第41話 意地と意地


「あの言葉さえなかったら……私だって言えたよ! 何度も、ずっと言いたかった! でも言えなかったんだよ!」


 楓花の叫びが、俺の心を抉る。

 たった二文字の言葉が、全ての原因だと。


「あの時の気持ちを伝えて、もし智明と気持ちが違ったら……私達の関係は絶対変わっちゃう! 今まで通りの関係に絶対戻らない!」


 そして俺と同じ不安を抱いていたことを楓花が告白する。

 そうだ。彼女の言う通り、俺も同じだった。

 好きという気持ちを伝えて、もし彼女と気持ちが違ったら、俺達の関係は変わる。きっと、間違いなく俺達は今までと同じ生活なんてできないだろう。


「もしそうなったらって考えただけで頭がどうにかなりそうになる……そんなの、私に耐えられるわけない!」


 強く拳を胸の前で握り締める楓花が告げたその不安は、やはり俺と全く同じだった。

 それが怖くて、同じ気持ちと信じていても聞けなかった。


「だって私の生活に智明がいないなんて考えられないもん! 子供の頃から一緒にいたんだよ⁉︎ 本当の家族みたいに、どんな時もずっと一緒に過ごしてきてんだよ⁉︎ そんな大切な人との関係がなくなるなんて、私には耐えられない‼︎」


 全部、同じだった。

 楓花が俺と同じ気持ちを持ってくれていた。

 その事実が堪らなく嬉しいと感じているのに……どうしようもなく、胸が吐きそうになるくらい痛かった。


 俺の生活に、楓花がいない日々なんて考えられない。

 いつも見ていた彼女の顔が見られなくなる。

 笑っている顔も、泣いている顔も、怒っている顔も……全部、見れなくなる。

 隣にいた彼女が、いなくなる。そんなこと……耐えられるわけなかった。


 だから俺の気持ちを伝えて俺達の関係がなくなるのが嫌で、ずっと言えなかった。

 そう思ったから、この関係を壊さないために、あの時の俺は楓花の恋を応援するしかなかった。


 楓花に恋人ができてしまえば、絶対に彼女は俺から離れるだろう。でも、それでも俺達の関係は変わらない。

 幼馴染で、家族。その関係だけは決して消えない。だから俺は、それで良いと思うしかなかった。


 彼女との関係がこれからも続くことを願って、俺が楓花にとって家族のような存在だと思ってくれていれば、それだけで良かった。


 どんなに辛くても、ずっと我慢してきたんだ。

 ただ楓花との関係を失いたくない。その気持ちを支えにして、楓花の恋を見守ってきたんだ。


「そこまで……」


 ふと聞こえた震える声は、俺の声だった。


「そこまで……そこまで俺のこと、思ってくれてるなら……それなら、今からでも遅くないだろ? 俺と、同じ気持ちだったんだろ? 俺と、離れたくないんだろ? なら、もう良いだろ? 俺のこと、ずっと好きでいてくれたなら……それで良いだろ?」


 肩が震える。顔が歪む。目が、じんわりと熱くなっているような気がした。

 この俺達のすれ違いがどうしようもなく馬鹿らしくて、呆れて笑えるはずなのに……全然笑えなかった。


「これからもさ、ずっと楓花が俺の隣にいてほしいんだよ……俺、楓花以外の誰かが隣にいることなんて考えられないんだよ……」


 多分、俺は女々しいことを言っているんだろう。

 それは俺の心の底から出た言葉だったに違いない。

 俺の隣に楓花以外の女の子がいることなんて考えたこともなかったし、考えなくもなかった。


「俺も……怖くて言えなかったんだよ。ずっと言いたかったけど……言えなかった。お前がどうしようもなく好きだって、ずっと一緒にいて欲しいって……ずっと言えなかった」


 震える喉を必死に抑え込んで、やっとの思いで俺の喉が言葉を吐き出す。

 楓花の表情が歪む。止まることなく目から涙が溢れている彼女から、嗚咽のような声が漏れる。

 それでも、楓花は声を堪えて俺をまっすぐに見つめていた。

 そんな彼女に、俺の口は勝手に動いた。考えもなく、ただ感情のままに、想いを吐き出した。


「今更かもしれないけどさ……すごい、呆れるくらい遠回りだったかもしれないけどさ……楓花、俺と付き合ってくれないか? これからも、ずっと俺と一緒にいてくれないか?」


