第10話 あったはずのもの


 気づいたら、その噂はいつの間にか学校中で流行っていた。

 いつ、どこから始まった話なのかはわからない。人伝に広まった話かもしれないし、もしくは誰かが適当に言い出して遊び半分でSNSに投稿した話かもしれない。噂話の始まりなんて、大抵そんなものだろう。


 つまらない噂話なんて広まっても、すぐ勝手に消えていく。しかし、もしそれが恋愛にまつわる話なら、それは例外になる。恋愛に興味津々の学生達がその噂を盛大に盛り上げるんだから人間って簡単な生き物だと思った。そう言う俺も、その一人なんだが。


 その噂話は、とても単純だった。

 街のどこかにある古びた神社で願い事をすると、その願いが叶う。そんなどこにでもある話。

 しかしその噂話を盛り上げる部分としてあげられるのが、その神社が見つからないというところだった。

 その神社がある大体の場所はわかっているのに、実際にその場所に行っても見つからない。だが嘘か本当は別として、その神社を見つけた人間の願いが叶ったという話が広がっていく。

 存在しないモノを見つけた時、その願いは叶う。そんなミステリアスな話が、その噂に不思議な信憑性を生み出していたのだと思う。


 俺の教室でも探しても見つからなかったと嘆くクラスメイトがほとんどだった。

 しかしたった一人だけ、他のクラスでその神社を見つけた女子が出てきた。それでその子の願いが叶ったと知れ渡ったせいで、その噂は今でも学校に広まっている。


 だから俺も、実例が出たからその噂を信じたんだろう。たとえ件の女の子が嘘をついていたとしても、あの時の俺はその噂を信じたかったんだろうな。

 もしそれで楓花の気持ちを振り向かせられるのなら、それでも良いと思って。神様に頼むくらいしか俺にできることがないとわかっていたから。


 そう思って学校帰りに探しに行ったら、拍子抜けだった。

 俺が住んでいる住宅街にあると言うから探しに行けば、普通にその神社があったんだから。


「やっぱりあるじゃん」


 件の神社の前で、俺はそう呟いていた。

 その噂話を啓太の話で思い出して学校帰りに来てみれば、そこには当然のように神社があった。


 赤い鳥居に、少しだけある登り階段。その先にある古びた小さな神社。

 階段を登ってみれば、前に来た時よりも周りは汚れてはいなかった。俺の記憶の中では2週間前だが、実際には昨日の話だから汚れるわけもないだろうけど。

 そんなことを思って俺が神社の敷地内をなにげなく歩き回っていると、ふと狐の石像が目に止まった。


「あれ……?」


 その石像を見て、思わず俺は首を傾げていた。


「……汚れてる?」


 近寄って見てみれば、昨日掃除したはずの狐の石像が明らかに汚れていた。

 狐の頬の部分と足の部分が泥で汚れている。昨日来た時、確かに掃除したはずなのに。


 この神社を見つけた時、あの噂話が嘘だったと俺はすぐに察した。噂で聞いた場所と違うのかと思って確認もしたが、間違いなくこの場所で合っていた。だから噂は所詮噂話だと落ち込んで、すぐに帰ろうとしたんだが……

 なにげなく入った神社の中があまりにも汚れていたから、周辺の人達に管理すら忘れられてるのが可哀想なんて普段は思いをしないことを思って、気づいたら俺はこの神社の掃除を少しだけしていた。


 別に悪いのはあの噂話であって、この神社じゃない。それにあの汚れた状態を見てしまったから、下手に放って帰れば罰が当たりそうな気がした。神社に神様がいるなんて信じてないけど、良いことをすれば何か良いことが起きるかもとゲン担ぎをしたかったんだと思うことにしている。

 帰り際に掃除した狐の石像に『楓花が幸せになりますように』ってお祈りするくらいも別に良いだろう。自分勝手なお願いでもない。それくらい、もし神様がいれば叶えてくれよって。


