第42話 今度は、正直に


 俺だけしかいない楓花の部屋で、俺は考えていた。

 あれだけのことがあったのに、なぜか俺は楓花の部屋にいた。これから部屋に戻って来る楓花を静かに一人で待っていた。

 楓花の家で夕食を食べて、そして楓花と映画を一緒に見るという約束を果たすために。


「はぁ……」


 二人掛けの小さなソファに背中を預けて、深い溜息を吐き出す。

 きっと普通なら、あれだけのことがあればお互いに距離を置く。喧嘩みたいに互いに気持ちを言い合って、気まずくなって、これからどう接していいかわからなくなって……そして疎遠になる。


 だが、楓花はそれを望まなかった。

 これからも俺と家族でいることを望んで、変わらないことを望んで、楓花は俺と変わらない日々を過ごそうとしている。

 俺が楓花に風宮悠一よりも好きだと思わせると言ったのにも関わらず、彼女は俺と過ごす時間を減らそうとしなかった。


 7月31日、夏休みが始まる終業式の日。楓花が風宮に告白するその日までに、俺が彼女の意思を折ると言ったのに……それでも彼女は変わろうとしないことを選んだ。

 

 俺達が両想いだと知っても、彼女は俺と恋仲になろうとしなかった。これからも、俺と家族であることを選んで。一度決めた自分の意思を変えることに、尋常ではない意地を張って。


 思い返せば、今でも疑問でしかなかった。

 どうして楓花は、あんなにも自分の意思を曲げようとしないのか?

 ずっと俺と両想いだったと知ることができたのに。

 俺との関係を失うのが怖いと思うくらい俺のことを好きでいてくれているのに。

 俺と同じ気持ちを持っているはずなのに、楓花は俺と恋仲になろうとしない。


 今、俺と恋仲になれば……今までの自分が無意味になるからと。

 過去にした俺に対する気持ちを戻せば、今の気持ちが嘘になる。

 そう彼女は言っていた。俺と変わらない関係を続けるために、新しい恋をした気持ちが嘘になると。


 今の恋と昔の恋。そのふたつで、彼女は今を選んだ。

 あの時の楓花を思い出せば、彼女がそうしなければならなかった気持ちも少しくらい察することはできた。理解なんてしたくもないが。


 俺に対する想いを過去にして、風宮に対する想いを今にした楓花の選択が正解かなんて俺にはわからない。

 俺からすれば選んだ楓花の選択は不正解でしかないが、他人から見れば正解の選択かもしれない。


 失恋した恋を忘れるために、新しい恋を始めた。きっとそれは、よくある話なんだろう。

 楓花と違って、失恋したと思い込んでいた俺は新しい恋を始めなかったが……彼女は始めた。

 失恋した人を想い続けることを選んだ俺と、俺を過去にして自分の気持ちに折り合いをつけて、新しい恋を始めた楓花。

 どちらも、よくある話なんだろう。忘れならない俺と、忘れようとした楓花。その違いだけだ。


 俺も楓花と同じように新しい恋をしていたら、彼女の気持ちがわかるんだろうか……?

 諦めて、新しい恋を始めていた時、一度諦めた恋が戻ってきたら……俺は新しい恋を捨てられるのか?

 俺が楓花以外の人を好きになって、その人が一番好きだと思っている時に、今更楓花が好きだと言ってきたら……俺はどうするんだろうか?


 過去にした恋と今の恋。そのふたつのどちらを選ぶのが正解なのか?

 勝手に勘違いして過去にしてしまった恋よりも、今の恋が大事だと思うのか?

 過去の恋を選べば、今の恋をしている気持ちが無駄になるのだろうか?