 そう告げて、俺は歯を噛み締めていた。

 そうでもしないと呼吸が震える。気を抜くと、言葉にならない声が漏れそうになる。

 目が熱いけど、それでも楓花を見つめる。今告げた俺の想いの返事を待つために。


 俺が見つめる楓花の肩が、震えていた。

 ずっと泣いたまま、涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔で、楓花が俺を見つめていた。

 時折、嗚咽みたいな呼吸が彼女から聞こえる。


「ひっ……ぐっ……!」


 楓花と目を合わせていると――ゆっくりと彼女の顔が酷く歪んでいく。必死に何かを堪えているような顔で、目を瞑った彼女が俯いた。

 落ちる楓花の涙が、地面を濡らす。その涙を乱暴に彼女が両手で拭っていた。遂に堪えきれなくなったのか、彼女から嗚咽が聞こえた。


 そんな楓花に声を掛けたくても、それはなにも言わなかった。彼女が返事を言うまで、俺はなにも言ってはいけない。


 俺が黙って待っていると、涙を拭い続けていた楓花がそっと顔を上げた。

 涙を拭ったつもりでも、やっぱり止まらない涙で楓花の顔は酷くなるばかりだった。

 擦った所為で、更に真っ赤になった楓花の目が痛々しかった。


 頼むから、頷いてくれ。


 その思いで俺が楓花を見つめていると、ゆっくりと彼女から声が聞こえた。

 その声は、聞き取りにくいくらい酷く震えていた。


「私と、智明は……ずっど、これからも、家族なの……! それは……なにが、あっでも変わらない! 私達の関係は、ずっと変わらない!」


 それは俺の求めていた答えではなかった。

 その事実に、俺の目の奥が痛くなった。


「なんで……! そこまで意地になるんだよ……!」

「あの時の決心を……無駄になんて絶対できない! 今の恋をなかったことになんて絶対できない! それはこの気持ちを嘘にするから、そんなことをしたら私、一生後悔する……それだけは、私が自分を許せない!」

「なんでだよ……!」

「だって、私が……自分で決めたことだもん!」


 それはきっと楓花の意地なんだと思った。

 自分の決めたことを決して曲げてはいけないと自分に言い聞かせて。

 もう俺を好きじゃないなら、泣くわけがない。きっと楓花も、まだ俺のことを好きでいてくれている。


 だけど、楓花は俺を一度諦めている。俺と胸に抱いた気持ちが違うと諦めて、家族としての関係を続けていくことを決めて、覚悟した。

 俺も似たような気持ちになったから、わかる。その気持ちは、気が狂うほど辛かったはずだ。

 その気持ちにどうにか折り合いをつけて、楓花は新しい恋を始めた。

 風宮悠一に楓花は恋をした。そして俺との関係に自分の中で決着をつけた。


 もしここで楓花が俺の告白を受け入れれば、その覚悟と思いが全てが無駄になる。

 すれ違いで、勘違いだったとしても――俺を諦めた覚悟が、無意味で、無駄になる。何度も考えて、色んな感情で心がぐしゃぐしゃになりながら決めた決心が、無価値になる。

 そして風宮悠一に恋をした今の気持ちが、嘘になる。偽りの気持ちで俺以外の人を好きになったと認めてしまうことになる。


 そんなことをした自分を、楓花は絶対に許せない。だからどんなことがあっても、彼女は自分の決めたことを曲げないつもりなんだろう。


「……良いから頷けよ!」

「絶対、私は頷かない!」


 こんなにも彼女が頑固だったとは、思わなかった。


「私と智明は、ずっと家族だもん!」


 意地でも、楓花はそれを貫くらしい。

 決して納得なんてできないが……その覚悟を無駄にしたくない気持ちは理解はできる。


 それなら俺も、考えがあった。


 そこまで楓花が意地になるなら、俺も覚悟を決めよう。

 もう俺の気持ちを伝えてしまったのだから、なにを言っても変わらない。俺が楓花を好きだとバレているんだから。

 楓花が俺とずっと家族だと言うのなら、これから俺がなにもしても俺達の関係は変わらない。

 この気持ちを隠す必要なんて、もうない。なら馬鹿正直に、この気持ちを楓花に見せる。


「前に言ったこと、智明は忘れてるかもしれないけど……終業式の日、私は悠一君に告白する。絶対に悠一君と付き合う。だから智明との関係は、絶対に変わらない」


 楓花、お前の恋は絶対に実らないんだよ。

 その結果を、俺は知っている。

 あんな顔にさせたくなくて、俺はお前を惚れさせようとしたんだから。

 何度繰り返しても、絶対にお前を惚れさせると決めたんだ。

 誤算だったのは、楓花がもう俺のこと好きだって思わなかったことだけだ。


「……そんなことわかってる」

「なら、もう諦めてよ」


 懇願する楓花に、俺は首を横に振っていた。

 俺の反応に驚く彼女に、俺はひとつの覚悟を持って告げた。


「そこまでお前が意地になるなら、俺も意地になってやる」

「……なにするつもりなの?」


 楓花が自分の覚悟を捨てないのは、もうわかった。

 だから、俺がこれからすることは――とても単純だった。


「お前が告白する日、風宮に告白するより俺に告白したいって思わせてやる」

「智明……? なに、言ってるの……?」


 俺の言葉が理解できないと、楓花が困惑する。

 しかし俺は、俺自身の決めた覚悟を変える気なんてなかった。


「絶対、風宮より俺のことが好きだって思わせてやる。それがお前と同じように、俺が自分で決めたことだ」


 どの道、俺の目指す結果は変わらなかった。

 7月31日、楓花に告白される。それが俺の目指す結果だ。


 その為に今の俺ができることは、ただひとつ。


 早瀬楓花に、その意地と覚悟を捨てさせる。

 それをするくらい風宮よりも俺のことが好きだと思わせる。

 それが今の俺ができる唯一のことだと、俺は自覚した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る