とある職場の昼休み 2)思い込みで切り抜けたい

「タウリン百万!」

気合をいれた同僚に声をかけるため、私は大きく息を吸った。

「単位は言わなくていいから」

察しの良い同僚に、私は笑った。


「お疲れ?」

「まぁね。プラセボでいいから、効果が欲しい」

同僚は椅子に座ったまま伸びをする。


「あぁ、それ、面白い話があるよ」

後ろの席からの声に、私達は振り返った。

「昨日、学生時代の友達でさぁ、医者やってるやつに、ワクチンは熱が出るから嫌だっていったら、これがきた」


 イラストつきの患者説明用スライドに、私達は顔を寄せた。

「ノセボ効果? 」

見慣れない文字があった。


―偽薬(プラセボ)の投与によって、有益な治療効果が得られる現象を、プラセボ効果と呼ぶのに対して、望まない有害事象が現れる現象をノセボ効果と呼ぶー


ーコロナウイルスのワクチンに関する十二件の臨床試験で、副作用を報告した4万5380人を調査した。偽薬を注射された人のうち35.2%が全身性症状を、16.2%が局所の症状を訴えた。ワクチン接種群では全身性の症状が46.3%と、局所の症状が66.7%であったー


「なにこれ。全身性の症状って。私、怠かったけど。ほとんど差がない。え、もしかして、気の所為ってこと? 」

私は唖然とした。


「この論文では、全身性の症状の76.0%はノセボ効果によるものと、計算してるってさ」」

同僚の言葉と、患者さん説明用スライドのイラストが、私に現実を突きつける。


「何、これ、すごく損した気分」

「計算上は、四分の三以上が思い込みって、それも万単位の人間調べて、この結果。俺もなんか、色々と考えるのが面倒くさくなって、予約した。次は、俺は熱は出ない、明日も元気、ピンピンしてるって、言い聞かせてから打つ予定」


「その人は? 打ってるの ?」

「あぁ、打ってる。医者だから、初回が早かったから。俺より1回多い。『俺はコロナに罹った患者さん診てるから。お前が打たないって言ったら、打つまで説得するけど』って、言われた」

 

「凄いな。これ。人間って。偽薬でも効くと思ったら効くっていうのは聞くけど。副作用があると思ったら副作用があるのか」


 集合をかけたわけでもないのに、人が集まってくる。


「この影響を取り除いて、副作用を確実に調べようと思ったら、あれね、食事か何かに気づかないように混ぜるしか無いんじゃない」

なかなか独創的な提案だ。ワクチンは食べるものではないのだが。


「そんなの、どうやって臨床試験の参加者集めて、説明して、同意書とるの。食事の味が変わって、気づかれたりして、それだけで体調変わりそうな気がする」

「薬の味をどうやって消すか」

「何か、誰かを毒殺するみたいになってない? 」

物騒な発言を、すかさず指摘した声に笑いが起こる。


「というか、私のあの怠さが、ノセボ効果だった可能性が7割以上あるってのは、ちょっとがっかりなんだけど」

がっかりを通り越して、悔しいというか虚しいというか、残念というか、言葉が見つからない。

「きっとあなた、繊細なのよっ」

同僚が、私の両手を強く握り、わざとらしく大きく何度も頷いた。

「思ってもいないことを言ってくれてありがとう」


 同僚が友人の医者からもらったというスライドは、まだまだ人を集めている。参考文献として記載されていた論文を自動翻訳ソフトで翻訳して、熱はどうだ、関節痛はあぁだと、局所痛はやっぱりと、随分と盛り上がって楽しそうだ。


「ま、我々一般人は、プラセボだろうがノセボだろうが、上手く利用するだけよ。タウリン百万単位は無視」

「マイクログラム」

 同僚の声に重なった私の声に、笑いが起こった。


「酷いなもう」

同僚が、人の悪い笑みを浮かべた。

「今週末、あなた、ワクチンよね? 痛くなるよ、熱出るよ、しんどいわよ、きゃー可哀想。大丈夫?」


 私の顔にも、人の悪い笑みが浮かんでいるだろう。

「1掛ける10のマイナス6乗トン」




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