「わかんねぇ……」


 思わず、ポツリと呟いていた。

 色々と考えても、その選択の正解がどれかわからなかった。当事者の俺にとっては不正解でも、一般的にはどちらが正解になるのか検討すらつかない。

 考えても無駄なことだとわかっているのに、考えてしまう。

 楓花の選択は、正解だったのかと。俺が悪いのかと、考えてしまう。


 あの楓花の意思を曲げるために、もう一度好きになってもらう俺は酷い男なんだろうかって。

 楓花が言っていたように、今の俺の行動は今更なのかと自問自答してしまう。

 だけど、そう考えても、俺は楓花と両想いだと知ってしまったから戻れないところまで来てしまった。


 言ってしまったことは、もう取り消せない。

 楓花に風宮よりも俺のことが好きだと思わせると言ったんだから、後には引けない。

 楓花が変わらないことを選んでも、その意思を曲げさせる。俺に対する気持ちを今よりも大きくさせないといけない。

 そして7月31日に、風宮ではなく俺に告白させる。それができなければ、きっと俺の時間は戻る。また同じ時間を繰り返すことになる。

 失敗してもやり直せるという安心感があるが、失敗する気なんてない。今と同じ状況が次も作れる保証もない。次はないという気持ちで挑んだ方が絶対に良い。


 なにをすれば楓花が惚れてくれるかなんて、まだわからない。

 だから、なんでもやってやろう。それぐらいの覚悟はある。

 と言っても、なにから始まるかを考えるところから始めないといけないんだが……


「……お待たせ」


 ぼんやりと考えていると――扉が開く音と一緒に、声が聞こえた。

 自然と声の方に振り向けば、飲み物とお菓子を両手に持った楓花が部屋に入って来ていた。

 ゆっくりとした足取りで、持っていた飲み物とお菓子を楓花がテーブルの上に置く。

 見えた彼女の横顔は、酷かった。目元が腫れていて、泣いていたことが一目でわかる顔だった。


「顔、大丈夫か?」


 楓花の顔を見て、思わず俺はそう聞いていた。

 横目で俺をチラリと見た楓花が、目を伏せる。そして小さな溜息と共に、彼女はソファに座る俺の隣に腰を下ろしていた。


「もう大丈夫、たくさん泣いちゃっただけだから」

「目、まだ晴れてるぞ?」

「鏡で見たから知ってるよ……お母さんにも言われたし」

「それは俺も知ってるけどさ」


 楓花のリビングで夕飯を食べている時、楓花の顔について彼女の両親が心配していた時のことが頭を過ぎる。

 明らかに普通じゃない顔の楓花になにかあったのかと親が心配するのは当然の流れだった。


「こんな顔になったの、元はと言えば智明の所為でしょ? 誤魔化すの大変だったんだから」

「俺の所為かよ……」

「だってそうだもん」


 違うと言いたかったが、また口論になる気がしたから我慢した。

 ことのキッカケは、彼女が勝手に怒った所為だろう。それで口論になったんだから。


「……なに? 不満でもあるの?」

「別に不満とかじゃない。あの時、お前が頷いてくれなかったこと思い出しただけだ」

「不満じゃん、それ」


 ムッと口を尖らせる楓花に、つい俺は肩を落とした。


「だって楓花が頷いてくれないのが悪いだろ?」

「何度も言うけど……私と智明は家族なの。それだけは変わらない」

「そこまで意地になるか?」

「意地になってないよ。私が決めたこと、それだけ」

「そんなに泣いて?」

「……智明が泣かせたんでしょ?」


 楓花が目を細める。そう言って、彼女は目元を指で触っていた。

 改めて見ても、痛々しいくらい彼女の目元は晴れている。

 その目を見て、俺は自然と彼女の顔に手を伸ばしていた。


「ちょっと……急になに?」


 嫌がる素振りをされたが、俺の手を楓花は振り払わなかった。

 最初は鬱陶しそうに顔を左右に振るが、俺が彼女の目元を優しく触ると不満そうにしながらも大人しくなっていた。

 腫れているから、やっぱり触ると肌が少し熱を持っているような気がした。


「ちゃんと目、冷やしたのか?」

「冷やしたよ」

「痛い?」

「ちょっと張ってる感じするくらい」