「ったく……子供のイタズラかよ」


 それにしても、折角掃除した場所を汚されるのは思っていた以上にかなり腹が立つな。

 神社内の水道は使えたから持っていたハンカチを濡らして、俺はイラつきながら狐の石像を拭くことにする。

 そして汚れを拭き取って綺麗になった石像に、俺は満足して小さく頷いた。


「……帰るか」


 ボランティアをする柄じゃないのに、変なことをした。誰も来ない神社が綺麗になったところで誰も喜びはしないのに。

 また明日以降になれば、この石像も汚れる。それをまた掃除しに来る気もなかった。たまたま目の前にあっただけ、それだけのこと。

 もうここに来ることはない。学校帰りに気まぐれで来ただけなんだから。


「もう汚されんなよ」


 去り際に狐の石像にそう言って、俺は神社から出ることにした。

 思えば同じ場所にあるのに、神社の中と外の住宅街は雰囲気が随分と違ったなと思った。

 そう思い込んでるだけかもしれないが、神社に入ると少し神秘的な感じがする。正月に参拝に行く人の気持ちが少しだけ分かったような気がした。

 敷地内を歩いて、階段を降り、鳥居を抜ける。


「あれ? 智明?」


 そして神社を出た瞬間、唐突に声を掛けられた。

 自分の名前を呼ばれると思ってもいなくて、反射的に声の方に俺は振り向いていた。

 そこにいた人間に、俺は少し驚いた。


「楓花?」


 なぜか楓花が、そこに立っていた。


「どうしたんだよ。こんなところで」

「えっと……あの噂の神社、気になって」

「風宮達と遊んでたんじゃなかったのか?」


 確か学校で、楓花はそんな話をしていたはずだった。

 それがどうしてこんな場所に彼女一人でいるのか?


「え? 遊んできたよ? 今帰りだから、少し回り道してただけだよ?」

「嘘だろ? だってそんなに時間経ってないだろ?」


 俺が学校を出てからここに来るまで時間はそこまで経っていない。一時間も過ぎてないはずだ。

 俺の言葉に、楓花は不思議そうに首を傾けていた。


「なに言ってるの? もう夕方だよ?」


 そう言われて、呆気に取られた。ふと空を見れば、確かに見上げた空は夕暮れになっていた。


「あれ……?」


 来た時と空の色が違うことに気づいて、俺は怪訝に眉を寄せる。

 そんなはずない。神社に入った時、空はまだ夕暮れになってなかった。それに神社の中にいたのも、十分くらいだったはずだ。

 思っていた以上に、俺は神社にいたのだろうか?


「そう言う智明も、なんでこんなところで立ってたの?」

「えっ……えっと、俺も噂の神社が気になって、かな」

「意外、でもないか。智明も噂話とか信じるんだね」


 自分の為に神社を探してたなんて言えるわけもない。

 そう言って笑った楓花に、思わず俺は「うるさい」と答えていた。


「別にあの噂なんて作り話だ。神社なんて普通にあるだろ。俺の後ろに」


 見つからない神社なんてあるはずない。その神社は普通に存在してるんだから。


「なに言ってるの? 私も探したけど、噂の神社なんてなかったよ?」

「は……?」


 楓花の返事を聞いて、俺は咄嗟に神社があった方に振り向いた。

 そして目の前の光景に――俺は言葉を失った。


「……ない?」


 さっきまであった神社が、なくなっていた。入口の鳥居も、登る階段も綺麗になくなっていて、あるのは新しく家を建てている途中の工事中を知らせる看板だけだった。


「そんな、ばかな」


 あり得ない。その言葉が頭を埋め尽くして、声が出た。


「ん? どうしたの?」

「いや、ここに神社があって」

「なにー? また私のこと騙そうとしてるの?」

「ちがう。そういうことじゃ……」


 震える声で答えた俺だったが、楓花は俺の話を信じることもなく俺が自分を騙そうとしていると疑っていた。

 実際に神社があったと言っても、目の前にないんだから信じてくれるはずない。

 あの神社があった場所を呆然と眺めて、俺は背筋が凍るような寒気を感じた。


「もう騙されないからね! もう神社がないのはわかったから帰ろ? 今日はお鍋なんだし、早く帰らないとお母さんに怒られちゃう!」


 俺の内心なんて知る由もない楓花が早く帰ろうと俺に近づいて背中を押す。

 彼女に促されるまま足を動かしながら、俺はもう一度だけあの場所を見つめていた。

 何度見ても、あの神社はなくなっている。工事中の看板が、それを告げていた。


「ねぇねぇ! 今日ね、愛菜ちゃんにおすすめの映画教えてもらったんだ! 夕飯食べた後、私と一緒に見ようよ!」

「あぁ、良いよ」

「やった! 一人で見るのも良いけど、映画は誰かと一緒に見る方が私好きなんだ!」


 楽しそうに話す楓花に、返事を返しつつ、遠くなっていくあの場所にまた振り向く。

 相変わらず、神社はない。しかし俺の目に、あり得ないものが見えた。


「……狐?」


 あの黄色い狐が、道を歩いていた。この街に狐なんて住んでるはずがないのに。

 しかしその狐は、まるでさっきのが錯覚だと思うように一瞬で消えていた。


「おーい! ちゃんと聞いてる?」

「今、あそこに狐見えなかったか?」

「えっ? また変なこと言って、私達が住んでる街に狐なんているわけないでしょ?」


 俺が見ている方に振り向いて、なにもいない道路を見た楓花が一体なにを言ってるのかと眉を寄せていた。

 全く彼女には俺の見ているものを見てもらえなくて、もどかしくなる。

 もしかしたら気のせいだったかもと考えたが、そんなことはあり得ない。だって、本当に俺は見たんだから。

 楓花に背中を押されながら、俺は起こっている出来事が今だに信じられずにいた。

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