舞いでもしかしたら幻滅されて、嫌われたらかもしれないと少し心配し始めた矢先だったので、素直にその言葉が嬉しかった。
暫く歩くと、ゆったり出来る喫茶『ルジャンル』がある。比嘉はそこに入ることにした。
比嘉の後ろを付いていく。格好いい、ドストライクなんだけどなぁ。ふと、昼間の順子とのやり取りを思い出す。駄目駄目!しっかりしろ私。
さっきとは打って変わって無口な雪乃が心配になり、耳元で「大丈夫?」と声をかけた。
「わっ! はい大丈夫です! あ、ここ大人っぽい空間ですね! 照明とかBGMとか」
焦った~ 耳擽っい! このソファー気持ち良く眠れそう、寝ないけど。
「私ここには入ったことないです。比嘉さんは常連なんですか?」
「常連ではないけど。四~五回かな……ゆったり為たいときや、打ち合わせなんかに使ってるんだよ」
ふたりはコーヒーを頼むと、ソファーに体を預け一息ついた。
いくら何でも先輩の前でこれはないと、雪乃はリラックスし過ぎた体を起こしながら、
「すいません、リラックスし過ぎました…………それでぇあのぉ、つかぬ事を伺っても宜しいですか?」
比嘉は一瞬首を傾げ、
「あ~どんどんリラックスしてください! それで? うん? 答えられる事なら答えますよ~」
雪乃は言い淀んだが、
「あの……昨日は左薬指に指輪していましたよね、でも……今日は為てないって事は、ある種決着したとか?」
「決着? って。ああ~」
「すみません! 気を悪くしたら謝ります! うちの会社って、男性社員の既婚者比率が半端ないでしょう? だから女子社員は、結構指輪には敏感なんですよ」
「そうなんだ。独身だったらターゲットになるのかな?」
雪乃は申し訳なさそうに、
「ターゲットなんて失礼な事は言わないけど……若しかしてチャンスはあるのかなって、みんなそれなりに考えます。なかなか外で知り合うきっかけがないから……」
雪乃の話しを聞きながら、比嘉は外したばかりの指輪の跡を擦っていた。
指輪の持つ意味。昨日までの自分には足枷にすぎなかった。
そう……結婚したときだって、そんなに重きを置いていたわけじゃなかった。
儀式的にやる必要があったから調達したまでだった。
今更だが、自分たちの結婚はどんな意味があったのだろうか。
過ぎ去った日々思い出しても、もはや何も残っていない。
大した考えもなく決めた結婚。自分の愚かさが今身に染みてくる。
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