「そっか」


 優しくそっと一度だけ目元を撫でて、楓花の顔から手を離す。

 俺に触られた場所を楓花が何気なく手で触りながら、彼女は少し俯きつつ、半目でで見つめていた。それは睨んでいるわけでもなく、どことなく不満を訴えるような目に見えた。


「心配し過ぎ、ちゃんと寝る前も冷やすから」

「そう言ってもなぁ……心配くらいするだろ? やっぱり俺、映画見ないで帰った方が良いだろ?」


 映画なんて見てる暇があったら、晴れた目を治すことをした方が良い。

 そう提案するが、楓花は小さく首を振っていた。


「ダメ、映画見ないと……明日、愛菜ちゃんに感想話すって約束したから」

「忙しくて見れなかったで良いだろ?」

「それは嫌。だって私も見たかったし、智明と見るって約束したし」


 やっぱり頑固だなぁ……知ってたけど。

 不貞腐れた楓花に、俺は呆れながら吐息のような溜息を吐き出した。


「そこまで言うならわかったよ。それで、なに見るんだ?」


 こういう時の楓花は好きにさせた方が良い。長年の付き合いで彼女の扱いがわかっていた俺は、そうすることにした。


「準備、終わってるの?」

「できてるに決まってるだろ? テレビの電源入れて、レコーダーの準備すれば良いだけだぞ?」

「ちゃんと準備できててえらい。お姉ちゃんが褒めてあげる」


 唐突に、楓花が俺の頭を撫でてきた。

 楓花に頭を触られているのが気恥ずかしくなって、思わず俺は頭を小さく振って彼女の手を振り払った。


「うるさい、子供扱いすんな」

「だって私、智明のお姉さんだし」

「俺が兄貴に決まってるだろうが、楓花が妹だ」

「私に毎日起こしてもらってる人がなに言ってるんだか~?」


 俺の反応に、楽しそうに楓花が笑う。

 さっきまでの不満な顔と変わって、それは俺がいつも見ている顔だった。

 それは今の俺達のぎこちない空気を紛らわせようとしているようにも見えた。

 やっぱり楓花はどうあっても、俺との関係を変えるつもりはないらしい。

 互いの気持ちは同じだったはずなのに、関係が前に進まない。

 きっと今の俺達の関係を他の人から見れば、かなり歪な関係なんだろう。


「それで? なに見るんだよ?」

「お、気になってるね? では、お見せしましょう」


 俺が聞くと、楓花が学校で使っているカバンからDVDケースを取り出した。

 そのDVDケースに入った映画がどんな内容か知っている身としては、気になるはずもなかった。


 主人公が過去へ好き勝手にタイムリープした代償としてヒロインが不幸になる結末を変えるために、主人公が困難に立ち向かう話だ。


 きっとこの映画を見たら、楓花はまた泣くだろう。

 そして俺に、自分ならどうしていたか聞いてくる。

 その問いに、俺はどう答えるか決めていた。


 楓花のためなら、なにをしてでもお前を助ける。


 今度は、正直にそう伝えよう。君のためなら、なにを犠牲にしても良いと。


「今回見るのは、これだよ」


 楓花が差し出したDVDケースを受け取る。

 手に取ったDVDケースを見て、俺は妙な違和感を感じた。

 前に見たパッケージと……違う?

 まさかと思ってDVDケースをよく見ると、その内容に俺は目を大きくしていた。


「……恋愛映画?」


 DVDケースのパッケージにあったのは、恋愛映画だった。

 裏面に記載させている文章を見ても、やはり映画の内容は恋愛モノだった。

 ひょんなことから出会った男女が、自然と仲良くなって、互いの気持ちに気づいて結ばれる。そんな普通の恋愛映画だった。


「愛菜ちゃん、意外とこういうの見るらしいよ?」

「これを楓花に見ろって?」

「面白いらしいよ? 最後のどんでん返しが凄いって」


 前回と映画の内容が変わっている。

 なんでこんな些細なことが変わっているのか、意味がわからなかった。

 その原因に検討すらつかなくて、俺はただDVDケースを見つめていた。


 

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